厨房


 ペリー家の食糧庫、ヴォルトの奥は広い大部屋で、中には立派な厨房があり外へ出ずに調理をすることもできた。


 まだコリンが幼かったころは、そのまま食べられる果物やビスケットなどを勝手に食べていた。


 でもせっかく中にも厨房があるのだからと、コリンが見様見真似で料理を作るようになり、おかげでますます外へ出る時間が減った。


 八歳の時にコリンが一人で料理していることを父と兄に知られて、以来無理やり店の厨房へ呼ばれるようになった。


 それからコリンは二人から正式に料理を習い、おかげで次第に腕を上げた。


『砂丘の底』の厨房では、神秘的なこの食糧庫のおかげで、普通なら見ることもできないような本物の素材を調理できる。例えば、本物の海の魚とかだ。


(まあ、それが本物の海の魚なのかは、実際よくわからないんだけれどね)

 コリンは店の厨房でソーセージを炒めながら、ヴォルトに引きこもっていた日々を懐かしく思い出していた。


「今日はエールだけ売れて、簡単な料理の注文ばかりだよ」

 出来上がったフィッシュアンドチップスの皿をケリーに手渡しながら、コリンはぼやいた。


 この惑星の町では安価な合成食材が地下の工場で大量に作られているため、食材の多くは半加工品の状態で流通する。


 その分調理の手間はかからないし、自動調理器へセットすれば、安心・安全で安定した味と栄養が保証された料理が、手軽に供給される。


 勿論『砂丘の底』でも町からそうした食材を買って、たくさん使う。


 特にパンや一部のフレッシュチーズ、ヨーグルト、お菓子などの加工品を始め、作るよりも町の専門店で仕入れた方が簡単で美味いものも多い。


 ある程度、様々な食材を町から買っては、ヴォルトへ保管もしている。

 ヴォルトに持ち込まれた食材は、時を止めたようにそのままの状態でいつまでも保存される。


 勿論、そうした食材は使えば減るが、それだけでも使いきれないほど長年のストックが眠っている。何しろ,三百年の歴史を誇る店なので。

 素材の関係で、『砂丘の底』では古代地球時代の調理スタイルが、今でも生きている。


 御伽噺の魔女が魔法の秘薬を作るように、大きな鍋に様々な素材を入れて、何時間も煮込んでスープを作る。


 自動調理器に比べると冗談のような手間だが、そうして生み出される本物の料理は、根本的に味が違う。


 固い食材を割り、巨大な肉の塊や魚を捌くために、大きな包丁を振り回す。

 鉄製の重いフライパンや中華鍋を振るい、大火力と格闘して大汗をかきながら、魂を込めた料理を作るのだ。


 そうして軟弱だったコリンは、調理場の中で父と兄に日々鍛えられた。



 ヴォルトに引きこもり孤独だったコリンに人間の友達が出来たのも、猫のニアのおかげだった。


 コリンが店の厨房を一人で任されるようになるまで腕を上げたのは、十歳を過ぎたころで、ちょうどそんな時に同い年の少年少女、ケンとシルビアに出会った。



 いつも一緒にいたニアとコリンだが、コリンが店の厨房へ入るようになると、その時間には別行動になることが多かった。


 店は朝まで営業していて、その前には料理の仕込みも必要だ。それに加えて、コリンが料理を教わるために厨房へ呼ばれる時間も長くなる。


 衛生上の問題から「猫を厨房に入れるな~!」と父親のエドガーがすぐに怒鳴るので、ニアは店の厨房へはあまり近寄れない。



 一旬(十日)に一度の定休日と、月に何日かは必ずある悪天候による休業日以外は、コリンとニアの接触が減っていた。


 人見知りのコリンは接客が嫌なので、厨房から出ずに店の運営は父と兄に任せていることが多い。


 男三人家族の他に、店には町から通う女性スタッフが何人かいて、毎日交代でやって来る。

 その華やかな女性たちを目当てに来る客も多く、店は一晩中賑わっていた。


 店が開いている時間帯、ニアは客室にいることが多く、ウエイトレスや常連客から可愛がられて、店の看板猫としての地位を確立していた。


 店が終わればコリンとニアは二人で地下へ降りて、いつもの光る酒をたっぷり飲んで、ヴォルトの片隅に備え付けたベッドで一緒に寝た。


 ニアは夜行性で昼間は寝ていることが多く、コリンが夕方から仕込みで忙しい時などは、ふらりとどこかへ出かけることも多かった。


 そんなニアがある晩どこへ出かけたのか、店が閉まる早朝になっても戻らなかった。


 コリンは念のためヴォルトの扉を少し開けたまま先に寝たが、昼に目覚めるとまだニアの姿はない。こんなことは、初めてだった。


「ニアが帰らないんだけど、どこかで見なかった?」


「そういやぁ、昨夜のお客さんが夕方に町でニアを見かけたと言っていたな」

 父親がそんな話を思い出してくれた。


「どこで見たって?」

「確か、精霊の森の教会近くだったとか」


「どうしてあんなに人通りの多いところにいたんだろう?」

 コリンは不思議に思った。


(町の中心街の人混みにニアがいたなんて、信じられない。何かあったのだろうか?)

 心配したコリンは、それから一人でニアを探しに町へ出かけた。



 惑星エランド表面の七割を覆う広大な砂漠の中に、一万を超える町が点在する。今ではこの星の人口の九割以上が、新勢力の作ったこのコロニー群に暮している。


 その町の一つであるエギムは、直径が約二キロメートルの円形で、人口は一万人程度で、中の下規模の町だ。


 この程度の町だと多ければ三万から五万の人口を抱えているところもあるので、エギムは住民が少なく未だ発展途中の町だとも言える。


 そんなエギムの町だが、コリンは一人で町へ行くことなど一度もなかったので、実に心細かった。


 緊張して町に入ると、その広さに圧倒される。昼間地上部分を歩く人は少ないが、無人の運搬車が大通りを行き来し、自動機械が砂を払って掃除をしている。


 コリンは走ってその前を横切り轢かれそうになったが、気持ちはそれどころではなかった。


 不安で押し潰されそうになりながらも、それでもニアのことが心配で、足を速めた。

 半地下で日陰になった水路に沿って、中央にある精霊の森を目指す。


 水路の脇は緑の並木道になっていて涼しく、町の住民も多く歩いている。

 地表近くのほんの一部を歩いただけで、コリンは心身ともに疲れ切っていた。


(もしニアが広い地下街に紛れ込んでいたら、探すのは無理だろうな)

 コリンは一人で絶望的な気分になる。


 精霊の森付近まで来ると、緑が更に増えて公園の雰囲気になる。この辺りは転移ゲートのある町の中心で、家族と一緒に何度か来たことがあった。


 広場の木陰にある石のベンチに腰を下ろして一息つき、細々とした水の流れを見ていると、コリンの携帯端末に着信があった。


 町の掲示板からの通知だった。

 出かける前に迷い猫情報をアップしておいたので、何か良い知らせが来たのかもしれない。


 メッセージを開けると、元気そうなニアの姿が飛び出した。


 目の前にいるような三次元のAR映像だ。ニアの周りには色とりどりの花が咲き乱れ、きらきらと星が輝く。

(なんじゃこりゃ?)


 しかも、そのニアがコリンの顔を見るとにゃあと鳴いて舌を出した。


(これは単なる録画映像じゃなくて、再構成したニアのモデルをAIが僕の反応を見て動かしているのだろうな。スゴイや……)


 こういう無駄なリソースを食う添付ファイルは、町の外に住むコリンには馴染みが薄い。町の中だけで使える太いローカルネットならではの精細さだった。


 メッセージの内容は簡単で、迷い猫のニアを保護しているので引き取りに来てほしい、というものだった。


 指示された場所はそれほど遠くない地下三階の一画で、端末のナビゲーションを頼りにコリンは何とかそこに辿り着いた。


 そこはコリンの家にある倉庫を広くしたような場所で、古い壊れた機械の部品が山のように積まれた埃っぽいガレージだった。地下三階だというのに、外気に解放されている吹き抜けのような場所らしい。


 近付くと、ニアが走って来てコリンの胸に飛び込んだ。

 そのまま頬を顔に擦り付けて、いつものように顔をぺろぺろ舐めまくる。




  

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