第8話 帰り

「ただいまー……あっ、何だかおいしそうな匂いがするなぁ。なんの匂いだろう? 果歩ちゃーん?」

「おかえりなさい! ごめんなさい、今ちょっと手が離せなくてっ……もう少しで夜ご飯が出来上がるので待っててくださいね」



 仕事と家族会議を終えて、理歩が待つ家に帰った誠士郎は、明るい顔を作り、玄関からでもわかる美味しそうな匂いに腹の虫を鳴らした。


 扉の開閉音と誠士郎の声に気づいた理歩は、慌ててキッチンから顔をのぞかせて誠士郎を迎える。しかし、ニコリとほほ笑んですぐにキッチンに戻った。


 それを見て、何やら忙しそうであることがわかった誠士郎は、今朝と変わらずに柔らかい表情のまま、靴を脱いで上がるとまっすぐに理歩の元へ向かう。


 キッチンでは、真っ赤なエプロンを身につけた理歩が鼻歌交じりで料理をしていた。無駄のない動作で理歩が作っているのは、今朝方先に食べていてもいいと言われた夕食だった。


 まだ、十分な食材も道具もない中で、冷蔵庫に入っていた食材を使って作っているのはオムライス。卵だけは十分な数があったので、翌日以降のメニューを考えながらたどり着いたメニューである。ちょうど誠士郎が帰ってきたときは、最後の段階である卵を焼いている途中で、焦がさないためにもその場から離れる訳にもいかなかったのだ。



「うわぁ……! 美味しそう。お腹がいっぱい鳴ってきたよ。それに、なんだか部屋もちょっと片づけてくれた? もっと箱がいっぱいあったよね?」




 玄関から廊下を通り、リビング、キッチンへと移動した誠士郎は感嘆の声を上げる。



 朝は未開封の段ボールがいくつも山になって積まれていた部屋が、幾分かスッキリしており、部屋の隅にはぺちゃんこになった段ボールもあった。中に何が入っていたのかもわかっていなかった誠士郎は、きょろきょろと部屋を見渡す。


 誠士郎が実家からこのマンションへ引っ越してきたのは、理歩より一週間ほど前のこと。私物などをまとめるのは、引っ越し業者に完全に任せていたので、何がどこに入っているのか知らなかった。引っ越し当初は、理歩が来るまでに片づけようとしていたが、仕事があるためになかなか手つかずで放置されたままになっていたのだ。


 仕事上に必要なワイシャツやネクタイは取り出してクローゼットへしまっているが、私服や本などはそのまま箱に入れたままだ。

 今度読もうと思って買っておいた本はどこだろうな、と誠士郎は一つ一つの段ボールに書かれた主な中身についてを見ていると、カウンターキッチンから理歩が答えた。



「うん。時間があったから、片づけられそうなものは片づけてみました。ああ、ちゃんと中身を事前に確認してから片づけましたよ。誠士郎さんのプライバシーもあると思って。使いそうなものから、と思ってまずは食器と靴を。収納力抜群だったので、食器棚と下駄箱に全部おさまりました。後で確認してみてくださいね……って、ひょっとして迷惑、だったりしました……?」

「まさか。そんなことないよ。ありがとう、果歩ちゃん。なかなか手がつけにくくてさ。あ、僕、お腹空いているから、いっぱい食べたいな」


 さっきまでの家族会議で、こんなにてきぱきと働く彼女を疑っていた自分が情けないとさえ思った誠士郎は、改めて理歩に近寄り、後ろから抱き付く。そして耳元へ口を近づけた。



「ありがと、果歩ちゃん」



 そうささやけば、理歩の耳は真っ赤に染まる。それをへなっと眉を下げ満足そうに誠士郎は見つめる。

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