七 「家庭の事情はどこにでも」

「お前……なんでいきなりそんな話するんだ」

「……?」


 アルビスは呆れていた。サフィラの発言に、ザインでさえ驚いた表情かおで固まっている。昨日の今日だ。昨日の今日だというのに。




 前日の約束通り、午前の講義を終えたアルビスとサフィラは温室にやってきた。昨日と同じ場所でしばらくそわそわとザインの到着を待ったが、彼はなかなか現れなかった。暇つぶしにと二人とも遠視とおみの天眼を開き温室内を観察していると、昨日とは逆の方向から歩いて来る子供の姿に気付いた。対象を遠くのザインだけに絞り流査りゅうさの眼に切り替えたアルビスは、そのアニマに思わず顔を顰めた。


「あ!あれ、ザイン様ですよね?他よりちょっと小さい。合ってます?兄様」


 来ないかもしれないと思っていたのだろう、兄とは対照的に弟は喜色満面、胸中を悟られないようにと、アルビスはそっと天眼を閉じたのだった。


 遅くなったことへの謝罪の言葉とともに、ザインは昨日の宣言通りに、アルビスへ雨衣を返却した。今日はしっかり自分の物を着て来たようだ。ご丁寧に、母に持たされたのだと言う菓子折りも一緒に手渡され、なんとなく和やかな空気になったまでは良かった。問題はそこからだった。ぎこちなくではあるものの「呼び捨てで敬語はなし」を各々の裁量で実践し、ひとつふたつ当たり障りのない会話を交わした三人だったが。


「……」

「……」

「…………」


 会話が、続かない。

 ザインは二人を「初めての友人」と言ったが、それは二人にとっても同じだった。そもそも、自分達ぐらいの歳の子供が、世間一般では友人とどう過ごすのが普通なのかすらわからない。育成所で同期生達と顔を合わせてはいるが、通い始めてまだ三日。彼らともあまり親しくなれてはいなかった。


(気まず……)


 アルビスがなんとなく覚えた既視感は恐らく父オルニトといる時のそれで、放っておいても勝手に喋ってくれる母や弟が実は有難い存在だったのだと、この時初めて知った。もしかしたら父も、同じように思っていたりするのだろうか。


 しかし、いつまでもこのままという訳にもいかない。ここは年長者の自分が、と、アルビスはザインに手渡された菓子折りに目を留めた。


「今度、イサニア様にも直接お礼言えるといいな。お忙しいとは思うけど」


 母の名が出ると、それまで無表情だったザインが少し微笑んだ……ような気がした。


「それは……ぜひ。母も喜ぶと思います」

「イサニア様は、俺たちがザインと一緒にいても怒らないのか?」

「母は……問題ないと思います」

「……そうか」

「……」


 ああ、また会話が終わってしまう。そう思った矢先、隣で聞いていたサフィラから驚きの発言が飛び出したのだった。


「ザインのお母様も、きっと優しい人なんですね。僕たちの母様も、血の繋がらない僕のことも本当の息子のように育ててくれて、とても優しい人なんです」

「……え?」

「は!?」


 次の会話のネタを、と思考を巡らせていたアルビスは、思わず前のめりになった。

 知っていたのか。いつから?誰に聞いた?というか、気にしていないのか?

 目に見えて焦っているアルビスに、ザインが遠慮がちに聞く。


「その……二人は本当の兄弟ではないんですか?」

「ああ、いや、父親は一緒だから半分はちゃんと兄弟で……サフィラお前……なんでいきなりそんな話するんだ」

「……?」


 ただでさえこの手の話は苦手なのだ。きょとんとしている弟に、思わず頭を抱える。まだ会って二日目、会話もそこそこな相手にする話ではないだろう。普段は割と分かり易い性質なのに、時々極端な思考回路を発揮するこういうタイプの人間を、たしか「天然」と言ったか。ザインが困っていないかと、アルビスは顔色を伺った。さすがの彼も面食らったようで、しかし次に発せられた言葉には、意外にも今日一番の親しみが籠っていた。


「私も、父の顔を覚えていないんです。物心つく前に亡くなったと聞いています。サフィラは、本当のお母様のことは覚えていますか?」

「そうだったんですね……僕も母のことは何も知らないけど……会いたいとかは、あまり思わなくて。僕にとって母様は母様だし、父様のことも尊敬しています」

「それはなによりです。頼りになるお兄様もいて、あなたは家族に恵まれていますね」

「はい!本当に」


 割と気合を入れて話しかけた自分より、さらっと重大発言をこぼした弟の方が、掴みは良かったようだ。そのまま自然に会話を始めた二人に、時折アルビスも相槌をうちながら混ざる。いつの間にか最初の緊張も解けて、少しずつではあるがお互いのことを話せるようになっていった。これが、誰しもが幼い頃必ず経験する人間関係の最初のプロセスなのだが、家族以外に接点のなかった三人にとって、遅れてやって来た初の大仕事となったのだった。


 しかし、そんな穏やかな時間に、予期せず横槍が入ることになる。








「なんだお前。下民のくせに、立場もわからないのか」


 長閑な午後の温室に、似つかわしくない棘のある声。驚いてベンチから立ち上がったサフィラとザインにそのまま待つよう言い、アルビスはガゼボを出た。少し離れた通行路に、灰色のローブに身を包んだ四、五人の少年達の姿を捉えた。王宮魔術士達は、経験を積み海鳴りの際に戦闘に出られるようになると、揃いの白の魔装が支給される。灰色のローブは、前線には出ないが温室の管理や魔石の生産などの雑務の一部を任せられる、所謂「見習い」の装束だった。どうやら、アルビス達の「先輩」に当たる魔術士見習い達と、見慣れない格好の一人の少年が口論になっているようだった。

 歳は見習いグループの方が上のように見えるが、絡まれている少年は邪気のない表情かおで挑発的な言葉を返した。


「なんだよ、下民って。おれが下民ならあんたらは……あー、なんだろ、ジョウミン、とか?聞いたことないな。偉いの?」


 少年の態度に、見習い達が殺気立って食ってかかる。そんな状況下にも関わらず、第三者の気配に気付いたらしい少年が、くるりとアルビスの方を向いた。


 雨の染み込んだ赤土の煉瓦のような、深い臙脂色の髪。利発そうな澄んだ金色の瞳が、アルビスを見つめていた。







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