17・スポーツマンシップ

 その後、地下迷宮を引き返し、地上へ出た私たちは、真夜中の空を見上げる。雲一つ無い空は無数の星が瞬いていた。

「みなさん無事だったんですね!」

 サイリックが感極まった表情で出迎えた。

「ぼくは信じていましたよ、みんなが帰って来ることを。ああ、本当に良かった」

「なら、俺たちの名前が書いてあるその位牌はなんだ?」

 アッシュが尋ねると、サイリックは背後のゴミ箱へ投げ捨てた。

「なんでもありません。じゃあ、ぼくは先生を呼んできます。たぶん戻ってこないだろうからって〈ヒド〉先生帰っちゃったんで〈ヒッドー〉。みんなは科学室で待っててくださいね」

 サイリックが走っていくのを見届けた後、ウェンディは十三番用具室の扉を振り返った。

「あの三人、放っておいていいのかしら」

 PFCの三人は、アッシュの主張により、最下層に放置したままだ。

「いいんだよ」

 良くないだろ。



 そして私たちは深夜を徹して薬剤調合に取り掛かり、丑三つ時になってようやく完成し、ピスキーに投与した。

 保健室で眠っているピスキーを眺めながら、私たちは目を覚ますのを待つ。

 薬剤による睡眠は、身体の疲労とはまったく関係なく、一定時間経過した後、必ず目が覚める。

 アッシュは解毒剤の効果を確かめてから出ないと安眠できないのか、目をこすりながら、その時を待っていた。

 私は正直言って、ピスキーが目を覚ます前に、安眠したくなっていた。

 サイリックはリプター先生と一緒に科学室で機材の後始末をし、レネー先生がその監督をしている。

 レネー先生はリプター先生が先に帰ったことに大変立腹して、一時間ばかり説教していた。

 リプター先生の教師としての信用は失われ〈元々あったのかは別として〉、私たち同様生徒のように扱われてしまっていたが、まあ、自業自得だ。

 ウェンディがふと呟く。

「これで元に戻らなかったら、教室益々騒がしくなるわね」

「おまえさぁ」

 アッシュが呻いた。

 「なんとなくわかってたけど、平穏な授業のために動いていて、別に俺たちのために手伝ってくれたわけじゃないんだな」

「当たり前でしょ」

 今更なにを言い出すのか理解できないふうに答えた。

「当たり前と言う」

 アッシュは嘆息した。

 そして私は二人に重要な事柄を告げた。

「ピスキー、起きたみたいよ」

 この言葉に即座に反応して、二人はピスキーに視線を向けた。

 期待とかすかな不安を混ぜた瞳を。

 ピスキーは上体を起して、私たちに虚ろな目を向けていた。

「「「……」」」

 耳が痛くなるような静寂の後、ピスキーは大きく欠伸をすると、意識が明晰になったのか、ばつの悪そうな、照れ臭そうな、そんな笑みを浮かべた。

「あははは。ごめんねぇ、なんか色々やったみたいで」

 私たちは同時に、安堵の息を肺から搾り出した。

「「「はぁー」」」



 こうしてピスキーは媚薬の呪縛から解けたのだった。

 本当に長い一日だったように思う。



 次の日、珍しく平穏な教室で、アッシュは上機嫌にみんなと話をしていた。

「いやー、昨日はまいったぜ」

「大変だったって?」

「ピスキーに変なことしなかった?」

「するわけないだろ」

「そういや、シュバルトどうしたんだ?」

「アッシュがちょっと手加減の仕方間違えて、入院」

「うっわー。おまえやっぱり不良くんだろ」

「断固として違ーう」

「そうよ、チンピラよ」

「ますます違ーう」

「ヤクザなのね」

「絶対に違ーう」

「ギャング?」

「マフィア?」

「国際犯罪組織構成員オズ魔法学園潜入工作員?」

「なんでそんな具体的なんだよ? 全部違うし」

 それぞれに話をしている中、不意に戸が開きピスキーが入ってきた。

「よう、ピスキー」

 アッシュは軽く手を振って、

「昨日はお互い災難だったな。これに懲りたらもうシュバルトと付き合うなよ。委員長も怒るし」

「念のために聞いておくけど、委員長って誰のこと?」

「誰のことだろうなぁ?」

 眉目を危険な角度に吊り上げたウェンディに、異様に上機嫌に答えるアッシュ。

 禁断の世界から逃げ切ったことがよほど嬉しかったようだ。

「そうだね。シュバルトくんと一緒に遊ぶのは、もう止めるよ」

 アッシュへと足を進めながら答えるピスキーの微笑は妙に妖艶だったが、しかしアッシュは気付かずに偉そうに腕組して頷いたりしていた。

「うんうん、それが良いだろう」

「今日からはアッシュくんと一緒にいるから」

「……」

 意味が少しの間理解できなかったのか、しばらくしてからアッシュは疑問符の付いた声。

「え?」

 その手を握り、瞳を潤ませたピスキーは頬を染めて、その思いの丈を告げた。

「好き❤」

「……」

 静寂到来。

「……」

「……」

「「「………」」」

「えーと?」

 私の疑念の声は、なにを疑問に思ってのことだったのか、自分自身わかっていなかったが、しかし状況の引き金にはなった。

「ちょっと待てぇええ!!」

 アッシュは叫んでピスキーの手を振り解くと、一気に後退して壁際に背を張り付かせる。

「おま、おま、おま、おまえ! げ、解毒剤、効いたんじゃなかったのか?!」

「勿論効いたよ」

 変わらず思慕が溢れる微笑で、ピスキーは当然のことのように答えた。

「じゃ、じゃあなんで?! え? ええ!?」

 動揺しきっているアッシュに、ピスキーは自分の心がとても大切な宝物であるのを表現するかのように胸元で手を組むと、諭すように説明する。

「ボクはね、自分の本当の気持ちに気付いたんだ。確かに昨日のことは薬のせいだったよ。でも薬の効果がなくなって、それでも君の事を思うと、胸の中がとても温かくなるんだ。君の肌の感触や香りを思い出すと、なんだか幸せな気持ちで一杯になって、君とたくさん話をしたくて、たくさん触れたくて……だからね、ボクは、ボクは……」

 やがてピスキーは恍惚の表情を浮かべ、愛しい人の胸へ飛び込む。

「アッシュくん、だーい好き❤」

「でりゃ!」

 愛しい人に蹴り倒された。

「クレア! 惚れ薬の残りを探すぞ! 惚れ薬の残りだ! もう一回こいつにぶっかけて他の奴に回せ! そうすりゃ俺は安全だ!」

「全部処分してなくなったわよ」

 手段を選ばなくなってきたアッシュに、私は絶望的な事実を告げるが、彼は不屈の精神でさらなる挑戦への宣言をする。

「なら作る! 製造法はリプター先生が知ってるはずだ!」

 そこへ抗議の声が届いた。

「「そんなのダメよ!!」」

 PFC三人衆が、教室の戸を勢いよく開けて現れた。なにやらぼろぼろな姿になっているあたり、死に物狂いで地下迷宮を脱出したと思われる。

「これは薬の力なんかじゃないのよ!」

 と一年代表。

「薬物使用はスポーツマンシップに反するわ」

 と二年代表。

「ああ、奇跡が起きてしまった」

 となにやら嘆いている三年代表。

「そう! これこそが真実の恋!」

「まさに奇跡は起きたわ!」

「うう、僕の最後のチャンスが」

 三年代表男子生徒の嘆きを、女生徒二人が脇腹を蹴り込んで黙らせる。

「というわけで、薬物使用じゃないからOKよね」

 と一年代表の確認。

「OKなわけないだろ! 重要な問題点をなんで無視する!?」

 アッシュは叫ぶ。

「どこに問題があるのよ?!」

 と二年代表の疑問。

「こいつは男だろ!」

「そんなの些細なことじゃない!」

 と一年代表の主張。

「致命的だろ!」

 そこに教室の戸が再度開かれ、放課後ダンジョンクラブ部長セブリック・キーファーが現れた。

 なにやら顔中から恐怖に近い感情と冷や汗を放出して、不自然に礼儀正しく話し始めた。

「やあ、アッシュくん。君の入部の話なんだけど、なかったことにしてくれないか。いや、だって、ほら、あれだろ。入部はなるべく健全な精神を持っている人間に限定したいというか、なんというか。僕たちが卒業した後、新入部員を君の趣味で選定して変なことをするんじゃないかと、みんなで話し合ってそういう結論に達してね。僕らのクラブをそういう方向にするのは、ちょっと、まあ、つまり、そういうことだから。それじゃ、僕はこれで失礼するよ。ピスキーくんといつまでも仲良くね。でも、できればもう部室には近寄らないように。あはははは」

「ちょっと待て! あんたなんか誤解してるだろ!」

 乾いた笑いをあげながら去って行くセブリックをアッシュは捕まえようとしたが、入れ替わりに教室に入ってきた人物に遮られて失敗した。

「アッシュくん!」

 戸が手加減なしで勢いよく開けられた結果、完全に破壊された。

 そしてアッシュの進路に立ちはだかったのは、ソニア・カーペンター教師。

 次の瞬間にはアッシュの顔前数センチに迫る。

「アッシュくん、話は聞いたわ。あなたイケナイ道に走ったんですって?!」

「走ってません!」

 断固として否定するアッシュの言葉は、彼女の耳に届いていなかった。

「ダメよ! 男の子同士でそんなイケナイ関係になっちゃ! 求めるのは私みたいなナイスバディな女にするの! わかった!?」

「だからそんな関係になってないって言ってんだろうが!」

 蹴り倒されたピスキーが立ち上がると、ソニア先生からアッシュを引き剥がしてしがみ付く。

「先生アッシュくんに触っちゃダメー。アッシュくんはボクのものなのー」

「ああ、やっぱりそういう関係になってるじゃない! わかったわ、私が女の魅力を教えてあげる」

 なにをわかったのか、言いつつシャツのボタンを外し始めるが、PFC女生徒二人に取り押さえられる。

「先生! 邪魔しないでください! ピスキーとアッシュはやっと恋人になったばかりなんです!」

「妨害者は私たちが排除します。だから先生は引っ込んでください!」

「おまえらも俺の主張を無視するな!」

 アッシュがピスキーを押しのけつつ、

「俺はそういう趣味は無いって言ってるだろうが!」

「「じゃあ早く目覚めて」」

 アッシュは学園中に響くほどの大音量で叫んだ。

「絶対嫌だー!!」

 こうしてアッシュの受難は終らないのだった。



 そして……

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