第36話 動き始める物語

「ハァ……ハァ……ハァ……」


 薄暗い、どんよりとした魔力が満ちる沼地。

 背の高い草が生い茂る、先の見えないその中を、一人の少女が走っていた。

 黒ローブを纏い、つばの長い三角帽子をかぶった、オレンジ色の髪の少女だ。


「はやく、早くあいつに会わなないと……!」


 頬には擦り傷、服もところどころ破れて、ボロボロの状態だ。


「あいつに会って、連れて行かないと……!」


 草に掌を切り裂かれ、小さな切り傷がついても、彼女は気にしない。それどころではないと沼地を駆け抜けていく。

 魔法も使わずに。


「【勇者】の元に……アランの元に戻ってもらわないと!」


 【賢者】———エル・シエル。


 彼女は魔界の沼地を一人で駆け抜けていた。

 【魔王】の元へ向かう方向とは逆の方向、魔界の入り口のレッカ火山に向かって。いや、その先にある、


「ユノ村へ!」


 彼女は、必死に、自らがたどった旅路を戻っていた。


           ×       ×        ×



 スタンと戦ってから一週間の時が過ぎた。

 〝魔王を倒すという崇高な目的を捨て、勇者パーティから逃げ、魔族と駆け落ちした〟

 という、半分ベイルが原因のレッテルはいまだ張られ続けているが、村の顔役ともいえるスタンが認めてから、ある程度村人の態度も軟化し、今までは「何考えてるのかわかんない。こっちこないで」と露骨に拒否の態度を示されていたが、段々「全くもう、しょうがない人だねぇ。反省してるんならこっちに来てもいいよ」と刑期を終えた囚人に対するような態度に変わっていった。

 まぁ、認めてもらえるのなら何でもいい。


「おんや、レクスさぁん、こんにちは!」


 依頼をこなして村へと帰ってくると、丁度土産物屋のオットーが店の前に出ていた。


「オットーさん。どうもです。景気はどうですか?」

「いまん時期は冒険者が来れる時期じゃ無いけんねぇ。もう少し寒くならんと」

「ここら辺の魔物。強いですからね」


 魔物と言えど、生物。

 寒い時期になると多くの魔物が活動を止め、眠りに入り、逆に暑い時期になると魔物の活動は活発になる。

 ユノ村近くの魔物のレベルは高いので、この村に来れる人間はそうはいない。だからこそ、あまり魔物と遭遇しない冬の時期に訪れて、魔界近くという地形特有のレアアイテムを王都に持って帰り売りさばく。そういった商売を生業にしている冒険者は結構多い。

 魔王を倒そうと気合を入れている人間ばかりじゃない。

 そんな人間はすぐに死んでしまって、この村に金を落とさないし、だったら、魔王と戦う気はなくてもこの村に金を落としてくれる商人気質の冒険者の方が、ユノ村にとってはありがたいのだろう。


「ま、何とかやっとるよ。それでもスタンたちと商売する行商人は来るけんね。そいつら相手に商売しとるよ」

「商人相手にって、中々できそうなものでもないですけどね。賢そう、値切られそう」

「まぁ、それでも客が全くおらんよりはましたい。それに商人だからって頭いい奴ばかりじゃなか。どの世界にも馬鹿はおる。あの追放王子のようなね」

「おっちゃん! この『竜人族の髪の毛』ちょうだい!」

「あいよぉ! 毎度ありぃ!」


 店の奥にいたベイルが黄色い糸のようなものを掲げてオットーを呼んでいる。


「お前……こんなところでもなんかやってんのか?」

「あら、レクスちゃん。こんなところでお一人で」


 パパッと会計を済ませ、ベイルが店から出てくる。


「依頼をこなしてきたんだよ。ほら」


 と、赤い毛皮を掲げる。


「レッドウルフの毛皮?」


 ここいらで出る、火を噴く狼の魔物の毛皮。それを十枚。

 それが酒場で俺が受注した依頼だ。


「そ。何だよ。なんで疑問形なんだよ」

「いや、ずいぶん苦労したんだなって……煤だらけだよ?」


 俺は、ボロボロだった。 

 頬には黒いすすが付き、腕や脚の布は破れて火傷のあとがちまちまとある。


「レッドウルフは『物理無効スキル持ち』だからな。一度攻撃を『吸収』してそれを跳ね返すことでしか【凡人】の俺はダメージを与えられないから。苦労した」

「ああ、そうか。でも、それなら、リコリスちゃん連れて行けばよかったんじゃないの?


 〝魔族〟なんだから魔法ぐらい使えるでしょぉ?」


「いや、いい加減一人でどうにかしないと……」


 ここら辺は『物理無効スキル持ち』が多いので何度か【魔王】と共にクエストに出かけ、【魔王】の魔法を件で吸収して敵にぶつけると言うスタイルで戦っていた。

 だが、途中から「これ俺を介すより、【魔王】が直接魔法ぶつけた方がよくね?」と気づき、自分自身の存在意義が揺らいできたので、【魔王】から自立し、一人で何とか出来る方法を模索しようと、今頑張っているのだ。


「ふぅん」


 そんな俺の事情何て心底どうでもよさそうにベイルがユノ村の奥にある温泉旅館を見つめる。

 城かと思うほど巨大なユノ村温泉旅館。

 通称お屋敷は村の一番の資金源であそこに停まりに来る冒険者でこの村は潤っている。

 レッカ火山の地下から噴き出る、魔力がこもった温泉が健康にいいと評判なのだ。

 大通りの先に待ち構えている作りで、本当に権力者の城を思わせる。


「温泉旅館を見て、何で黙るんだよ」

「……別に。ただレクスちゃんってあそこ泊まったことあるのかなって」

「いや、ないけど。住んでる住民ならないんじゃないの?」


 オットーに視線で同意を求めるが、オットーは天井を見つめ、


「何度かは……言っとるよ? まぁ、この村に住んどるとどこの家でも温泉には入れるけん。そうしょっちゅうはいかんけど。あの温泉旅館の風呂はやっぱりきれいやけん。記念があったら入りにいったりはするよ?」

「住民でもそういうもんなの?」

「そういうもんなの!」


 ベイルがガッと肩を組んで俺の耳元に顔を寄せる。


「うわっ、レクスちゃん臭っ! 焦げ臭っ」

「魔物の炎、至近距離で浴びたてですが。何か?」

「そんなんじゃ、リコリスちゃんに嫌われるよぉ? お風呂に入って洗い流さなきゃ」

「今からそうしようとしてたら、厄介な追放王子に絡まれてるんだが?」

「そう、それがいいよ。温泉に行きなよぉ」

「話聞いてる? 家の風呂に」

「実はね……」


 俺の耳元にさらにベイルが顔を近づけ、


「温泉旅館には……混浴があるんだよ」


 と、言った。

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