悪魔世界紀行

たいよう

第1章 出発篇 とある映画館

第1話 記憶喪失の男と天使

 いきなりで何が何だか分からなかった。


 今、俺は室内にいる。

 かなり広い。


 室内には、背もたれがついた椅子が大量に設置されていた。

 さらに室内の一番奥には白く大きいスクリーン。

 ……つまり今、俺は映画館にいるようなのだ。

 

 突然眩しい光に包まれたと思ったらここに立っていたのだが……どういうことだ?

 見たこともない場所だ。

 どうやって、どのようにしてここに来たのか分からない。

 おまけに何も思い出せない……記憶がないのだ。

 自分の名前、年齢、出身地、両親、友達、何も思い出せない。

 なぜだ……なぜだ?


 身分証明書か何か持っていないかとポケットの中を調べてみるが、持ち物は何も持っていない。

 普通財布か何か持っているだろうに。

 ポケットをひっくり返しても埃一つ落ちてこないとは……


 クソ……状況が分からないだけじゃなく、自分のことも把握出来ないってどういうことだよ。

 そんなことも分からないって普通あるか?

 

 状況を聞ける人がいればだいぶ違っただろう。

 そう。

 この映画館には人がひとりもいないのだ。

 映画が終わってみんな退場したのだろうか?


 にしたってボーっといつまでもつっ立っているのだから、こんな状態になる前に誰か声をかけてくれてもいいだろう。

 映画館のスタッフとかさ。

 ずっと放置かよ。

 そう考えると、なんだかセンチメンタルな気分になってきてしまった。

 もしかして、俺ってナイーブな性格の持ち主なのだろうか?

 

 ……まあ悩んでいても仕方ない。

 とりあえず、自分の中の困惑を押し殺して室内を調べてみることにした。

 何か行動を起こさないと何も始まらないからな。

 状況の打開はまず行動。

 ということで、結果。


 出口らしいドアが室内の一番後ろに一箇所だけあった。

 他に俺がどうこうできそうなものは何もなかった。


 とりあえず、ここを出よう。

 そう思い、ドアに近付く。

 

 「……やけに豪華なドアだな?」


 そのドアは銀みたいな鈍く光り輝く貴金属で作られていた。

 天使の絵が所狭しに掘られ、中心には『stella』の文字が。

 扉の枠には、ぎっしりと文字みたいな奇妙な模様?が刻まれている。

 なんか神々しいなぁ。


 俺に物の価値を判断する目はないが、まあ相当高価そうな材質だというのはよくわかる。

 はっきり言って映画館には似つかわしくない、美術館に展示されていそうなドアだった。

 映画館の雰囲気に全く合ってないし、違和感ありまくりである。

 

 ドアがあったのはいいんだが、開けてしまっても大丈夫だろうか。

 理由もなく不安になる。

 いや、開けなきゃ何も自体が進まないのは分かっているのだが、どうしてかドアを開けることに葛藤を覚えてしまう。

 なぜだろう?

 進まなきゃ状況が進展しないことは分かっているのに。


 俺は臆病なのか?

 これが俺の性格?

 記憶がないので分からない。


 だが、さっきも言ったとおり、他にアクションの起こしようも無い。

 ドアから発せられる忌避感と戦いながら、とりあえずドアのすぐそばまで寄ってみることにする。


 「待ってください」

 「うおっちょい!!」


 いきなり背後から声が聞こえ、ビビる。

 なんと、白い服を着た女性が俺の背後に立っていた。


 清潔そうな白いワンピース。

 サラサラな長い金の長髪。

 外国人みたいな端正な顔。

 うっすら輝く小柄な体。

 まるで後光が差しているようだ。


 めちゃくちゃ驚かされた……

 だってさっきまでこの室内に誰もいなかったじゃないか。

 いつの間に……


 「久しぶりに会えたと思ったら、第一声がうおっちょいですか……」

 「いや、幽霊の如くいきなり現れて背後から声を掛けられたら、誰だってうおっちょいの人になると思うんだ」

 「せっかくの感動が台無しです」

 「これのどこに感動要素があるのかよく分からん」

 「まああなたは記憶喪失でしょうからね」


 ……俺が記憶喪失なことを知っている?


 「俺ってお前と知り合い?」

 「ですね」


 どうやら俺と知り合いらしい彼女をよく見てみると、天使の頭にあるとされる輪っかが頭の上に浮いていた。

 天使の輪……ヘイロウって言ったっけか?

 紐で吊るしているとかそんな感じでもなく、しっかりと浮いていた。

 光っている。

 あ、後光の正体はこれか。

 ということは、こいつは天使ってことか。


 そうか、天使か。

 なるほどね。


 ……いや、嘘やん。

 俺は自分に対して冷静にツッコミをいれた。


 「天使のコスプレか」

 「天使なのは正解です。しかし私はこんな無人の室内で誰にも注目されないのに、天使のコスプレを平然と行うような変人ではありませんよ。ちなみに頭に浮いている輪っかは本物です。紐で吊るしたりもありませんしね」


 俺の考えていることはお見通しだったようだ。


 「思考を盗聴したな」

 「では自分の頭にアルミホイルでも巻きますか?」

 「生憎手元には何もないんでね」

 「では……」


 と言って、彼女は手のひらを俺に見せたかと思うと、ポンッと何もない空間からアルミホイルを出現させた。

 二回目の驚きが脳内を信号として駆け巡る。

 ……魔法?


 「その通り、魔法です」

 「先読みで言わんといてくれるか?」

 「表情でバレバレですから。相変わらず感情を隠すのが下手ですね」

 「さっきから当然のように俺と知り合いなこと前提で話してるが、いまいち信用できないぞ……」

 「でも、私が何もないところからアルミホイルを出したことで、人間でないことは察したでしょう?」

 「……まあ」


 否定しないし、できないのであった。

 手品で出したとは思えないほどの現象だったからだ。

 アルミホイルの話題があらかじめ出てくると分かっていれば、現物を用意して魔法のように出現するよう見せることはできる。

 しかし、アルミホイルの話題が俺との会話に出てくると誰があらかじめ予想できるだろうか?

 つまり、そういうことだ。


 「その知り合いの天使様が俺に何の用なんだ?」

 「あなたを導くのですよ」

 「天使だから?」

 「私が私であり、あなたがあなたであり、あなたが悪人だからです」

 「私が私? というか俺が悪人だって?」

 「はい」


 極めてシンプルな返答だった。

 いや、俺なんも悪いことしてないしと反射的に言おうとした直前で思いとどまる。

 記憶喪失だから、なんも言い返せないや俺。


 何も悪いことをしていない。

 俺は悪人じゃないんだぞ、と。

 自信を持って言うことができない。


 そう思ったところで、ふと疑問に思った。

 俺は……人を殺している?

 それも、何人も?


 どうしてそう思ったのかは分からない。

 記憶が断片的に蘇ったわけではない。

 が、そう思ってしまった。

 俺は悪人?

 では、ここは?

 思考の坩堝へと俺の脳は歩み出る。

 だから無言になってしまった。

 そんな俺を覚醒させるように、目の前の美しい彼女が話し出した。


 「初対面ではないですが、とりあえず自己紹介が必要ですね」


 と、天使は言った。

 至極当然のことだ。

 知らないから、自己紹介。

 当然の言葉には、意外と思考の渦から俺を引き揚げさせる力ぐらいはあったようで、意識が表の世界へと戻ってくる。

 

 「私はあなたという魂のパートナー。名前をサリアと言います」

 

 目を合わせると、丁寧に自己紹介をしてきた。

 業務的ではない、何か感情のこもった言葉だった。

 というか天使でも自己紹介はするんだな。

 超常の存在は自己紹介などしないとばかり思っていたが、ただの固定概念だったな。


 「俺は……名前が思い出せないから自己紹介しにくいけど、まあよろしく」

 「名前を名乗れないことはあまり気にしない方が良いですよ。段階を経るにつれて、思い出してきますから」


 ああ、出たよ、すべての事情を知っていそうなこの口ぶり。

 不思議な力を使う者が目の前に出てきたってことは、きっと異常な事態に俺は巻き込まれているのだろう。

 ただ、この無人の映画館に突っ立っていたわけではないってことだ。

 そして彼女……サリアは俺と敵対している気配もない。

 事情も知っていそうとくれば、このまま話の流れに乗っかって、状況を把握するべきだろう。


 でも、気になることが一つ。

 さっき女天使は俺のことを、あなたという魂とか言っていたな。


 これはひょっとするともしかすると?

 考えたくもないんだが、これはそうなのかもしれない。

 いや、だがあるいは……


 ……これは聞くしかあるまい。

 聞かないといけないだろう。

 聞かなくてもサリアから話されるような気はするが、自分で聞かなければいけないような気がする。


 理由はないが、自分の直感は信じておいた方がいい気がするのだ。

 心の準備をして、女天使に対して返答してみた。


 「一つ聞いていいか?」 

 「はい、なんでしょうか。答えられる範囲でのことならできるだけお答えしますが」

 

 よし。

 聞くぞ。

 覚悟はいいか俺。

 覚悟はいいかぁぁ!

 気合を十分に蓄積させながら、サリアに対して俺は言う。

 

 「俺はもしかして死んだのか?」

 「はい、その通りです」


 サリアは間を置くこともなく答えを返した。

 特に悲しむ様子もなく。

 ある程度覚悟はしていたので、軽いショックで済んだ。

 済んだのだが。

 ああ、やっぱりこんな超常現象とか天使とか、現実には存在しないもんな。

 ありえないもんな、とか思った。

 

 いや、いいんだよ。

 死んでしまったものは仕方ない。

 起こってしまったものは仕方ない。

 記憶がないから死因は分からないし、証拠もないが、なぜか納得は出来た。

 納得してしまったものは仕方ない。

 むしろ納得出来たことは好ましい。

 未成仏霊とか考えたくもないしな。


 だが、それを抜きにしても1つ思うことがある。

 もう少しためらって、同情の気持ちを少しぐらいは持ってくれてそうな声で伝えてくれてもいいんじゃないのか?

 もうちょっと相手に配慮してくれてもいいんじゃないか?

 だって死んだんだぞ。

 死んだ原因が自業自得なのかどうかは聞かなきゃ分からないが、少しは同情してくれたっていいだろ?

 具体的には言いづらいが、もうちょっとこう、言葉をオブラートに包んで言ったっていいはずだ。

 なんか悲しい。

 いや、馬鹿げたことを望んでいるのは百も承知だが。

 こういうのは理屈じゃなくて気持ちなんだよ……

 

 「コロコロと表情を変えて、忙しそうですね」

 「……そりゃあ、死んだと言われれば気持ちも落ち着かなくなるだろ。だって死んだんだぜ?」

 「ですね。それに、きっとあなたは私に聞きたいことが色々あるでしょう。説明が必要なのは分かっています。大丈夫、私がついていますから」


 急に、そんな温かい言葉が。

 俺の胸を少し打って。

 さっきまでの悲しみが和らいで。

 不思議と懐かしい気持ちとなり。

 少しだけ俺は落ち着いたのだった。

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