第21話 李恵妃


「まあ、素晴らしいわ!」


 反物を胸に押し当てた佳人かじんが、姿見の前でくるりと回った。幾重にもひだを作る裙が膨らみ、花びらのように広がるのを雪玲はにこやかに見守った。


「とても、よくお似合いです。恵妃けいひ様」


 心からの賞賛に、李恵妃——玉蓮ぎょくれんは嬉しそうにまたくるりと回る。


「さすが豪商ね。綴織つづれおりを取り扱ってるなんて。もっとはやく知りたかったわ」


 東方の島国の特産品、尖らせた爪で糸を掻き寄せて織られたこの布は一反を作るのに数ヶ月、長いものだと数年がかかる。その希少性からあまり世に出回らない品物だ。


(喜んでもらえて良かったのだけれど、お義父様の友好関係って謎なんですよね)


 長年の信頼が為せる技なのか没落したのに商品をおろしてくれる取引先は多い。それも他の商家が裸で土下座するほど、珍しい品々を破格の値段で。


「こんなに素晴らしいもの、ありがとう。緑だから朝礼用に仕立てようかしら?」

「では、この白緑びゃくろく色を合わせてみてはいかがでしょう? 綴織りは深緑色、上衣にするなら爽やかな白緑色の長裙を。反対でも似合うかと思います」


 もう一つの反物を手に取ると綴織りの側に広げる。玉蓮は笑みを濃くさせた。


「ねえ、鳴美人。あなたなら肩巾ひれは何色にする?」

「そうですね……。綴織りを上衣にするなら肩巾は月白色に、長裙にするなら深緑色と組み合わせます」

「いいわね。では、この二つと椿の簪をいただくわ」


 玉蓮は壁際に控えた侍女に金子を持ってくるように命じた。


「いえ、お代は大丈夫なので」


 雪玲は首を振る。これは印象をよくするための賄賂なのだから、金銭を受け取るわけにはいかない。


「仲良くしていただければ」


 困ったように眉根を寄せて、笑いかけると玉蓮は羽扇で口元を隠した。


「それは無理ね。私、後宮では中立を保ちたいのよ」


 冷たい拒絶かと思ったが、発せられた声は優しい響きを持っていた。羽扇越しにかちあう視線も声同様、慈愛に満ちている。


「長公主様のご紹介だから、あなたを招待したけれど本当はこんなことしたくないの」

「君は兄上のお気に入りだからね。乾皇后に目をつけられないためだ」


 今まで静観していた彩妍が、雪玲を案じたのか声を挟む。


「乾皇后は、太宰である祖父を持ち、皇子を産んでいる。今の後宮では最も権力を有しているといっていいが、兄上からの寵は薄い」

「ええ、対してあなたは瑞王様に見染められ入内し、当日に伽を命じられた。これはね、異例のことなの」

「面白かったな。春燕が来るまで、乾皇后の焦りっぷりは」


 思い出したのか彩妍は小さく笑う。対して、玉蓮は困り顔のままだ。


「乾皇后様は、あなたを嫌っているわ。だから、朝礼ではあなたに冷たくしていたの」

「君が男児を産めば、間違いなく皇后の座から落とされるからね。怖いんだろう」

「いえ、対応は間違ってはおりません。このままでも構わないので、時々でいいのでお話しできればと思っておりまして」


 玉蓮は悩む仕草をする。


「……長公主様もご一緒なら」

「それなら乾皇后も文句は言わないだろう。私の方が権力は強いから」


 確かに、彩妍の同伴で交流を深める分には乾皇后も文句はいえないはずだ。


(なるほど。だから瑞王様は彩妍を紹介したのですね)


 まあ、こうなったのも九割九分、翔鵬のせいだが。


「でも、私個人はあなたと仲良くしたいと思っているわ。榮から、素敵な方だと聞いているもの」

「宝美人様が?」

「ええ、友達なの。よく一緒に茶会を開いているわ」


 玉蓮は口唇を緩めて、瞳を閉じる。胸元に垂れた髪に指を絡めてうっとりと、まるで恋する少女のように頬を染めた。

 あまりにもそれが綺麗で、雪玲は静かに見入る。友達というより、まるで恋仲のようだ。


「茶会か……」


 ぽつり、と彩妍が呟いた。


「私主催で茶会を開けばどうだろうか?」

「それは良き案だと思います」


 玉蓮が同意した。


「長公主様が主催ならば誰も文句は言えませんし、乾皇后様も鳴美人に辛く当たらないと思います」

「ああ、おおやけに春燕が私の友人だといえば、今よりかは態度も軟化するだろう」

「乾皇后様といえど、長公主様に歯向かうことはしませんわ。そのご友人を傷付けて長公主様を悲しませれば、瑞王様がお怒りになりますでしょうし」


 実家が太いと言っても後宮での地位は瑞王の寵愛ですべてが決まる。次に子の有無だ。

 乾皇后が皇子を産んでいても翔鵬は高貴妃にしか寵を注いでいない。子を失って、狂ってしまっても変わらず愛し続けており、高貴妃以外の花には必要以上の関心は寄せない。


「では、明後日の夜、もっとも花が美しく咲く頃にしようか。ぜひ、二人も参加してくれ」


 雪玲と玉蓮はそろって頷いた。



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