波乱の新生活

第2話 偽り


 緑の木の葉が色をつけ、だんだんと気温が下がり始めた季節。すっかり景色は赤や黄色の葉が舞い、冷たい風が吹き抜けていく都内某所。


 平日であったならば、子供よりも仕事へ向かうスーツ姿の男女がはるかに多く行き交うオフィス街に彼女は降り立った。今日は土曜日であるため、人気はまばらである。そんな道を抜けて、カツカツとリズムよくヒールを鳴らしながら、彼女――理歩は黙々と歩く。


 理歩の手には、白をベースにした生地に、ふんわりとしながらも存在感のあるリボンがあしらわれた、可愛らしくありながらも充分に荷物をしまうことのできる大きなバッグがある。その中には着替えやスキンケアアイテムに加え、コスメ一式がパンパンに詰められていた。これらがなければ、理歩は偽りの姿を保つことが出来ないのだ。


 理歩の姿は、ここ一ヶ月でがらりと変わっていた。

 葬儀を終え、果歩の代わりになると決めた直後、腰まで伸びた真っ直ぐな黒い髪をバッサリと切った。そして、顎の辺りで内側へとカーブを描いた形へと変えた。また、カラーも初めて行い、漆黒から栗色へと、かなり明るい色にしている。


 同時に服装も変えていた。

 普段はアクティブなことが好きであるために、動きやすく、走りやすいカジュアルなスニーカーとパンツ姿が多かったが、今は違う。ヒールのあるパンプスに、膝丈の柔らかい生地で出来た淡いグレーをベースとしたチェック柄のワンピースを着ている。どれも果歩が所持していた服である。喪服以外にスカートを履いていない理歩にとって、めくれてはいないかと、何度も裾を気にしてはヒヤヒヤした。


 変化の極めつけは、耳元につけた歩くたびに揺れるピアスだ。長らくつけていなかったが、穴を維持していたためにピアスをつけることは可能だった。衛生的なことを考えて、果歩らしいデザインのピアスを購入することから始め、久しぶりに身につけた。シンプルでもあるが、存在感もあるピンク色のストーンが、日光に当たり、キラキラと輝きを放つ。


 変化点を総合しても、たびたびすれ違う人が、振り返って二度見するほどの美しさを持っていた。その彼女こそが、妹の姿を装った高坂こうさか理歩りほである。


 双子の妹、果歩が亡くなってからの一月の間に、理歩は果歩に成り代わった。

 好みも性格も何もかも違う果歩になるために参考にしたのは、過去の写真と、思い出、それに果歩の残した私物。


 クローゼットを片っ端から拝見し、部屋にある雑誌や小物から好みを理解する。普段どんな言葉遣いをしていたのか、どんな仕草をしていたか。それらを知るために、何気ない時を記録した果歩のスマートフォンを覗いた。

 ロックがかけられていたが、真面目な果歩は手帳にパスコードが書かれていた。なので容易にロックを解除し、使っていたSNSなどを見た。どれもこれも楽しそうな内容が書かれていて、見るたびに胸が苦しくなったものの、ひたすら果歩の情報を集めた。

 それでもまだ、果歩になりきれていない部分もある。仕草や動作はどうしても、真似しきれない。それだけはどこかに記録があるわけじゃなかったからだ。なのでひたすら記憶の扉を開いて、鏡の前で練習をした。まだまだなり切れずとも、約束の日を迎えてしまったのだ。


 慣れない都会に困惑しつつ、スマートフォンの地図アプリを見ながら、目的の場所へと向かっていた。


(ここまで来るのに疲れたな。よく果歩はこんなところまで通っていたわね……)


 実家からは電車で二時間以上かかる。それなのに、どうやって愛を育んだのかと理歩は冷めた思いがあった。

 理歩には思いを寄せる相手はいない。一人で過ごしていても、寂しいとも思っていなかったから。


 大きな荷物を持った理歩は、地図で示されたマンションのエントランスに立つ。

 地元にはない高層マンションは見た目も中も明るく、清潔感があった。入ってすぐのところで、冬場だというのに汗で手がべたついた。その手で呼び出し音を鳴らしてしまったので、慌ててスカートに手のひらをこすりつける。

 汗ばむ状態担ったのも無理はない。理歩は今日初めて顔を合わせる男と同棲しなければならないのだ。


 しかもその相手は、最愛の妹である果歩の恋人。気づかれないように、妹に成り済まして初対面の相手と結婚を目前とした同棲をする。


 事前に教えてもらっていた部屋番号を震える指で押して、呼び出しボタンを押す。そして部屋の主へ来訪を知らせる音が鳴った。


 数多くのマンションが立ち並ぶ地域ではあるが、その中でもさらに高さがあり、値段も高いマンションであることを、昨日調べて知った。そのため、著名人や社長、議員などの裕福層が暮らし、厳重な警備になっている。自分がここへ来るべき人ではない、そう思い、周りの視線が気になった。しかし、誰も理歩のことなど気にする者はいない。一人で勝手に緊張しながら返答を待つ。

 たったの数秒だけだったのに、理歩にとっては何分にも感じていた。


『はーい、どちらっ……あぁ、果歩ちゃん。待ってたよ。今そっちに迎えに行くから待ってて』


 カメラによって相手を確認できるため、部屋の主である男性は果歩に成りすました理歩を確認すると、何も疑うこともせずに明るい声で答えた。


 そしてその直後、何やらバタバタと音を立てたかと思うと、通信はプツリと切られる。

 全く疑いを持たれなかったことに安堵し、胸をなで下ろした。ここで果歩ではないと疑われてしまったら、即座に家族を路頭に迷わせてしまうのだ。そんなことを引き起こしてはならない。誰もが幸せを享受するためには、こうするしかない。


 そんな思いがあって、理歩はひとまずはよかった。そう考えたが、まだまだ先は続いていくため、すぐに緩んでしまった気を引き締める。


 しかし再び訪れた無の時間。マンションなど理歩の住む地域にはなかった。どのくらい待っていればいいのか、このままここで待っていていいものかと、そわそわ、そしてきょろきょろと辺りを見る姿は不審者そのものである。


 理歩にとっては三十分。実際はたったの三分後に、先ほど会話した部屋の主が少し息を切らせて姿を現した。

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