2017.11.19 厭世家の日曜礼拝
日曜日の朝に行くクリニックは、なんだか教会のようだった。
日曜ってキリスト教の人だと、ミサ? をやる日なんじゃなかったっけ。別に俺は神様なんて……って感じだし、きっと神様の方も同じだろう。でも、どこか厳かな感じがした。寺とか神社とはまた違う。トーストの匂いもしたしね。
みんな、見たくないものからは目を背ける。
その余力がないほど疲れ果てている人なら、まあ仕方がない。でもたとえ恵まれていても、「みんなそうしている」という空気さえあれば、揃って見ないふりをする。判断基準なんか、きっとそんなものだ。そこに信念や信仰はない。だから罪の意識さえもない。みんな昆虫みたいにシンプルに、考える前に動いているだけなんだから。
昨日そんなことを考えていたら、ふと、先生が多神教の話をしていたのを思い出して、無性に話したくなった。だから、朝イチに訪ねてしまった。
「いやに早いですね」
音原先生はクリニックに住んでいるのか? と思ったけど多分違う。普通に服も着替えて、髪も整えてたし。ま、たまたま早く来てたんだろうな。
で、その話をした。目を背ける話を。
「半分は同意します」
コーヒーを淹れてもらって、それを飲みながら駄弁った。他の予約がなくてよかった。
「半分、ですか」
「はい。あえて言うなら、その説には『損をしたくない』という心理が抜けていると思うので」
「あ、そっか」
「まあ……人間は損得の計算というか、生存戦略についても、別に他より優れているとは思えませんがね」
出たよと思った。俺もそんなに楽観主義者じゃないが、この人のそれはもう病的だなって感じがする。普段まともに思いやりとか出して喋ってるのがかえって、なんか、さぁ……。
「そうなんすか?」
「はい。例えばヒトは、他の動物に比べて驚くほどに自己犠牲を選びません。代わりにあるのは利他的な罰だけです」
「ジコギセイ……」
いよいよ本格的なミサっぽくなってきたな。
俺はマグカップのコーヒーを啜りながら、そう思った。
「特にこの国の人間はそれが顕著でしょう。昔はまだそうでもないところもありましたが、最近は特に悪化している」
「ふーん……じゃあ、利他的な罰って?」
「一言で言えば、裏切り者への報復です」
こっわ。と内心で俺は思った。
「他の虫や動物の場合、子供や兄弟を死なせないために自分が死ぬ、というのはよくある話なんですがね」
「でもライオンは、自分の子供を崖から突き落としたりするんでしょ?」
「それは空想です。その諺でいう『獅子』とは、ライオンを元ネタにした架空の生き物のことを指しているんですよ」
へー。物知り。
「まあ、ヒトも自分が犠牲になったら遺伝子が残らないので、そういう意味では他と同じだと言えますが。ただ、そこにいろいろ意味やら理由やらつけているのは、非常に気に食わないところです。個人的には」
個人的にかい。
「誰かを犠牲にしたのなら、それを認めて敬意と感謝を表せばいいだけの話です。思考を持たない虫は、それを懸命に生きるという行為で示します。でも人間は『いじめられる方が悪い』とか、平気で言いますからね」
「はあ……」
一方的に愚痴を吐きすぎたと思ったのか、咳払いをして、先生は俺に聞いた。
「ところで、どうしてそんな考え事を?」
「あ、はい。昨日、仕事に行ったんですけど……」
かくかくしかじか。
説明を終えると、先生は苦い顔をした。結構珍しい。苦い話はよくするけど、顔はいつも無表情っぽいのに。
「そうですか。それで、君は、その家族に営業をかけるつもりなのですか?」
聞かれて、ちょっと迷った。
「いや、それはちょっと、まだ決めてないかな。あ、先生だったらどうします? 参考までに聞きたいな〜……なんて」
ちょっと図々しすぎたかな、と笑って誤魔化そうとした時、先生がまた聞いてきた。
「私の意見はともかく。もし営業をかけるなら、具体的に誰にするつもりなんです?」
「というと?」
「君は誰が死ぬべきだと思いますか。その一家の母親、父親、娘のうちで言うなら」
それはもちろん、と俺は答えた。
「父と娘です」
「なぜ?」
「だって、罪でしょう」
「罪というのは、近親相姦のことですか。でもハッキリそれを見たわけではないのでしょう? 誤解かもしれない。あるいはその場合でも、娘は抵抗する力がなかったから無罪とみなして父親だけ殺す、というのでも十分なのでは?」
そう言われて、俺は初めて少し考えた。そして、こう答えた。
「いや、自覚がないから罪じゃない、とはならないでしょ。ていうか……そんなこともわからないまま生かされてる方が可哀想というか」
「そんなこととは?」
「だって、自分がひどくおぞましいことをされた、あるいは今まさにされてる、って自分でわからないんですよ。周りにはちゃんとわかってて、知られてるのに。そんなの地獄だ」
知らない方が幸せだなんて、本人はともかく、あの母親が納得できるとは思えない。実際やってるかやってないかなんて、俺にはほとんどどうでもよかった。でもあれはやってる。きっと。そもそも、風呂には誰が入れてると思う? 母親が話の中でポロッと言っていたよ。父親と交代でやってると。
別に慈悲の天使になるつもりはないが。
もし尊厳が一つもなくても生きられる人間がいるとしたら、それは本当に人間なのか? 俺は——他人のことを言えないのはわかってる。もしかしたら彼女は彼女で幸せかもなんて、昨日からもう何十回と考えたし、この街に溢れる要介護の年寄りのことも頭には浮かんだ。
でも、それでも俺はまだ一人でトイレも風呂もするし、人並みに秘密もある。それに、下の世話されるようになった老人にしたって、それまで生きてきた全ての誇りが失われたりはしないだろうし、何より「みんな」と同じだ。赤信号も、認知症も、一人よりみんなで渡ればそんなに怖くない。はず。
でも、あの子はどうなのだ?
あの子と全く同じ子は、おそらくいない。
なぜなら遺伝子のわずかな差で、同じ診断名をつけられても、知能も性格も十人十色だから(と、あの母親が言っていた)。似通った子はいるかもしれないが、あまりにもレアケースだし、同じ小さな街の中にいる確率は低い。そうなれば、もう環境が違いすぎて、必然的に重なる要素もなくなる。
別に死ねばいいとまでは、思ってない。
それは、一応女の子だから。
でも、それだとしても、将来もっともっと悪意ある者から悲惨な目に遭わせられて、しかもそれを自覚することもできず、表面上は幸せで優しい世界に暮らし続けさせられるのなら、何もわからないまま一息に殺される方がまだ優しい結末なのではないか——。
あの時俺が考えたことは、今まとめ直したところも含めると、そんなところだった。
ま、やばめの考えだって、一応自覚はあるよ。でもあの時、たった一人の聞き相手は音原先生で、俺の即席の神父様だった。だから、素直に話した。つまらない顔のカウンセラーに話したり、つまらないセラピーの中で体験談を話すみたいに。
そうしたら、先生はいつかみたいに、また笑った。言っとくけど、もちろん笑いどころなんかなかった。こっちは真剣に話したってのにさ。
「君はやっぱり個性的ですね」
そんなことを言われて、子供扱いにちょっとカチンとは来たけど、まあ、差別だと怒られたりしなかっただけマシだと思うことにしたよ。何しろ、俺は弱いからね……いくら礼拝でカウンセリングとはいえ、顔色伺うのを忘れるわけにはいかなかったよ。
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