エクスキューショナー

「!!」

 隙間風に混ざって家の中に流れ込んできた臭いに、ベルカの体が反応する。背筋をぞくりとしたものが奔り抜け、表情が険しくなった。

「この臭い、まさか…!?」

 思わず声を上げた彼女に、ベリザルトン夫妻も何事かと視線を向ける。

 その夫妻に対し、ベルカが問う。

「おじさん! この村にシェルターはある!?」

「あ、ああ。ブロブ用のシェルターなら」

 ブロブ用のシェルターとは、ブロブの襲撃を受けた際に避難する為のシェルターのことである。直径一センチの隙間があれば侵入が可能なブロブに対し、完全密閉で一切の隙間をなくしたそれは、ブロブの生息域である森林地帯に近い街や集落では必須の設備だった。

「今すぐ住人達をシェルターに避難させて! 奴が、ブロブの群れがすぐ近くまで来てる!!」

 ベルカの言葉に、カールがすぐさま反応する。

「な!? わ、分かった…!!」

 カールの対応は迅速だった。村中に設置されたスピーカーから警報を発し、住民にシェルターへの避難を呼びかける。それを聞いた住人達も、すぐさまシェルターへと避難した。

「住民の避難は完了した。後は私達だけだ」

 自分に向かって声を掛けるカールに向かって、ベルカは言った。

「おじさん達も避難して!」

 しかしカールは逆に問い掛けてきた。

「ベルカはどうするつもりだ!?」

 それに、ベルカは外を睨み付けたままで応えた。

「私はブロブハンターよ。やることは一つ!」

 外に停めた愛車へと走り、荷台から大きなハンドガンと、小さめの機関銃のようなものを取り出した。ブロブを殺さずに捕獲する為の麻酔弾を発射する専用の拳銃と、グレネードマシンガンと呼ばれる、連続してグレネードを発射できる機関砲である。どちらも普通の人間では両手で持っても手に余るものだったが、それをベルカは右手にハンドガン、左手にグレネードマシンガンを保持して運転席に戻り、車で村の裏手にある森の方へと向かう。

 風に混じる臭いから、彼女は複数のブロブが近付いていることを察知していた。ブロブが大量発生したのだろう。その所為で森の中だけでは餌が足りず、人間の集落を襲いに来たのだ。

 ファバロフに降り立った開拓団二千人がブロブに襲われた事件は、増えすぎたブロブが餌を確保できずに洞窟に潜んで休眠状態になっていたところに開拓団が現れたことで久々の獲物を前に興奮状態になったブロブの群れが一気に襲撃したことによる悲劇であると現在では推測されていた。

 こういうことは時折起こる為、シェルターの設置が求められているのである。数が多いと対処しきれないからだ。

 シェルターは宇宙船の技術を応用して設計されており、完全気密と最低一ヶ月、シェルター内だけで生存が可能なように作られている。さすがに一ヶ月もすればブロブも諦めて立ち去るからだ。もっとも、普通は長くても数日で済むが。記録にある最長滞在期間が二十日間である為、それを考慮しているだけである。

 とは言え、何日もシェルターに籠っていては経済活動が滞ってしまう。しかも家畜などがいる場合はそちらが襲われて全滅してしまうので、できれば駆除が望まれていた。

 ベルカは当然、それを知っている。故に、捕獲できるものは捕獲を、それ以外は対ブロブ用のグレネードによる駆除を行えるようにとの装備をしたのであった。

 ちなみに、ブロブを相手にボディーアーマーなどの防御用の装備は意味がない。完全密閉の宇宙用パワードスーツのようなものであればまだしも、隙間があればそこから侵入されて食われるので、かえって邪魔なのである。

 風に混じる臭いがますます濃密になるのを感じつつ、ベルカはゲイツの意図を察していた。自分に余計なブロブを始末させた後、漁夫の利を狙っているに違いない。おそらく今頃は、安全な山の上辺りからこちらの様子を窺っているのだろう。本当に下衆な奴だ。

 さりとて今はそんなことを言っていても仕方ない。やれるだけやって、手に負えなければ自分もシェルターを兼ねた愛車に逃げ込むだけだ。ブロブから身を守る為に完全密閉されたキャビンを持つ、特別製の車両だ。

『…来た!』

 臭いの密度が一気に高まり、むせ返るほどになる。それでも、普通の人間にとっては何となく生臭いと感じる程度だろう。だが、ブロブハンターとして文字通り嗅覚を磨いてきた彼女にとっては濃密すぎるくらいに濃密なのだ。

 獣には十分に効果があるかもしれないがブロブ相手には気休めと時間稼ぎにしか過ぎない塀の向こうに気配を感じる。すると塀の上にも何かが蠢くのが見えた。ブロブだ。塀を越えて侵入しようとしてるのが分かる。

 行政の支援を受けている集落なら塀の外に専用の爆砕槽が設置されていてボタン一つで一網打尽といったところだが、ここにはそんなものはない。塀を越えてきた奴を順に撃退するだけだ。

 ぬるりと塊が一つ、塀を乗り越えた。すぐさまそれに向かってハンドガンを三発放つ。

 三発とも命中し、麻酔弾を受けたブロブが苦し気に身を捩り、やがて動かなくなった。

 ブロブに対する研究も進んでいて、その動きを封じる専用の麻酔も次々開発されている。ベルカが使っているのも最新の麻酔薬が充填された弾頭で、即効性である。しかし、決して安価ではない為、一度に三発撃ち込むことが基本にはなっているがあまり大量には使えない。無駄に備蓄しても稼ぎが減ってしまうだけだ。だからある程度麻痺させれば他はブロブ用のグレネードで駆除する。

 なお、ブロブは匂いによって獲物を察知していることが分かっている。なので、ブロブハンターは自分を囮にブロブをおびき寄せて捕獲するのだ。それに対し、資金の潤沢な駆除業者などは宇宙用パワードスーツを転用した装備などで安全に対処したりもする。ブロブハンターにも、一部には、自身は宇宙用パワードスーツを転用した完全防備にした上で家畜を囮にして捕獲する者もいるが、それだとやはり利益が減ってしまうので、多くの者は生身で挑むのだった。それは、自らの勇気や度胸を誇示するという意味合いも含まれたものでもある。まあ、中には、敢えて危険に身を晒すことで自分が生きている実感を得るということを目的にしている者もいるが。

 実は、ベルカもどちらかと言えばそのタイプだった。危険に身を晒すことで命の実感を得るという。

 だが、今はそれはどうでもいい。次々と塀を乗り越えてくるブロブに麻酔弾を撃ち込み沈黙させるが、同時に他のブロブはグレネードで爆砕していく。

 対ブロブ用グレネードは、対人用のそれと違って破片で殺傷することを目的にしていない。あくまで火薬の爆発によってブロブの体を爆砕する為に作られたものである。毒によって殺傷することも行われるが、それだと死んだブロブから漏れ出た毒で周囲が汚染されるので、方法としては決して主流ではない。また、爆砕されたブロブはそのまま肥料にもなるので、耕作地に現れたものについてはそれこそいちいち処分する必要もないのだった。

 それにしても、八面六臂の活躍とは、こういうことを言うのだろうか。もしくは無双というやつか。あらかじめ用意した麻酔弾が尽きるとハンドガンを収め、ベルカはグレネードマシンガンで次々とブロブを駆除していった。

 本来、ブロブは、単体だと<悪知恵の働く利口なネズミ並み>と言われるほどに知能的な振る舞いも見せるものの、こうやって集団になると何故かそういう部分が鳴りを潜め、ただただ獲物に向かって直進するという行動を見せるのだった。とにかく数で圧倒して圧し潰そうとでもするかのように。

 だが―――――。

「ちょっと、なんだよこの数…!!」

 思わずそう漏れたように、ブロブはなおも次から次へと現れてくる。これは、過去の例から見てもかなりの大量発生だと思われた。さながらブロブの洪水である。さすがに一人では手に負えない。

「そろそろ潮時かな…! 家畜の被害が抑えられなかったの残念だけど…」

 そう。できれば全部対処して、家畜の被害も防ぎたかったのだ。とは言え、自分が犠牲になったのでは意味がない。諦めて愛車に避難しようと考えたその時、ベルカとは別の方向からグレネードが撃ち込まれ、ブロブが次々と爆砕された。しかも、ベルカが麻酔で動きを封じたブロブにまでグレネードが撃ち込まれ、爆砕される。

「ちょ…っ! なにすんのよ!?」

 せっかくの獲物を台無しにされたことでベルカの顔が真っ赤に染まる。自らもグレネードを放ちながら、ベルカは別のグレネードが飛んできた方向に視線を向けた。その間にも、次々とグレネードが撃ち込まれる。

「お前は…!?」

 視線の先にいた人影を見た瞬間、ベルカの頭によぎるものがあった。

「まさか、エクスキューショナー…!?」

 <エクスキューショナー>。それは、ブロブハンターでも駆除業者でもない、しかしブロブにとっては天敵とも言える存在だった。いかなる理由かは分からないがブロブを異常なほどに憎み、完膚なきまでに抹殺していく人間がいるのだ。それは、ブロブハンターが捕獲しようとしたものさえお構いなしに殺すことから、人間であるにも拘らずハンターギルドから賞金が掛けられていた。

 話には聞いていたが、ベルカも見るのは初めてだった。

「本当に女だったのかよ…!」

 思わずそう声が漏れる。

 黒ずくめの格好でゴーグルをつけているから人相までは分からないが、その体つきから女性であることは間違いない。それも話に聞いていた通りだった。<黒ずくめでゴーグルをつけた女>というのも、エクスキューショナーの特徴であると。

 その女は、華奢にも見える体をしながらも、両手にグレネードマシンガンを構え、しかも一発たりとも外すことなく的確にブロブを狙い撃っていた。対ブロブ用に需要があることで改良が進み軽量化されているとはいえグレネードを装填すると重量は十キロに達する。それを両手に持ち軽々と振り回すなど、尋常じゃないフィジカルと腕前だ。

 しかし感心してばかりもいられない。ベルカが麻酔弾で動きを封じた奴まで次々と殺されていく。シェルターに隠れても数時間のうちに居なくなってくれないと麻酔が切れてしまうから無駄骨に終わった可能性があったとはいえ、ブロブが家畜を襲いに行っている間に専用の収納袋に詰めてしまうということもできたのに、殺されてしまってはそれもできない。

「やめろ!」

 思わず叫ぶが、エクスキューショナーはまるで聞き入れる様子もない。だからつい、グレネードマシンガンの銃口を向けてしまった。だがそれは非常にマズい行為だった。今の時代、銃口を向けるとそれだけで殺人未遂が成立することもある。目撃者もおらず映像も記録されていなければとぼけることができても、相手が銃口を向けられたと訴え出れば面倒なことになるのは間違いない。

 だが、このタイミングでのそれは、殺人未遂がどうこうという以前にマズいことだった。ブロブから意識を逸らしてしまったことで、反応が遅れてしまったのだ。

 近くにいた一匹が体を変形させてベルカを捕らえようとする。

「!?」

 それに気付いて迎え撃とうとするが、間に合わない。

 と、その時、ベルカを狙ったブロブの体が弾け飛んだ。エクスキューショナーが撃ったグレネードが爆砕したのである。

「…く…っ!」

 ベルカが唇を噛む。感情に囚われて銃口を人間に向けた上にその人間に助けられるなど、プロとしてあるまじき失態だった。とは言えそれ以降は気持ちを切り替えて淡々とブロブを駆除していったのだった。


 用意したグレネードが尽きかけた頃、ようやくブロブの侵攻が止まった。残ったブロブが塀を乗り越えるのをやめ、森に引き返していく。最近の研究で、前述したとおりブロブにもネズミ程度の知能はあることが分かってきていた。だから勝てないことを理解して逃げる程度のことはできるのだ。

 すると、エクスキューショナーは、逃げたブロブをなお追って、塀を飛び越えていった。

「…な!?」

 それを見たベルカが我が目を疑った。気休め程度とはいえ、塀の高さは三メートル近くある。それを、グレネードマシンガン二丁を抱えたままジャンプ一つで飛び越えたのだ。到底、人間業とは思えなかった。

「サイボーグ…?」

 ベルカがそう思うのも無理はない。元々そういう噂もあった。あまりに人間離れしたことをやってのける為、エクシュキューショナーはサイボーグなのではないかと。

 ただ、今のサイボーグ技術でも、あれだけの戦闘力を持たせようと思えばあんな華奢な体にはならない筈だった。外見上もほぼロボットと変わらなくなる。もし本当にサイボーグだとしたら、それはそれでオーバーテクノロジーなのだ。

「……私は…」

 後に残されたのは、三百を超えるブロブの死骸と、力なくうなだれるベルカだけであった。


 その一ヶ月後、ベリザルトン夫妻の家で二人と一緒にテーブルを囲むベルカの姿があった。彼女は、ブロブハンターを辞め、夫妻の養女となって、畑を耕し、家畜の世話をして、たまにブロブの駆除もして、フォーレナの住人として暮らし始めたのであった。


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