第12話 久しぶりの王都


 雪玲を乗せた軒車は走り続けた。

 あいだ間に休憩という名の時間を挟んでいるが、それは馬を休ませるためのものであって雪玲のためのものではない。簡易な食べ物と水と仮眠のための薄っぺらい毛布を渡され、冷たい地面で寝るように命じられた。束の間の休息が終われば軒車に押し込められ、翔鵬と無言の対面。休まる時間は無に等しく、疲れだけが蓄積されていった。

 色々、思うところはあるが我慢だと己に言い聞かせ、激しい揺れに耐え忍ぶこと六日目。まず先に尻が死んだ。太ももと腰、なぜか腕さえも。生まれたての雛のごとく四肢に力が入らない。


(木槿は元気そうです。本当によかった)


 長期に渡って揺すられたことで木槿も精神的にまいっていると思っていたが、彼は元気に餌をついばんでいた。揺れも翔鵬も気にならないようで、いつものように寝て、食って、雪玲の指をかじって遊ぶことに徹していた。

 木槿の様子に心底、安堵する。これが蓮華やだいだいなら今ごろは羽をむしり、ぼろぼろな姿になっていた。


(もう無理です。気持ち悪いし、全身が痛いです……)


 元気な木槿と正反対で自分は限界が近い。行儀は悪いが翔鵬に断りを入れて横になると彼は「不様ぶざまだ」と吐き捨てた。

 不様なのは分かっている。雪玲だってこんなだらしのない姿を見せたくはない。名門の姫として最後まで凛と背筋を伸ばしたいが、いかんせん体が「無理だ!」と悲鳴をあげているのだ。

 それを伝えると彼は頬杖をつきながら「お前の利点は毒と薬の知識のみだな」などとほざく。

 助力を求めたのは向こうで、誘拐同然に攫ってきたくせに、ぞんざいな扱いを受け続け、そろそろ我慢も限界が見え始めた頃、青葉の匂いに混じり、人口の臭いが雪玲の鼻腔を刺激した。それに混じり懐かしい喧騒が聞こえてくる。


「外を見てみろ」


 翔鵬が声をかけてきた。長旅で、初めて彼から嫌味ではない言葉をかけらたことで、どういう意図があるのか測り兼ねていると翔鵬は「外だ。俺ではない」と窓を指差した。

 雪玲は重い体を無理に動かして窓の外を見る。

 前方に重厚な城壁が見えた。灰色の城壁は石を積み造られたもののようだ。


「ど田舎出身のお前ははじめて見るだろう?」


 ど田舎は余計だ、と思いつつ雪玲は頷いた。

 それに気を良くした翔鵬は嬉しそうに外を指差し、説明をし始める。


「我が国の王都は条坊制じょうぼうせいを採用していて、身分と職業に応じて十二の区域に分けている」


 条坊制とは基盤目状に区画が分けられている土地をさす。この瑞国王都では縦に四つ、横に三つの計十二の区域に分けられ、その各区域には天体の十二次になぞらえた名が付けられていた。

 その十二区を囲うように築かれた城壁は強固で、他国からの侵攻を防いでいる。


「ここは降婁こうろう区、飯店が立ち並ぶ、我が国一の飲食街だ」


 翔鵬は次々に区域の名前とその特徴を口にする。

 高官や貴族が住居を構える星紀せいき区、下級官吏が暮らす鶉火じゅんか区、花街と酒楼が立ち並ぶ鶉首じゅんしゅ区、多数の娯楽施設が集まる析木せきぼく区、商人が暮す大梁たいりょう区、職人が暮す実沈じっちん区、学び舎や寺院が集まる鶉尾じゅんび区、移民や浮浪者が集う大火たいか区。

 最北端にある寿星じゅせい区は小高い丘となっており、王都を一望できるように崋煌城かこうじょうが建設されている。そのすぐ西側には、


玄枵げんきょう区という、今は立ち入りを禁止された区域がある」


 玄枵区は三代目瑞王が董家のために与えた区域だ。そこは高い塀に囲まれており、外部と内部を繋ぐのは一つの門のみ。毒抜きと呼ばれる行為を行っていない董家の人間はその門から市内に出ることは許されておらず、その窮屈だが広い空間で鴆の育成と管理に心血を注いでいた。


「なぜ、立ち入り禁止なのですか?」

「鴆の毒が薄らぐことはないからだ。董家に嫁いだ者や婿入りした者が住んでいた区域は大丈夫だが、それ以外の居住区や飼育場は長時間いれば体調を崩してしまう」

「八年が経っているのに鴆の毒というものは強力なのですね」

「三百年もあの地で育てていたからな。毒が地に染み込んでしまったんだろう」


 翔鵬は眉間の皺を深くさせた。


「もう一つ、この王都には立ち入り禁止区域があるんだ」


 外を眺める双眸そうぼうが細められ、そこに怒りが宿るのを雪玲は見逃さない。それは自身の不甲斐なさを嘆いているのか、董沈に対するものか。はたまた両方か。


(いえ、恐らく後者でしょうけれど)


 冷めた目でその美貌に一瞥いちべつを投げかけると外を見つめた。


(……あら?)


 降婁区の様子がおかしいことに気付いた。先程までの活気溢れる光景はなくなり、閑散かんさんとして、寂しい雰囲気に包まれている。軒車が進めば進むほど、人影はおろか、鼠一匹も見当たらない。


「この先には娵訾しゅし区と呼ばれる区域がある。寿星、星紀、玄枵以外の八つの区域に面するため、皆が安らぐ憩いの場として開拓したんだ」


 その区域の名を聞いて、雪玲は唇を噛み締めた。どくどくと心臓が激しく脈を打つ。熱くなる胸とは正反対に、指先や足先は氷水に浸したように冷たい。

 それは娵訾区に近づくにつれ、酷く、顕著になっていく。

 雪玲に襲いかかる不安を知らない翔鵬は軒車を操る白暘に、娵訾区の前で停まるように指示を出した。


「この光景を目に、脳裏に刻み込め」


 黒い大地が広がっていた。生というものを微塵も感じさせない、死の土地という言葉がよく似合う、荒れ果てた大地は幼い頃に訪れた緑豊かな広場の面影はない。


(お父様が処刑された場所、お母様やお兄様、みんなが死んだ場所)


 目頭が熱くなり、鼻奥がつんとする。涙を堪えることはできず、雪玲は袖で顔を覆った。


「董家の血が大地に染み渡ったせいだ」


 静かに、翔鵬は言った。


「鴆毒は恐ろしい、この世に存在してはいけない物質だ。汚染された大地は月日が経とうが生き返ることはない」

「……ええ」

「犯人を必ず見つけろ。我が後宮でそのような恐ろしい毒を使った愚か者を、絶対にだ」


 袖で強引に目元を拭い、雪玲は面をあげた。

 翔鵬は広場ではなく、雪玲を見ていた。先程までの嘲るような笑みはなく、精悍な顔で。


薔薇しょうびのためにも」


 雪玲は居住いを正すと揖礼ゆうれいする。


「瑞王様のご期待に添えるように、尽力いたします」

「ああ、期待している。お前が犯人を見つけた暁には、お前の望みを叶えることを約束しよう」

「……はい」


 会話を終えると翔鵬は白暘に進むように指示をだした。ゆっくりと軒車は無人の往来を進んでいく。

 区境に差し掛かる頃、前方からひづめが大地を蹴る音が聞こえた。


「瑞王様にご報告申し上げます!」


 軒車が停まる。窓から投げかけられた言葉に、翔鵬が「どうした」と問いかけた。


「至急、白羊宮へお越しになられますように。皇太后様が倒れられました」


 使者の言葉が嫌に大きく耳に届いた。




 ☆★☆




 王都見取り図


 玄枵げんきょう区 寿星じゅせい区 星紀せいき

 鶉火じゅんか区 析木せきぼく区 鶉首じゅんしゅ

 大梁たいりょう区 娵訾しゅし区 実沈じっちん

 鶉尾じゅんび区 降婁こうろう区 大火たいか


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