第7話 甘々を通り越してヤンデレ

 どうやら桃ちゃんは少女漫画によって完全に洗脳されてしまっているようだ。


 本棚を埋め尽くすように並べられた兄妹モノの少女漫画を目の当たりにして、自分がとんでもないところに足を踏み入れてしまったのではないかと不安になってくる。


 桃ちゃん……。


 彼女との先行きが不安になりながら棒立ちしていると、コンコンとノックをして桃ちゃんが部屋に戻ってきた。


 ティーカップと茶菓子をお盆に乗せた桃ちゃんは、俺を見るなり驚いたように目を丸くする。


 そして何故か少しムッとしたように頬を膨らませる。


「お、お兄ちゃん、勝手に部屋に入らないでって言いましたよね」


 いや、あんたが案内したんだろうがよ……。


「お兄ちゃんも私ももう子どもじゃないんですよ。そ、そんな風に勝手に部屋に入られたら恥ずかしいです……」


 と、頬を染めて俺から顔を背ける桃ちゃん。


 あ、これお兄ちゃんごっこだ……。俺はそこでようやく桃ちゃんの言葉の意味を理解した。


 どうやら妹の部屋に兄が勝手に入ってきて恥ずかしい、というシチュエーションのお兄ちゃんごっこらしい。


 だけど桃ちゃん……ティーカップを二つも用意してそのセリフは無理があるぞよ……。


「で、何の用ですか? お兄ちゃんが私の部屋に来るなんて珍しいですね……」


「いや、用も何も……」


 勉強を教えてくれるって話じゃなかったんっすか……。


「桃ちゃん?」


「で、何の用ですか? お兄ちゃんが私の部屋に来るなんて珍しいですね……」


 あ、これ強制イベントだわ……。俺もお兄ちゃん設定で話を続けない限り、新しいセリフに進めないやつだわ……。


「そ、それはその……桃ちゃんに勉強を教えてもらおうと思って」


 と、そこで桃ちゃんは「はぁ……」とため息を吐く。


 お、どうしたどうした。


「お兄ちゃん……妹に勉強を教えてもらうなんて恥ずかしくないんですか? 本当ならばお兄ちゃんが私に勉強を教えるぐらいじゃないとダメなんですよ?」


「そうだな。でもこのままだと俺は留年してしまうからな。なりふり構っている場合じゃないんだ。だから教えて欲しい」


 こんな感じのセリフでいいですか?


「もう……お兄ちゃんはいくつになっても甘えん坊さんですね……」


 どうやらオッケーだったようだ。桃ちゃんは「じゃあそこに座ってください」と部屋中央の小さなテーブルを指さした。


 ということでテーブルの前に腰を下ろす。すると、桃ちゃんは何故か俺の真横にぴったりとくっつくように正座すると、テーブルにカップと茶菓子を置いた。


 いや、近い……。


「ところで桃ちゃん……」


「なんですか?」


「このままこんな感じで続ける感じか?」


 すっかり妹モードに入っているところ申し訳ないが、お兄ちゃんごっこは沼にハマってしまう危険な遊びだ。ずっとこんなことを続けていたら、背徳感のせいでとてもじゃないが勉強が手につきそうにない。


 そんな俺の質問に桃ちゃんは「す、すみません……。やっぱりやりづらいですよね。ちょっと調子に乗り過ぎました」と意外にも素直にぺこりと頭を下げた。


 が、頭を上げた桃ちゃんは、突然、正座を崩すと俺の腕にしがみつくと自分の胸を俺の二の腕に押し当ててくる。


 ぬおっ……。


 そして、俺を見上げると何やら頬を染めたままうっとりとしたように俺を見上げた。


「お、お兄ちゃん……、私、お兄ちゃんに頼られて嬉しいです……」


「桃ちゃんっ!?」


 と、お兄ちゃんごっこを止めるどころか、エンジンを全開にしてくる桃ちゃん。


 おい、桃ちゃんよ。今の謝罪は何だったんだ……。


「やっぱりツンツンの妹だとやりづらいですよね。ここからは甘えん坊モードにしますね」


 あ、違う。そういうことじゃない……。


 どうやら桃ちゃんは俺がツンツン妹に難色を示したと勘違いしたようだ。桃ちゃんは棘という棘を全て引き抜いて甘々モードで俺にくっついてきた。


 桃ちゃんの大きな胸の柔らかさを二の腕に感じて俺は平常心を失いそうになる。


 桃ちゃん……凄い……。


「私、お兄ちゃんのためならなんでもします。お兄ちゃんに桃以外の女なんか必要ないって思わせるぐらいにいっぱい甘えさせてみせます。だから……だから、桃のこといっぱい可愛がってください……」


 おい……なんか甘々を通り越してヤンデレ入ってないか?


「あ、ありがとな……」


「お礼なんて必要ないです。お兄ちゃんにとって桃は生きていくのに必要な酸素みたいなものですから、いっぱい私のこと吸ってください」


「お、おう……」


 ああダメだ。桃ちゃんの部屋という決して誰からも犯されない空間にいるせいで、桃ちゃんのリミットが外れてしまっている。


 酸素濃度が濃すぎてもはや呼吸困難になりそうだぞ。


「お兄ちゃん……いっぱいお勉強しましょうね」


「そうっすね……」


 ということでスタートからなにやら雲行き怪しい勉強会が始まった。



※ ※ ※



 が、蓋を開けてみると意外なことに桃ちゃんは教え上手で、俺の理解が追いついていない部分(全体の9割)を優しく丁寧に教えてくれた。


 まだまだ学力アップとは程遠いが、彼女が基礎から丁寧に教えてくれたおかげで少しだけだが留年回避の希望の光が見えた気がする。


「お兄ちゃん、今日はこれぐらいにしておきましょう」


 と、勉強を初めて一時間ほどのところで桃ちゃんはそう言って俺の顔を見上げた。


「あんまり詰め込み過ぎても記憶に残らないので、今日のところはこれぐらいで。あ、でも寝る前に一度復習はしておいてくださいね」


「おう、ありがとな。おかげで少しは勉強が好きになれそうだ」


「お兄ちゃんにとって桃が少しでも役に立てているのなら、妹としてこれ以上にうれしいことはありません」


「お、おう……ありがとな……」


 と一のお礼に十を返してくれる桃ちゃんに困惑していると、彼女はふと何かを思い出したようにスマホを取り出した。


「そ、そういえばお兄ちゃんの連絡先、まだ聞いてなかったですね」


「え? あ、そういやそうだな」


 と、桃ちゃんに指摘されて俺はようやくそのことに気がつく。そもそも友人があまり多くない俺はあまりSNSで誰かと連絡することがない。だから、桃ちゃんの連絡先を知らないことに何も違和感を抱いていなかった。


 桃ちゃんはスマホを操作すると画面にQRコードを表示させて俺に見せてきた。どうやらこれを俺のスマホで読み取らせろということらしい。俺もスマホを取り出すと画面ロックを解除しようとした……のだが。


「お兄ちゃん、その女誰ですか……」


 と、そこで何やらそんなことを尋ねてくる桃ちゃん。どうやら俺のスマホの壁紙の写真が気になったようだ。


「ああ、これは俺が好きだったアニメの声優さんだよ」


「へぇ……そうなんですね……」


 と、そこで俺は桃ちゃんの声のトーンが妙に低いことに気がつく。顔を上げるとそこには何やら灰色の目で俺を見つめる桃ちゃんの顔があった。


「桃氏?」


「お兄ちゃん、せっかくですから二人で写メを撮りませんか?」


 お、急にどうした?


 と、唐突にそんなことを言いだす桃ちゃんに困惑していると、彼女はスマホのカメラを起動すると俺にぴったりと顔を近づけてきた。


 ち、近い……そしてなんだかいい匂い。


「じゃあお兄ちゃん撮りますよ?」


 と、言って桃ちゃんはにっこりと微笑むとシャッターを切った。スマホには可愛らしく映った桃ちゃんの顔と、何か心臓が止まったような顔の俺の顔が表示される。


「あとでお兄ちゃんにも写真送っておきますね。そのあとお兄ちゃんが何をするかは……わかりますよね?」


 と、無駄に朗らかな笑みを浮かべて俺に尋ねてくる桃ちゃん。


 その無駄に朗らかな笑みを見て俺は彼女が何を所望しているのか理解する。


「そ、そうだな……。せっかくだし壁紙にしようかな……」


「本当ですか? あ、あと、スマホの容量がもったいないので不必要な画像は削除しておいた方がいいですよ?」


「はい……」


 桃ちゃん……これってお兄ちゃんごっこだよな?


 今の桃ちゃんはあくまで甘々ヤンデレ妹を演じている桃ちゃんで、本当の桃ちゃんはこんなんじゃないよね?


 お兄ちゃんそれが心配で今日は安心して眠れそうにないよ……。

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