デート

第10話 小回り

 同棲生活を始めて、あっという間に1週間が過ぎた。

 最初こそ辿々しい生活をしていた理歩も、次第に慣れていき、理歩の思い浮かぶ、果歩らしい生活が出来るようになってきていた。


 食事の準備も、掃除も洗濯も。

 一通りの家事は順調に行えている。買い出しにだって、近場のスーパーの他に、インターネットで購入しているので、何ら問題はない。


 流石社長の息子というだけあって、最新式の家電が既に用意されていたから、家事にかける時間は一人暮らしのときよりもむしろ、短いとさえ感じていた。

 その分、生まれた空き時間を果歩の趣味であった刺繍に費やすことで、より果歩らしさを増していく。



 あくまでも理歩ではなく、果歩のような生活。

 完全に成りきることはできなくても、バレない程度に演じる。

 偽りの生活に誠士郎はまだ何も気づいた様子はない。

 だから誠士郎は、約束通りに出かけようと提案した。



「さて。どこに行こっか? 行きたいところ、考えてくれた?」



 部屋を出てエレベーターに乗っている間、ニコニコとした顔で聞かれた。



(やっば、何も考えてなかった……どうしよ。果歩が行きたいって言いそうなところはー……?)



 昔は果歩も出掛けることは少なくなかった。でもそれは、高校生のときまでの話。

 成人してから、どういう場所が好きなのかなんて知るよしもない。

 趣味嗜好が成長によって変わっていく。学生時代ならゲームセンターやウィンドウショッピングと好んだ果歩が、成人してどこに行っていたかなんてわからない。


 誠士郎に言われてから、毎日考えていたけれども何も思いついていなかった。



「えーっとー……そうだなぁー……」



 曖昧な反応をしながら頭を働かせる。タイムリミットは、エレベーターが下に着くまで。


 ひたすら考えている間にも、エレベーターはみるみるうちに下降していく。

 そしてチンと目的の階に着いたことを知らせる音が鳴り、扉が開いたときにやっと当たり障りのない案が浮かんだ。



「色んな花が咲いているところがいいかな。冬が近いから、あんまりないかもしれないけど……」

「花畑かー……いいね。思い当たる場所があるから、行こうか」

「うん!」



 寒くてもいい。天気が悪くても、人が多くてもいい。

 何でもいいから屋外がよかった。

 外の空気を存分に吸いたかった。

 解放された気分になりたかった。

 二人きりになりたくなかった。


 体を思いっきり動かすという訳にはいかないけど、多少気分転換にはなるだろう。


 花は理歩にとって興味はないもの。でも、果歩は綺麗なものは好き。花もきっと好きなはず。

 偏見ではあるが、そんな考えが合って浮かんだものだった。


 誠士郎はそんな提案をすんなりと受け入れた。

 誠士郎にとって、花畑を見るという行動にどんな楽しみを感じるのかはわからなかったが、彼女が行きたいというのであれば、と二つ返事を返す。



「よーし。久しぶりの運転、張り切るぞー」



 地下の駐車場で、誠士郎はいかにも高そうな車の前で足を止める。



(うわ、すごいお金持ち……この車、いくらするんだっけ? 中のカスタムもしてあるし、かなり高いはず)



 汚れ一つないピカピカの車に乗り込もうとする誠士郎を理歩はあっけにとられて見つめていた。

 車自体も高いものであるのに加え、内装のカスタムを施してある。

 普通自動車免許と二輪免許も持っている理歩は、車とバイクに精通しており、すぐに頭の中に大雑把な値段が浮かんでいた。



「どうしたの? 早く乗って乗って。前と同じ車だよ。その時から何も手を加えていないんだ」



 手招きして助手席へ乗るように促される。

 一度も乗ったことのない高級車に乗れるという期待が理歩をワクワクさせていた。



「よし。出発!」



 誠士郎の運転は丁寧なものだった。急発進、急加速、急停止は一切なく、慎重そのもの。

 安定した運転と言えば聞こえはいいが、理歩にとっては苛立たせる運転でもあった。

 それでも目的地に何とかたどり着き、駐車しようと試みる。季節が外れているからか、駐車場には空きが目立っていた。



(あの距離でこれだけ時間かけるとは……これなら私が運転した方が早かっただろうな。それにどれだけ駐車に時間かけるのよ。切り返し下手だなぁ)



 ずっと笑顔を保っているものの、内心はイライラしている。

 それが表に出ないようにするのが精一杯で、隣で誠士郎が「もうちょっと待っててね」なんていう言葉も耳に入ってこない。


 何度も何度も駐車するためにハンドルを切って、やっと目的地に降り立つことが出来た。



「お待たせ。それじゃあ、行こうか」



 やっと外の空気を吸える。理歩は喜んで車から降りる。

 慣れないヒールのあるパンプスを鳴らし、誠士朗の腕に手を回して案内図の通りに共に歩く。


 端から見ればスラリとした姿に、整った顔立ちの理想のカップル。

 二人に視線が集まるものの、当の本人たちは気にもとめていない。

 なぜなら。

 理歩は演じることに必死。

 一方で誠士朗は理歩に話す言葉を選ぶのに必死だった。


 互いの脳内は情報処理に必死で、無言の時間が流れる。

 それでは、果歩らしくないと思った理歩が、焦って口を開いた。



「あ、あと少しですかね? は、早く見たいなー」

「ふふ、そうだね」



 まだ駐車場から歩いて二、三分。

 そろそろ一面の花畑に着いてもいいころなのに、辺りは緑の林に覆われている。

 理歩の歩みがゆっくりなこともあって、なかなかたどり着けずにいた。

 それでも誠士朗は、同じ速度で隣を歩く。

 その優しさに理歩は気づいていない。



「あ、見えてきたよ」



 そう言った誠士朗の視線の先には、開けたスペースがある。

 やっと広々とした道に出られる。理歩の足は自然と速くなった。



「わぁ……綺麗」



 ぎっしりと植えられているのは、低い気温でも花を咲かせるチューリップ。

 様々な色が、二人を迎える。

 冬の冷たい空気の中でも育つ姿は、理歩の背中を押してくれた。

 環境に合わせて生きよう、そう感じていたのだ。



「……」



 しゃがんで、チューリップに顔を近づける理歩の隣で誠士朗はジッとチューリップを見る。



(彼女は、果歩ちゃん……だよね?)



 会社で盗み聞きした両親の話が気がかりだった。

 目の前にいるのは、ずっと付き合ってきた果歩なのか。顔も声も仕草も果歩そのものであるが、何かが違う気がしていた。

 その何かはわからない。

 でも、違う気がする。

 運転しているときも、ずっと同じ表情で車内をチラチラみていた。

 何度も乗っている果歩は、もう見慣れている。それに果歩は車に詳しくないため、色を変えるぐらいしないと車が変わったことにすら気づかないほどだ。

 だから、何か違う。

 そんな曖昧な感覚だけで、誠士朗は一つ、賭けに出る。



「懐かしいよね、ここ。前に一緒に来たときも、こうやっていっぱい咲いていたよね」



 本当は二人で来たことは今までにない。

 ずっと行きたいね、と話していたことはあるが、実際は訪れたことはなかった。

 なので、この誠士朗の言葉に、果歩は「何言ってるの? 初めてだよ」と言ってくれるはず。いや、そう言ってほしい。

 緊張しながら誠士朗は反応を待つ。



 一方で、理歩は手に汗が出ていた。

 果歩はこの場所に来たことがあるのか。それを理歩は知らない。

 でも、誠士朗が言うのであれば、きっと一緒に来たのだろう。そして素晴らしい思い出があるはず。果歩と思い出の共有はしていないけど、誠士朗の中にきっとあるのだ。それを傷付けずに、守っておこう。

 理歩は、ゆっくりと立ち上がり、いつもの作り笑顔を浮かべる。



「そうだね。とても綺麗でしたね」

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