第2話 ユダヤ人の定義

「半分ユダヤ人なんてのはない。ユダヤ人か否かの二択だけ」と言っていた夫。というのも、「母親がユダヤ人だったらユダヤ人」という基本ルールがあるのです。ということは、お母さんがユダヤ人であれば、お父さんが、アジア人でもアラブ人でもスラブ人でも、生まれた子どもは、理論上100%ユダヤ人になります(諸説あります)。


 そこに「ユダヤ教に改宗すればユダヤ人」という、もう一つのルールがあります。ユダヤの民族の血が流れていなくても、ユダヤ教徒であればユダヤ人というルールです。


 ただ、キリスト教と違い、ユダヤ教は非ユダヤ教徒に、積極的に布教されたりしていません。基本的に、ユダヤ教はユダヤ民族のための宗教だからです。


 ユダヤ教に改宗するためには、ユダヤ教の教義や掟を学び、ヘブライ語の聖書を読み、様々な儀式を行う必要があります。ユダヤ人じゃない人がユダヤ教徒になるのは、平たく言うと、も・の・す・ご・く面倒くさいのです。


 夫の子どもたちがユダヤ人になるには、母親である私がユダヤ教に改宗するという方法があるのですが、そうすると、私が夫のために、せっかく苦労してユダヤ教徒になっても、そもそも夫はユダヤ教徒じゃないという、変なことが起こります。


 夫は、ユダヤ人だけどユダヤ教徒じゃありません。「そんなのユダヤ人じゃない!」とおっしゃるユダヤ人グループも、そりゃあ、いらっしゃいます。でも、夫のようなゆるいユダヤ人、かなりいるようです。ユダヤ教の戒律を厳しく守っている人たちを「オーソドックス」、そうでもない人たちを「リベラル」と呼んだりするのですが、「オーソドックス」にもいろいろ、「リベラル」にもいろいろ、スペクトラム的に戒律を守る度合いが違うようです。


 さて、二人の子どもが生まれて数年後、夫に聞いてみました。

「うちの子たちってさ、ユダヤ人じゃないんだよね?」

「え? 半分ユダヤ人でしょ」


 どっちだよ! 


「え? 母親がユダヤ人か、ユダヤ教に改宗するかしないと、ユダヤ人になれないんじゃなかったっけ?」

「いや〜、僕としては、そんな固いこと言いたくないわけでさ」

「『僕としては』という話なんですか、これは?」

「『私はユダヤ人です』て本人が言ってれば、それでいいんじゃないの?」


 ゆるすぎる!


「じゃあ、私が今日から『私はユダヤ人です』と言えば、あなた的には、私はユダヤ人なの?」

「……それはちょっとなァ」


 だんだん腹が立ってきた。


「やっぱ、バル・ミツヴァー(ユダヤ教の成人式。女子の場合はバト・ミツヴァー)くらいはやってないと。あと、男子は割礼かつれいしてないと、やっぱユダヤ人って言えない気がする」と、夫。


 夫にとって、ユダヤの儀式は宗教というよりも文化的な要素が強いようです。バル・ミツヴァーは、男子が十三歳くらいになると行われる儀式で、ヘブライ語の歌を覚えたり、その年頃の子どもにとっては、かなりの努力が必要とされます。そういう経験を持った人同士、共通の思い出があるというのが、夫にとっては大切なのでしょう。


 かのように、なにを持ってユダヤ人とするかは、人によって違うように思われます。そして、夫にとって、ユダヤ人の男たるもの、割礼は必須のようです。


 ということで、割礼の話をしたいと思います。

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