真実

第12話 はっきり


 バタバタと出て行く理歩の足音。はっきりと聞こえるはずなのに、それすらも今の誠士郎の耳には届かない。

 死んでしまった彼女への想い。それをどこへぶつけたらいいのかわからず、誠士郎は膝を抱えた。



「僕、は……? なんで……どう、して……? 果歩ちゃん……なんで……」



 死者に言葉など届かない。

 誠士朗の他に誰もいない部屋。

 誠士朗の問いに答えが返ってくるはずはない。

 それはわかってはいても、伝えたかった思いがあふれだす。



 もっと好きだと言っておけばよかった。

 もっと早く一緒に住んでおけばよかった。

 もっと早く結婚しておけばよかった。

 いくら後悔したところで、何も変わらない。

 死んだら全てが終わりだ。


 どうして死んでしまったのか。

 どうして急にいなくなってしまったのか。

 どうして誰も教えてくれなかったのか。

 どうして。どうして。



 死が誠士郎の頭を、心をぐちゃぐちゃにかき乱す。

 目の前に起きていることが現実。変えようがないものだ。

 なのにずっと繰り返される問いが、どんどん誠士郎を追い込んでいく。



『――ねえ、聞いてるの? そうそう、やっと誠士郎くんの家から振り込まれたわよ。あなたのおかげで何とかやっていけるわ。理歩が果歩の代わりになってくれるっていうお父さんの案、成功しているみたいで何よりね』



 顔を上げれば、いまだに理歩の母は話し続けている。それだけ積もる話があったのだろう。

 本来ならば、果歩の姿をして誠士朗を騙していた理歩に話す内容。

 なのに、それを隠しておきたい相手である誠士郎に筒抜けである。



 お金のために、自分は騙されていたのか。

 そして、果歩の代わりに双子の姉である理歩が代わりに自分の元へやって来たのは、彼女たちの父親が言ったことなのか。

 それを受け入れて、理歩は自分を騙していたのか、と情けなく、悲しくなり、頭を抱えた。



『そうそう、果歩の日記帳。もう一つ見つかったから、取りにきたら? 理歩はそれを見なきゃ、なり切れないでしょ?』



 誠士郎はぼーっとした目で、理歩のバッグから覗く手帳を手に取る。

 何度か果歩がこの手帳に色々と書いていたことを、誠士郎は知っている。

 その日に何があったのかを、丸みを帯びた字で果歩は楽しそうに綴っていた。

 これを見れば、果歩のことがわかる。

 まだ開いていないものの、いなくなってしまった果歩のことを思い出しながら、手帳を抱きしめる。



「果歩、ちゃんっ……」



 嗚咽を漏らす誠士郎をよそに、電話の声はまだまだ続いている。

 消してしまいたい。だけど、そうする力がない。

 どうすることもできないまま、流れる声。

 その内容は、今の誠士郎にとって、聞きたくないものだった。



『いい? あなたはこれから果歩として生きなさい。理歩はもういないのよ。死んだのは理歩ということにするの。そしてあなたは果歩として生きるのよ――私たちのために』



 なんと非道な親だろうか。

 誠士郎の優しい心は、彼女たちの母親から放たれたこの言葉で粉々に砕け散った。


 自らのために、娘を差し出す。娘を何だと思っているのか。

 こんなことをしてまで、ほしかったのは金なのか。


 鬼畜。

 この女は人間ではない。

 血の通っていない生き物だ。


 そう思った誠士郎は、光のない目でスマートフォンを拾い、自らの耳に近づける。

 そして、今までにないほど暗い声を放つ。



「僕、は……」



 小さな声。その声を聞いて、電話口の母が途端に黙り込み、息をのむ音が聞こえた。



「僕は、あなたたちが、嫌いです」

『ちょっ、まさか、誠士郎く』



 相手の声を最後まで聞くこともしないまま、誠士郎は通話を切った。

 ここでいう「あなたたち」が、母親のことなのか、それとも理歩も含んでいるのか。

 それを知るのは言った本人だけである。



「果歩ちゃん。僕は、どうしたらいいんだ……僕は、何をっ……」



 スマートフォンを床に置き、力なく手が床に落ちる。

 果歩の未来はすでに閉ざされた。

 同時に誠士郎の未来も真っ暗だ。

 築くはずだった幸せな家庭。

 描いていた明るい未来。

 共に過ごすはずだった時間。

 何もなくなった。どうしようもできなくなった。

 これから先、何のために生きていけばいいのか。

 悲しみの涙が目から静かに零れ落ちる。



「嗚呼……君の元に……逝きたい」



 ドン底に陥った誠士郎。

 とっさに思い浮かんだものは、果歩の元へ向かうための「死」だった。


 ゆらりと立ち上がり、手帳を片手におぼつかない足で寝室をあとにする。

 ドンっと壁に体を頭をぶつけながら歩き、向かった先はキッチン。

 理歩がいつも立っていた場所だ。



「果歩、ちゃ……」



 口から出るのは理歩ではなく、愛した果歩の名前。

 今の誠士朗には、理歩のことを考える余裕など全くない。


 誠士朗は死ぬために使おうとしていた刃物――包丁を探す。

 綺麗に整頓されたキッチン。

 見えるところに捜し物はない。ならばと、戸棚を開けてみる。

 端から順に開けていく。フライパンや鍋など、必要なキッチン用品がスッキリとしまわれている。

 今までキッチンに立つことはなかった誠士郎。こうやってしまっていたのかと思ったのもつかの間、すぐに捜し物の続きを行う。



「あ……」



 水道の下の扉。そこに包丁はしまわれていた。

 スッとそれを取り出し、誠士郎は自らの首に充てる。



「はっ、はっ、はっ……」



 呼吸が短く荒くなる。

 このまま力を籠めれば、刃が果歩の元へ連れて行ってくれる。


 大好きな彼女の元へ逝くことができる。

 また彼女に会える。


 そんな希望を持っているのに、包丁を持つ手は震えていた。



「もうっ、僕も、いく、から……待って、て……」



 決心して少し力を籠める。

 もう少し。もう少しで彼女に会えるのだ。

 果歩の残した手帳を抱きしめて、深く息を吐く。

 そして。



「……っ!」



 ガシャンと包丁がシンクに落ちた。

 こんな事をしても、果歩に会えるわけがない。

 自ら死んだことで、果歩が喜ぶこともない。

 死ぬことが怖い。

 自分が死んだことで、何が変わるのか。

 いや、何も変わらない。

 死がもたらすのは、悲しみだけだ。

 それこそ、今の自分のように。

 死んだら意味がない。

 わずかに残った理性が誠士郎を止めたのだった。



「どうしたらいいんだ……」



 頭をぐしゃぐしゃにかき乱したのち、自分を自分で抱きしめてずるずると床に座り込む。



 愛していた彼女はもう、この世界にいない。



 くしゃっと笑う顔を見ることはもうできない。

 まるで子供のようにはしゃぐ姿を見ることも。

 小さな口から恥ずかしそうに誠士朗の名前を呼ぶことも。

 白く細い体を抱きしめることも。


 最後に彼女から聞いた言葉は何だっただろう。

 最後に彼女から「好き」と言われたのはいつだろう。

 最後に彼女に触れたのはいつだろう。



 過去を思い出し、過去に溺れた誠士朗は手帳を抱きしめて、大人らしからぬ姿で泣いた。


 さっきまで包丁をあてていたその首からは、うっすらと血がにじんでいた。

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