第2話 恵華山


 当たり一面の雪化粧を前に、雪玲は深く息を吐くと上掛けの襟元を手繰り寄せた。義父である鳴紫旦したんが北方の遊牧民から仕入れたという獣皮の上着は肌馴染みもよく暖かいが、いかんせん外が寒すぎるためあまり意味なかった。もう一枚、内衣したぎを着てこれば良かったと後悔する。


(やはり、取りに戻るべきでしょうか)


 振り返ると広い銀世界の中、先程、出立したばかりの屋敷がぽつんと点在していた。この距離ならば今から取りに戻っても夕方までには帰宅できるはず。来た道を帰ろうとするが一歩踏み出したところでかぶりを振って、脳裏に浮かぶ考えを吹っ飛ばした。


(いえ、もし香蘭に見つかれば止められてしまいます)


 せっかく、義弟が香蘭の気をひいてくれたのに今戻っては水の泡ではないか。雪玲が鴆に会いにいくために義弟と画策し、屋敷を抜け出したと知られればより一層と香蘭の監視は厳しくなるだろう。


「このまま、進んだほうがいいですかね」


 大きく息を吐くと、雪玲は暖を取るために腕を擦りながら空を見上げた。


「やんでくれたのは良かったのだけれど……」


 昨夜の猛吹雪が嘘のように吹き止み、清々しい青空が広がっていた。これが春や夏なら散歩日和と言っていい好天気だ。

 しかし、眩しい。積もった雪が陽光を反射させるため、とても眩しい。目を細めても光のつぶては弱まらない。


(感覚で彼らの巣までいけるけれど、これでは足跡をみることができませんね)


 道中、密猟者がいないか、また鴆の生活を脅かす者がいないか確認したかったのだが眩しすぎてあまり目を開くことが難しそうだ。面紗めんしゃを用意しておけばよかったと思いつつ、雪玲は愛しい鴆の巣穴へと歩き出した。




 ***




 鴆の巣は木や岩などの隙間に作られる。彼らは己の羽と泥を混ぜ固めて外敵から卵を守る毒の防御壁を作った。泥を混ぜるのは羽の毒によって巣を設置した場所が溶けないようにするためだ。……それでも周囲の空気や土は汚染されるため、鴆が住処すみかと選んだ場所の周囲には草木一つ生えてこない。

 恵華山けいかざんに住む、かつて董家が所有していた鴆達は洞穴を住処に選んでいた。

 洞穴に近付く度に肺が圧迫されるように、呼吸が苦しくなるのを感じながらも雪玲は臆することなく歩を進めた。常人ではこの距離で死んでいるだろうが雪玲には問題ない。身体は弱いとはいえ、これでも董家の血をひく人間だ。


(おかしいですね)


 いつもより息苦しさは感じられず、平常のように軽快な身体に、雪玲は心の内で首を傾げた。


(やはり、毒が弱まっている……。食べ物が見つからなかったのでしょうか)


 冬場のため、鴆の主食である毒蛇や毒虫が見つからないにしても例年より毒素が薄いことに雪玲は柳眉りゅうびをひそめる。これでは密猟者に「獲ってください」といっているようなものだ。


(ここが董家ならこんなことはなかったのだけれど……)


 ほう、と悩ましげに息をつく。

 董家は鴆のために毒虫の飼育にも力を入れていた。そのため冬でも毒性を一定に保つことができたのだが、やはり自然界では難しいようだ。

 こればかりはどうしようもないことだが、毒という防衛手段を失うことは絶滅までの期間が短くなるということ。雪玲が解決策を考えつつ、歩を進めると洞穴に辿り着いた。

 それと、ほぼ同時に無数の羽音が雪玲を襲う。木々が揺れる音に酷似しているこの羽音は鴆が敵を威嚇する時に発する音である。


「久しぶりですね。昨夜はひどい吹雪でしたが大丈夫でしたか?」


 優しく声をかけると羽ばたきは静まり、代わりに軽やかなさえずりが周囲に響き渡った。

 鴆は鳥類の中でも賢い部類に入っている。犬程ではないが、簡単な言葉を理解し、飼い主の顔を区別する程度には知恵が備わっていた。現に、声の主が雪玲だと知ると洞窟から姿を表し、嬉しそうに喉を震わせた。

 健気けなげな姿に頬をほころばせつつ、雪玲は背負った袋から皮製手袋てぶくろを取り出した。素手でも触れることができるが長時間の接触は体調を崩す原因になる。それを防ぐためだ。

 手袋を装着した手を伸ばすと集団の中から一羽の小柄な鴆が飛びついてきた。


「あら、蓮華れんげ。あなたは本当に速いですね」


 手に止まった蓮華はくるくると喉を鳴らす。甘えん坊の彼女は雪玲が会いに来るたび、一目散に駆け寄って来てくれる。

 続いて寂しがりやの椿つばきあざみがぴょこぴょこと雪玲の足元を飛び跳ねて存在を主張し始めた。どうやら雪玲が蓮華ばかり可愛がっているのが不服なようだ。

 開いてる片手で二羽の背を交互に撫でながら雪玲は集まる鴆達の数を数えはじめた。


「……ひい、ふう、みい、よ、……あら?」


 数が足りないのでもう一度、数えてみる。


「……とお。……ひい、ふう」


 全八十二羽。やはり一羽足りない。

 また、越冬をできないものがでたのかと雪玲は花顔かがんを曇らせた。誰がいなくなったのだろうか。一羽一羽の顔を見て、名前と照らし合わせる。

 少ししていなくなったのは一番正義感の強い馬酔木あしびだと気付いた。


「馬酔木はどこにいったのですか?」


 雪玲の足に体を添わせて甘える蓮華に問いかける。問いかけの意味は分からなくても馬酔木という名が誰を指すのか分かるようで蓮華は地面を飛び跳ねながら山中へと向かった。


(山の奥、ということは密猟者でしょうか……)


 馬酔木はこの鴆の群れの頭であり、持ち前の正義感もさることながら恵まれた体躯たいくの持ち主だ。今までも勇敢に密猟者と対峙たいじして仲間を守っていた。

 そんな彼が仲間を放っておいて一羽で遠くにいくはずもなく、


(まさか、ひとりで?)


 雪玲の脳裏に最悪な光景が過ぎ去った。いいや、違う。馬酔木が殺されるわけがないと自分に言い聞かせても、一度、浮かんだ悲観的な未来はそう簡単にはくつがえせない。馬酔木の無事を願いつつ、早足で蓮華の後を追いかけた。

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