ブロブ

 セルガ・ウォレドが率いる開拓団の異変を、他の開拓団が察知したのは、例の洞窟が発見されてから三十六時間後のことだった。それぞれの開拓団は概ね二日に一度の割合で定期的に相互に連絡を取り合い、それぞれの進捗状況を伝え合うことになっていたのだが、その連絡がなかったのである。最後に連絡があった時には、データにない洞窟が発見されたので計画の見直しが必要になるかもしれないという内容の連絡だった。

 もっとも、それ自体は特に変わったところもなく、何か緊迫した事態であることを窺わせるような気配もまるでなかったので、誰一人としてさほど気にもしていなかった。なのに、それ以降の連絡がないのだ。何度呼び掛けても応答もない。

 相互にアクセスできる監視カメラの映像を見ても、誰の姿もそこにはなかった。その異様さにさすがに不穏なものを感じた各開拓団の責任者達は、これは容易ならざる事態だと考え、状況の把握を行う為に捜索が行われることになった。

 その為の捜索隊として、件の開拓団の隣の地域を担当していた開拓団から人員がすぐさま選出され、現地へと向かうこととなった。

『いったい、何が起こったというんだ……?』

 捜索チームの隊長に任命された、いくつもの紛争地域で数々の任務をこなしてきた生え抜きの軍人であるバレト・ツゥアラネイアス中尉は、これまでに感じたことのない得体の知れない緊張感に包まれていた。無理もない。二千人が僅か三六時間で一人残らず消息を絶つなど、普通は有り得ない。彼もそんな話は聞いたこともなかった。

 紛争地帯などにおいては集落が孤立し連絡が取れなくなるなどのことはそれほど珍しくもなかったし、その集落が武装勢力の襲撃によって壊滅していたという痛ましい事例も見たことはある。だが今回のものはそれとは明らかに印象が違うのだ。なにしろ、紛争などによって起こるそれは、やはり事前にある程度の予測はされていたし、戦闘が始まればその情報は大なり小なり伝わってきた。

 なのに今回のそれは、まったくその予測もなく情報もなく気配すらなく完全に唐突に、しかも通信機器などはそのままに、一部には交信状態のままで放置されているものすらあったのである。なのにその画面には、誰一人現れない。

『こんなことが有り得るのか……?』

 バレトは思案する。

 今時、六歳の子供でも通信機の使い方くらい知っている。事実、バレトの子供達がまだ小さかった頃も自分で通信機を操作して連絡を取ってくることもあった。彼の子供達が特別な訳ではなく、今ではそれで普通なのだ。だから、誰かがそこに残っていれば連絡くらいする筈だ。赤ん坊でもない限り。それに、セルガの開拓団に六歳にも満たない子供はいなかった筈だ。にも拘わらず連絡が全くないということは、本当に二千人すべてが忽然と消えてしまったということになる。

 先にも述べたが、監視カメラも設置はされていたが、そこにも人間は映っていない。録画されている映像を調べられれば何かが映っている可能性も考えられるものの、映像記録を再生する為には現地に行ってデータを回収しなければならない。他の開拓団にはそのデータにアクセスする権限がないからだ。データが記録されているメディアを回収してようやく解析ができる。

 そのメディアの回収も、彼のチームの任務だった。

 万が一の事態に備えて、捜索チームは完全武装の軍人を中心に編成されていた。開拓団の警護は、本来、戦闘が目的ではない。精々が危険生物の駆除といった程度が関の山である。なので、ある意味では新兵の訓練も兼ねているのが現状だった。だから、バレトのチームも半数が着任一年未満の新兵達だった。とは言え彼らは、開拓団の護衛任務が実質ただの訓練に等しいものであることを知っているだけに、さほど緊張感もなく仲間同士で歓談しているような状態だった。それなりに経験を重ねた者達も、自分達もかつてそうだったのを覚えているので特に目くじらを立てることもない。その為、この時、異様な予感に緊張していたのは隊長のバレトを含めて数人という感じであったろう。

 が、輸送機でセルガ・ウォレドの開拓団のキャンプを目指していたバレトの下に、彼が所属していた開拓団からの緊急通信が入る。

「バレト中尉! 我々は現在、謎の敵の襲撃を受けている! ただちに引き返して防衛にあたってほしい!!」

 その通信内容がスピーカーにて待機していた隊員達の耳にも届くと、さすがに緊張と動揺が広がるのが見えた。

「おい、襲撃だってよ…?」

「襲撃? 誰が? 何の為に?」

「知るかよ! でもヤバいんじゃないのか!?」

 口々にそんなことを話す新米隊員達に、さすがに先輩からの叱責が飛んだ。

「無駄口を叩くな! 俺達の寝床が襲われてるんだぞ!」

 そんなやり取りをしている隊員達を背に、バレトが険しい顔で無線機を手にする。

「敵? それはいったい何者なんです!?」

 問い掛けるバレトに対し、開拓団からの返答は的を得ないものだった。

「分からない! とにかく得体の知れない<何か>だ! 生物なのか兵器なのかも分からない!! とにかく強力で、現在の装備では歯が立たない! 攻撃が通じないんだ! 既に犠牲者も多数出ている!! 早く戻ってくれ!!」

 その連絡を行っているのは開拓団の技術者であり素人なので仕方なのだが、とにかく要領を得ない。状況が掴めない。

「くそっ! 何が起こってるんだ!?」

 バレトの顔にも焦りが浮かび、思わず声を上げる。だが、そんなことを言っていても仕方がない。

「百八十度回頭! キャンプに帰還する!!」

 輸送機の進路を急遽変更。開拓団に引き返す。

 ようやく自分達の所属する開拓団のキャンプの上空に戻ってきたバレトとその部隊員達が見たのは、信じられない光景だった。

「なんだ、ありゃ…?」

 隊員の一人が呟くように声を漏らす。そうとしか言えなかった。

 それは、遠目で見た時には水溜りのようにも見えた。僅かに青っぽい色をした水がいくつも水溜りを作っているかのようにも見えたのだ。だが、接近してみるとそれは水溜りなどではなかった。水の塊のように決まった形を持たない透明な<何か>がキャンプ内を這い回っていたのである。しかも、バレト達が見ている前で、人間がその<何か>に捉えられるのが確認された。

 透明なように見えていたが、捉えられ呑み込まれた人間の姿は見えない。どうやら光が屈折して上からでは見通せないようだ。

 それを確認したバレトの判断は早かった。

「降下! 降下!!」

 バレトの命令を受け、隊員達が完全武装で降下する。しかし……

『ヤバい……これは何かヤバい…!』

 自身もパラシュートで降下しつつも、バレトは、殆ど生物の本能としてそれを感じ取っていた。本当ならこのまま逃げるべきだと体が訴えていた。しかしそれを強靭な精神力で抑え付け、軍人としての職責を果たそうと努めた。何より先に降りた隊員達を見捨てて逃げる訳にはいかない。

 地上に降り立ち、隊員達は訓練の通りに動いた。新兵とは言え配属されるまでにも十分に訓練は行ってきている。緊急事態にも訓練通りに動ける程度には。なのに。

「銃が…! 銃が効かない…!?」

 新兵の一人が声を上げる。訓練通りに的確に命中させているというのに、それはまったく意に介することなく迫ってくる。その異様さに体が竦んでただ銃を撃ち続けるしかできなかった。

「う…わ、うわぁっわぁああぁぁあぁぁぁっっ!!」

 目の前の液体のようなそれの中に、何かが見えた。やはり光の加減で見えたり見えなかったりするらしいが、確かにそこにいたのだ。人間が。うねうねとした動きにつられるように恐怖に歪んだ顔のまま中の人間が動くが、そこには既に意思は感じられなかった。絶命しているのだろう。

 そして、透明な何かの一部が恐ろしい速さで隊員目掛けて伸び、一瞬で彼を呑み込んだ。

 水に落ちて溺れているかのようにもがくが、右にも左にも上にも下にも動けない。そして、苦しみもがいたその姿のまま、動きが止まったのだった。意識を失ってしまったのだろう。そんな光景が、あちらこちらで見られた。

 生物としての本能を抑え付けこの場に降り立ったバレトの決意も虚しく、隊員達が次々と得体の知れない<それ>に襲われ、食われていく。

 そう、食われていくのだ。

 角度によっては中が見えなくなるが、それでも見える角度に居れば、透明で不定形のそれの中に何人もの人間が呑み込まれているのが分かる。しかも、既に体の一部が白骨化しているものさえあった。消化されているらしい。それは間違いなく捕食だったのだ。

 銃は効かない。だが、苦し紛れで使ったグレネードを受けたそいつが大きく弾けて動かなくなるのを見たバレトが叫んだ。

「グレネードだ! グレネードを使え!! ライフル弾も拳銃弾も無駄だ!! 爆砕しろ!!」

 それを受けて、隊員達は次々とグレネードでの攻撃に切り替えた。

 破裂して動かなくなったそれを見て、新兵の一人が声を上げる。

「はは! 死んだ! 死んだぞ!! やった!!」

 彼らは悟った。今、自分達が相手をしているのは確かに得体の知れないものではあったが、間違いなく生物であり、決して殺せない怪物ではないのだと。

 しかし目の前のを倒せたことで興奮して周囲への注意が疎かになったその新兵は、別の奴に呑まれて溺れた。それをバレトが狙い撃つ。

 炸裂させれば倒せたが、それでは中に取り込まれた者も確実に死ぬ。生きてもがいている者もだ。今、彼が撃った奴に呑まれていた新兵も、グレネードの破片と爆轟に切り裂かれて死んだ。その事実に心が折れそうになりつつも、バレトは躊躇わなかった。背に腹は代えられないからだ。

「撃て! 呑まれた奴は諦めろ! 撃たないと自分が死ぬぞ!!」

 躊躇う隊員に発破をかけて奮い立たせる。パニックを起こしている者は殴り飛ばして正気を取り戻させ、グレネードが尽きた者には手榴弾を使わせた。グレネードランチャーで高速で撃ち出す勢いで内部にめり込んでから炸裂するグレネードに比べ、あくまで人力で投擲する手榴弾では表面で炸裂する為、グレネードに比べると効果は低かったが、ある程度まで破裂させられればどうやら死ぬらしいことが分かってからはとにかく爆砕することを狙った。ただ、グレネードでも、距離が離れているとやはり中まではめり込まずに表面で炸裂する為、手榴弾と大きな違いがなくなってしまう。

「引き付けろ! 十分に引き付けてから撃て!! 破片のことは気にするな! ボディーアーマーを信じて引き付けてから撃つんだ!!」

 本来ならばあまり近付くと炸裂したグレネードの破片を自分も浴びることにもなってしまう為にあまり至近距離では使わないが、その生物の体にめり込んでから炸裂すれば破片の威力が減衰されてダメージは受けない。だから十分に引き付けてから撃つのが肝だったものの、そうなると今度はそいつに捕らえられ呑み込まれる危険性も高くなる。極めて一か八かの賭けに近い方法ではあった。

 だが、その戦法が功を奏して、部隊の三分の二を失いながらも、辛うじて撃退することに成功したのだった。


 バレトの部隊の報告を受けた他の開拓団は、謎の不定形生物の襲撃に備えて警戒を強化。彼が所属していた開拓団と同じく、セルガ・ウォレドが率いていた開拓団が担当していた地区と隣接するキャンプにもそれは現れたが、爆砕することが有効であると分かっていた為、工事用の爆薬等も効果的に利用し、大きな被害は出さずに撃退することができた。非常に危険で凶悪な生物であったが、対処法が分かってしまえばどうとでもなるということだ。

 その後、改めて二千人が消息不明となったキャンプを捜索。やはり一人として発見には至らず、その代わり、この場にいた者達が身に付けていたであろう衣類や装備品だけが粘液に濡れた状態で発見され、そこから検出されたDNA等により開拓団のメンバーのものであることが特定され、不明者は全員、あの不定形生物に襲われて死亡したものと断定された。

 このことにより防衛の為の体勢強化を目的に重武装した軍の部隊を中心に編成された第二陣の投入が前倒しされることにはなったものの、元より危険な生物等が生息しているであろうことは前提で開発は行われるので、計画に大きな変更はなく、やはり開拓は進められることになった。

 セルガ・ウォレド率いる開拓団二千人を襲った悲劇については大きな教訓として活かされ、要注意危険生物として指定された件の不定形生物は<ブロブ>と名付けられて発見次第駆除の対象とされたのであった。


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