第4話 元聖女の快適ホームレス生活




 貧民地区の夜は寒い。

 木の一本も生えない砂地には遮るものは何もなく、王国の外から吹いてきた強い風が容赦なく吹き付け、砂を飛ばし家にも人にも安らかな眠りを与えない。


 ビュオォォォガタガタガタ


 強い風の音が窓をガタガタ揺らし、貧民地区で肩を寄せ合って暮らす幼い兄弟は隙間から吹き込んでくる風と砂に悩まされていた。


「兄ちゃん、この家もそのうち砂に飲まれちゃうよ」


 既に何軒かの家が砂に埋もれてしまっている。王国の外のハガル砂漠が少しずつ浸食を始めているのだ。


「わかってる。けど、どうせ国は何もしてくれない」


 ここは見捨てられた地区だ。兄と弟は風に運ばれてきた砂が壁を叩く音を聞いて諦めの溜め息を吐いた。




 ***




「んあ~、食べ終わったらまた寝ようかなぁ~」


 絶賛ホームレス中の元聖女アルム・ダンリークは、公園のベンチに仰向けに寝転がったまま、マジックバッグから出したパンを食べていた。

 お行儀が悪いが、もうそういうのは気にしないのだ。もう聖女じゃない。自由なのだから。

 アルムはまだ十五歳。若い力は自由になったら強いのだ。人目もはばからずにベンチでごろごろ出来るのが強さ——そう、これこそが生命力だ!


「パンはまだまだたくさんあるし~」


 神殿にいた時、溜まりすぎた疲労で胃が固形物を受け付けなかった。

 そんな時でもヨハネスは食事を残すことを許さなかったため、スープ等の液状のものだけを胃に押し込んで、固形物はヨハネスの目を盗んでマジックバッグに放り込んでいたのだ。マジックバッグに入れたものは腐ることなく保存される。おかげで、しばらく食べ物には困らない。


 野菜や果物ならいくらでも栽培できるし、水も生み出せる。浄化を使えば自分の体も服も綺麗に出来るので不潔にはならないし、風呂に入りたければ結界に目隠しを施して外から見えないようにし、大量の水を作って沸かせばいいのだ。


「今のところ何も不足はないな~」


 神殿から飛び出して二日、元聖女アルムは完全にホームレス生活に適応していた。




***



 ヨハネス・シャステルは憤っていた。

 誰に命じても、誰もアルムを探しに行こうとしない。

 どいつもこいつもゴミを見るような目でヨハネスを睨み、「人でなし」だの「神殿の汚物」だの「全身余すところなくダニに噛まれりゃいいのに」だのと罵ってくる。王族に対する態度ではない。


「こうなったら、俺が直々に探しに行って、連れ戻してやる! アルムの奴……」


 アルムが出て行ってまだ二日目。しかし、既に神殿の業務には滞りが出ていた。

 さもありなん。この一年間、ヨハネスはアルムばかりに聖女の仕事を負わせ、他三人の聖女には何もやらせてこなかった。

 結果、三人の聖女にはほぼ一年間のブランクがあったのだ。歴代最高ランクの聖女であったアルムの仕事の後をスムーズに継げる訳がない。

 三人は懸命に頑張っていたが、ヨハネスはアルムを連れ戻すことしか考えていなかった。


「アルムさえ戻ってくればいいんだ。アルムさえいれば」


 探しにいく準備を整えていざ出発しようとしたその時、第五王子がヨハネスを訪ねてきたという報告があった。


「ワイオネル様が?」


 第五王子のワイオネルはヨハネスの異母兄だ。王には正妃と三人の側妃がいる。第五王子ではあるが、第一妃である正妃が産んだのが彼だけなので、王位継承順第一位はワイオネルだ。第二妃が産んだ上四人、第三妃が産んだ第六王子、第四妃が産んだヨハネスは母親の身分が低いので王位継承順位は王太后が産んだ王弟より低い。

 故に、ヨハネスにとっては第五王子は兄というより仕えるべき主君だった。


「忙しいところを悪いな」

「いえ。お久しぶりでございます」


 ワイオネルは濃緑の髪と金色の瞳を持つ威風堂々とした青年だ。十七歳にして既に王者の貫禄があり、立太子も間近と言われている。


「して、本日は何用で?」

「ああ。聖女のような服を着た少女を貧民地区で見かけたという報告が上がってきていてな。それが本当ならば聖女を派遣しなければならないようなことが貧民地区で起きたのかと心配になり、確かめに来た」


 ワイオネルの言葉に、ヨハネスは目を見開いて拳を握りしめた。



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