第38話 混浴にて

「結局、笑っただけでなんも答えてくれなかった」


 誤魔化された。


「だいぶ核心を突いたつもりだったんだけどなぁ……」


 【魔王】のリコリスという名前は古文書に記録されている『黄昏の花』に名付けられた名前そのものだった。と、指摘すると、あいつは「まぁ、それは置いといて。温泉入ろう」と乱暴な話題転換をして、部屋を出ていった。


 今、俺はユノ村の大浴場にいる。


 岩で作られた湯気の立ち込める露天風呂。

 旅館の部屋と同様、東方の島国の趣向をふんだんに凝らした居心地のいい空間。竹でできた仕切り板や椅子からかぐわしい匂いが漂う。

 隣には、おそらく【魔王】がいる。


「あそこは……誤魔化すところじゃなかっただろう」


 【魔王】はこの村に目的があって来ている。

 その理由を問いただそうとしたが……。


「もしかして、ここで聞けってことか……?」


 俺の視線の先。

 仕切り板は完全に男湯と女湯の空間を断絶しているわけではない。

 湯船が使った一か所。仕切り板がない空間、通路がある。

 混浴への入り口だ。

 そこから先は男も女も自由に出入りできる。


「混浴に、もしかしたら、」


 裸の【魔王】がいるかもしれない。


「まさか、まさかだろ……!」


 首を横に振る。

 そんなのはベイルと同じ考え方だ。スケベだ。俺はスケベじゃない!


「……なぁにを考えてんだ。ここに【魔王】を誘った時点で、もうそういうつもりじゃないか」


 今更だった。


 ベイルに言われるがままに、一応ではあるものの女房を誘った時点でそういうことだろう。

 それに、【魔王】の方から「温泉に入ろう」とあのタイミングで言ってきたのだ。

 互いに裸になって、腹を割って話そう、そういう意思が隠されているんじゃないか。

 だとしたら、あいつは、混浴で待っている、ということになる。


「…………女をずっと待たせるのは、ダメだよな」


 立ち上がる。


「よし」


 いざ、混浴へ。

 ざぶざぶとお湯をかき分け、混浴への入口へと向かう。


        ×      ×     ×


 濃い湯気が立ち込める露天風呂。

 混浴は男湯よりもいっそう湯気が濃ゆかった。

 開けた景色が一望できる作りになっており、ユノ村近くの、よく俺が探索に行っている森が……本来だったらよく見えるのだろう。


「何も見えねぇ」


 だが、あまりにも湯気が濃い。

 深い霧の中にいるようで一寸先も見えない。


「……お~い。【魔王】?」


 試しに呼びかけてみる。


「…………思い過ごしか」


 返答は、ない。


 やっぱり俺の考えすぎだったか……だけど、ここにしばらくいたら、もしかしたら【魔王】が来るかもしれない。


「ま、ここもいい湯だし、ちょっとくつろいでおくか」


 腰を下ろし、湯船に深くつかる。


「あ~……」


 いい湯だ。


 ここの湯は傷の治療にもいいと言う。

 戦ってばかりの生傷が耐えない身に染みわたっていく。


「ふぅ……これで、もっと景色がよく見えると、最高なんだけどな」

「本当にそうですね」


 近くから、女の人の声が聞こえた。

 【魔王】の声じゃない。

 だけど高い、子供の様な声だ。


「誰かいるんですか?」

「はい。こっちの方が景色が良く見えると思ったんですけど、全然ですね。女湯の方はもっと湯気が濃ゆくて……風の影響かな?」


 隣へ、よく目を凝らして見てみると人影が見える。

 髪を結んだ、小柄な女の人の姿だ。

 彼女も遠くに見える森の景色の方を見てくつろいでいる。

 混浴で、男だとわかっているのに、随分と気軽に話しかけてくるなぁ……。

 俺はあまり混浴という文化を知らなかったが、これが普通なのか?


「大丈夫ですよ。ちゃんと巻いてますから」

「へ?」

「タオル。

 ここの温泉は混浴があるから、巻いたまま湯船に入ってもいいんですよ。って私もさっき聞いたばかりなんですけどね」 


 そして、「ハッハハ……」と妙にリズムをとった苦笑をする。

 …………なんか、段々この人が知り合いに思えてきた。

 このちょっと子供っぽい声も、なんか聞き覚えがある気がする。


「あなたは旅人ですか? 俺はこの村に最近住み着いたばかりの人間ですけど。この旅館にいるってことは、そういうことですよね? でも、なんか俺あなたを知っているような気がするんですけど」

「やだ! ナンパです……か?」


 返答の、トーンがおかしかった。

 「やだ」と言葉を発したときは少し声色が弾み、「またまた、ご冗談を!」というテンションのトーンだった。

 が、「ナンパです」まで言った段階で、「知っている」という俺の発したワードを頭の中でかみ砕き、よくよく考えれば彼女自身も心当たりがあるような、記憶を探り、口と脳の動きが乖離してしまう、上の空になっているようなトーンになった。


「レクス?」


 彼女の口から俺の名前が発せられた。


「そうです……け……!」


 俺も、思い出した。


 この女性は、俺の知り合いだ。

 ザブザブと、水をかき分ける音が聞こえる。

 人影がこちらに近づき、段々姿がはっきり見えてくる。


「レクスがどうしてここに……」


 ぱっちりとした瞳にストンとした凹凸のない少女のような体のライン。

 そして———オレンジ色の長い髪。


「エル・シエル……!」


 どうしてここに、は俺のセリフだ。


「それよりも……やっと会えた……!」


 エル・シエルが目に涙をためて抱き着いてくる。


 勇者パーティの一人の【賢者】が———どうしてこんな場所にいるんだ?

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