第4話

 どれくらいの時間、僕は話し続けただろう。良い悪いは別にして、僕は殆ど一方的に話し続けた。

 もちろん、美香の相槌もちゃんと見ていたし、美香が何か言いたげな素振りを見せれば、それを見逃さないようにと、彼女の目元、口元、表情にも気を付けていたつもりだ。

 しかし、僕が話している最中、美香は僕の話に口を挟むことも無ければ、変に表情を曇らすことも無かった。彼女は話の所々で、頷いたり、少し微笑んだり、ジッと僕を見詰めたりと、淡々と、それでも真剣に(恐らく)、僕の話を聞いてくれている気がした。

 話し続けて、僕はいつの間にか、口の中がカラカラに乾いてしまっていることに気付き、「ちょっとごめん」と、ドリンクホルダーの天然水をひと口含む。

 それでもまだ本当は、言いたいこと、言わなければならないであろうことの半分も話していないとも思う。

 口に含んだ水を飲み込んで、再度運転席の美香に視線を向けると、美香はずっと遠くを見詰めるようにしながら、その頬には一筋の涙が伝っているのが分かった。

「どうしたの?」

「・・・ばか・・・。ミィカが泣き虫だって、知ってるっしょ・・・」

 そう、美香が泣き虫なことは知っていたさ。だから『どうしたの?』なんて、訊かない方が良かった、そう思ったし、僕はまだ正直になり切れていないとも思った。

 僕は自分を、世界を取り繕っている。

 僕が美香に伝えたいのは、そんな綺麗に装飾された僕じゃない。もっと人として最低な、そしてドロドロとした欲や醜さにまみれた僕の素顔を晒して、心底嫌いになって貰って構わない、それが僕に出来る本当の意味での謝罪だと思っていた。

 なのに、それがどうしても出来ないのだ。

 僕はこの期に及んで、まだ美香に好かれようとしている。然も自分が良心的であるかをほのめかそうとしているし、あの時の彼女に対してとった態度や行動が、決して自分の本心ではなかったと、言い訳をしている。

 彼女を失ったことを後悔しているのだろうか。それとも、今隣にいる女性が、四年の間に想像以上に綺麗になった美香だからだろうか。

 だからもう一度そんな気になっているのか。

 出来ることなら、今直ぐ抱しめたい。

 そして、美香はそんな僕を、騙されたフリをしてでも受け入れてくれるだろう。それくらい彼女は優しい。

 でも、そう思ってしまうところが、僕は実は四年前から全く成長していない。そんな自分が嫌になる。

 彼女は僕の本当の姿を知らない。そして僕は、自分の姿を晒すのが怖いだけだ。

 そうなのだ。僕は強がっているだけだ。弱い自分を見せたくない。

◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 四年と半年前・・・

 少しばかり倦怠気味だった美香との関係も、夏が過ぎ、秋の気配を感じる頃、何となく元通りというか、日常の一部として付き合いは続いていた。

 夏前ほど苛立つことも無くなったのは、夏のイベント(花火、カーニバル、BBQなんかが毎週のようにあった)のせいで日々高揚感が有ったからだろうか、智恵美先輩の映画の件がひと段落ついて、やることが無くなったからなのか、それは分からない。

 ただ言えることは(その時は全く分かりも考えもしなかったけれど)、美香が上手に僕をコントロールしてくれていたんだと思う。

 あの日、僕はいつものように美香を彼女の自宅近くの住宅街はずれの公園までバイクで送り届け、そして彼女が見えなくなるまで見送った後、その場でバイクにもたれ掛かって煙草を吸いながら、携帯電話のLINEで「おやすみ」のメッセージを送っていた。

 別にどうということはない、いつものルーティンみたいな感じで、煙草を吸い終わってバイクに跨りエンジンを掛けようとしたところで、いきなりその前を塞ぐように、二人の見知らぬ男が立ちはだかった。

「ねぇ、おにいさんさぁ、良いバイク乗ってんじゃん。俺達にちょっと貸してくんない?」

 何だよ、この辺りの不良連中か。面倒臭いのに絡まれちゃったな。

「ねぇねぇ、おにいさんって、大学生でしょ?そんで、さっきのあの子、女子高生でしょ?ダメだよ、女子高生騙しちゃ。どうせ卒業と同時にポイしちゃうんでしょ?それとも、中学生だったか?」

 そう言って、その二人は何とも下品極まりないゲラゲラという声を上げて笑った。

 くそっ、美香とのことも覗いてやがったか・・・。さて、どうしたもんかな。

 僕は考えを巡らすが、単純に、二つに一つしかない。

 一つ目は、乗り気はしないが、バイクを貸して、暫くこいつらに付き合う。ひょっとして本当にバイクにちょっと触ってみたいだけで、満足したら、特に何事も無いかも知れない。あまり期待は出来ないが・・・。

 二つ目は、兎に角、振り切って逃げる。こっちはバイクだ。いきなりフルスロットルでぶん回せば、止めることは出来ないだろう。

 そんなことを考えていると、この連中は、僕に明確に、考えもしなかった三つ目の選択肢を選ばせる言葉を発しやがった。

「なぁ、早くバイク貸せよぉ。借りても返すかどうかは知らんけど。ははっ、じゃないと、もしお前が逃げたりしたら、さっきの女、探し出して捕まえちゃうぞ」

 再び下品に二人揃って笑い出す。

 そっか、そういうことね。多分こいつら、近所の不良ではないな。美香のことも実際は知らなさそうだ。大方自分たちの地元では羽目を外せない小心者が、地元を離れて遠征気分で他所の地域で悪さをしているんだろう。

 それにさっきから、こいつらの息が何か変な臭いがすると思っていたが、この臭いは恐らくシンナーだ。

 そっかそっか、よぉく分かりました。

 僕は一応、鎌をかけるつもりで訊いてみた。

「君らさ、地元の人間じゃないでしょ?」

 今まで黙っていた僕がいきなり質問をしたからか、二人はキョトンとして顔を見合わせ、三度ゲラゲラと笑い始めた。

?今からお前の地元のお呼ぶってか?」

 完全にラリってやがる。呂律も回っていないことに、今気付いた。

 僕は跨っていたバイクを降り、バイクのキーを抜いた。

 そして、そのキーを左手に持ち、右手にはフルフェイスのヘルメットの顎の部分を握り締め、右側の男に如何にもキーを渡すかのようにそのまま左手を差し出す。

 僕が余りにも素直にキーを差し出すことに面食らったのか、或いは初めから僕を揶揄からかうつもりだけだったからか、二人は一瞬たじろいだように見えた。

 しかし、そんなことは僕にとってはどうでも良くて、寧ろ好都合だった。こいつらが冗談のつもりだろうが何だろうが関係ない。美香のことに触れた時点で、僕の怒りは沸点に達していて、既に収まりの付かない心理状態になっていたから。

 僕は左手を差し出しながら、右手に握り締めたヘルメットを大きく振りかぶり、思いっきり男の頭部めがけて振り下ろす。

 ゴンっと鈍い音がして、男は僕の視界から崩れ落ちるように消え、そのまま仰向けにひっくり返ってしまった。ちょっとやりすぎたか。ま、いいか。

 直ぐに左側の男を見やると、明らかに動揺して、身動きも出来ずにたじろいでいるのがよく分かる。

 シンナーで逝ってしまっているこいつの眼球には、僕は一体どんな風に映っているのだろう。世にも恐ろしい怪物にでも見えているのかもしれない。しかし、それもどうでも良い。

 僕は右手に持ったヘルメットを放り投げると、今度はその右手でそいつの襟首を掴んで思い切り引き寄せ、抵抗してもがく手が自分の顔を掠めるのも気にせずに、そのまま背後から首筋を絞めていく。

 必死にもがいて僕の腕に爪を食い込ませる男だったが、そんなことはお構いなしに絞め続けると、不意にストンっと僕の腕に絡みついていた男の両手が落ちて行った。

 あーあ、やっちゃった。

 僕が絞め上げていた腕の力を緩めると、男はずるずると軟体動物宜しく、地面にへばり付くように倒れ込んだ。

 死んじゃいないよな・・・。少しだけ不安になって最初にひっくり返った方の男を見ると、お、なんだ、もう起き上がろうとしてやがる。だが戦意はもう無さそうだ。

 今落ちた方は・・・うん、息してる。大丈夫だ。

 僕は黙ったまま先ほど思わず放り投げてしまったヘルメットを拾うと、バイクに跨りエンジンを掛け直した。

 大きく一度空蒸かしをして、最初にヘルメットでぶん殴った方の男を睨み付けると、男は怯えたように後ずさりをする。

 僕は男から目を離さずに、少し傷付いてしまったヘルメットを丁寧に被って、敢て顎紐までしっかりと絞め、ゆっくりとバイクをスタートさせた。

 バイクを走らせながら膝が震えるのが分かった。人を殴るのなんて高校生以来だ。しかもこんなに派手に殴り倒したことはない。

 運転しながら頭の中で自分を正当化する。

 あれは仕方なかった。

 絡んできたのはあっちからだ。

 シンナーでラリってる連中だ、どうせ覚えていやしない。

 万が一、おまわりを呼んだとしても、捕まるのはシンナーを吸ってたあいつ等に決まっている。

 住宅街端の公園だ、防犯カメラも無いだろう。

 何にせよ、正当防衛ってことで、何とかなる筈だ。

 いや、ちょっと待てよ。正当防衛にはならないのか?先にやったのはこっちだし。

 仕返しはあるのかな?

 それより美香が心配だ。

 あいつ等地元の人間じゃなさそうだし、見つかることはないだろうけど・・・。

 まぁいいや、考えても仕方がない。

 帰って寝よう。

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