第10話

 沙紀先輩が帰国してから一週間が経った。

 それは同時に、椎名が学校を飛び出し、行方をくらませた日から数えて一週間でもある。あの日以来、椎名は校門をくぐっていない。元クラスメイトで一友人に過ぎない僕に伝わる情報はほぼ皆無に等しかった。

 当然、音信不通で、手元にあるのは万年筆一本のみ。

 結城先生も、椎名の担任も、『よく分からない』の一点張りな上に、両親とはあまり上手くいっていなかったらしく、どうせ家出だろうと放っているらしい。

 親がそのような態度なので、結城先生などが意欲的に彼女を心配する素振りはほとんど感じられない……と僕は感じていた。

 僕には『執拗なまでに』親身になってくれた先生が、だ。


[2年1組の双葉君、職員室、結城のところへ来てください]


「およ、何かやった?」

「沙紀先輩と同じにしないでください」

 そしてこの1週間は当然、椎名とではなく、沙紀先輩と昼食を共にしていた。僕の方がわりと早めに食べ終わってしまったのもあって、いささか手持ち無沙汰だったのだが、果たして『いいタイミング』と決めてよい呼び出しなのだろうか。

 テストの方も僕だけが注意されるほど妙な点数は取ってないはずだ。仮に結城先生が体育担当であれば、今後のレポート課題などの話し合いかもしれないけれど、つい先ほどまでは現代文のままであったのだから、慣例上、その仮説は否定される。


「君が、双葉京谷君だね?」

 僕が結城先生に『何の用でしょうか』と尋ねるよりも先に、僕を待っていたであろうスーツ姿の二人組の内の男一人に、僕の名を確認された。

「君が椎名はづきさんを最後に見たそうだね」

「ええそうですが」

「失礼、私たちは」

 怪訝な表情をしていたのだろう、黙ってみていたもう一方の眼鏡の男が、手慣れた感じで警察手帳をのぞかせた。

「捜索……ですか」

「椎名さんのご両親もおかしいと思ったらしく、今朝、捜索願が出されてね。事件性があった場合、もはや一刻を争うかもしれない。だから協力してもらえるね?」

 僕は結城先生と刑事二人、そして教頭を合わせて、別室にして、椎名がどこかへ行く間際の話を打ち明けた。

 最初に話しかけてきた茶色のスーツの男の名は安藤あんどう、そして眼鏡の男は宍戸ししどと、それぞれ連絡先を書いた名刺を手渡してきた。僕を疑っている雰囲気は感じ取れなかったが、一方で、両親も教師も友達も、心配しているならもっと早くに連絡すべきだ、と忠告された。

「それと……椎名は別れ際、万年筆これを何も言わずに握らせてきました」

「なかなか高価そうだね。これについて知っていることは?」

「普段から万年筆をよく使ってはいましたが、これはよく知りません」

「そうですか。ご協力ありがとうございました。何かありましたらご一報を」

 教頭は刑事を見送るために一緒に出て行き、簡素な応接室には、僕と結城先生ただ二人に。


「病院に運ばれてすぐを思い出しますね」

 半分は気まずさ隠しの愛想。もう半分は、僕の中で椎名のことだけでなく、先生の印象もいろいろな出来事を経て揺らいでおり、こうした話をもとに、再び先生をよく知ろう、という算段でもあった。

「それはおねだり?」

 一瞬何を言っているのかさっぱりだった。でも、先生の表情を見るに、すぐさま胸に手をやられたであると電撃の如く記憶が告げた。もちろん、そんな意図はこれっぽっちもない。

 急いで訂正するとともに、先生への印象もやはり訂正されていった。


 先生は決して不謹慎なのではない。

 むしろ先生にとって最善の受け答えをしているのだ。

 ではなぜ不謹慎に聞こえるのか。

 それは、先生と僕とで、現状の問題性の度合いなどがかけ離れているからだろう。


 つまり先生は、椎名はづきという生徒が忽然と姿を消した今回の一件に対し、要請と捜査権のない一市民であるが故に心配ながらも動けなかったのではない。

 心配していないからこそ、要請と捜査権がないのを笠に着て、動かなかったのだ。


 そして今まさにそうであるように、これは決して自惚れなどではなく、もはや成年間近に達する一般的な男の感覚として、結城先生の瞳には事実と比喩いずれにしても、僕しか映されていないのだった。

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