七 「Side:M」

 ミーニアは回想する。


 双子の兄であるジェンと一緒に、ロイドの雨具屋に転がり込んでから早六年。当時、下水路を囲む地下街でその日暮らしをしていた二人は、東側の下水街を取り仕切るドミナという女主人の元を、長身の青年がたびたび訪れているのに気付いた。着ているものや仕草、あとは匂いで、上の世界の住人だと言うのはすぐに分かった。一度フードの下の素顔を見てからなんとなく気になったミーニアは、後をつけてみたことがある。思った通り、上水路近くのしっかりした建物に入って行く後ろ姿を見て、やはり住む世界が違うのだと心が冷えて行くのを感じた。そのまま兄の元へ帰り、何かの金属片を繋ぎ合わせている彼の横で、お気に入りのリュートを鳴らし始める。これも、ゴミ山から集めた部品でジェンが作ってくれた物だった。ジェンは物を作り時には直し、ミーニアは往来の軒下でリュートを弾き、なんとか食い扶持を稼いでいた。


「最近、気になってるみたいだね。たまに来る、あの銀髪のお兄さん」


 どこへ行くとも言っていなかったのに、この片割れにはすべてお見通しのようだった。


「やっぱり、この辺の人じゃないみたい。何かのお店やってるみたいだった。いつも何しに来てるんだろ。襲われたっておかしくないのに」


 弦の調整をしながら呟くと、それまで工具に集中していたジェンが思い付いたように顔を上げた。


「ああ、この前ミーニアが稼ぎに行ってたとき、そんなことあったなあ。五人……六人だったかな?囲まれて騒ぎになってて——」

「は?!何それ聞いてない!誰も助けなかったわけ?!」

「助けるもなにも……一人でみーんなのしちゃったんだよ。喧嘩慣れしてるゴロツキ達が、あっという間に地面にべしゃっ!って。護身用のナイフみたいなの持ってたけど、刃の方は使わないで柄の部分だけで気絶させてた。みんなびっくりして動けなくて。お兄さんもすぐいなくなっちゃって、転がされたゴロツキ達が逆に身ぐるみ剥がされてたよ。あれはかっこよかったなあ」


 チラリと妹の方を見ると、リュートを抱えたまま目を見開いている。本人は隠しているつもりらしいが、どうにも最近あの青年のことが気になって仕方がないようだったから、ジェンが語る騒動の場に居合わせたかったに違いない。淡々と話しながらも、ミーニアの頬に朱が差したのをジェンは見逃さなかった。


「な、何それ怖っ。ていうかあの人、そんなに強いなら、カタギじゃないってこと?」

「どうかなあ。まだ若そうだし、誰かといるの見たことないし。ドミナさんのとこに来てるのもそんなに長い時間じゃないし、この辺で商売してるようには見えないけど。上にお店持ってるなら尚更ね」

「んー……んー!」


 頭をガシガシと掻き回した後、膝に顔を埋めたままミーニアは動かなくなった。四年前に母親が突然姿を消して以来、生きるために必要なこと以外で妹がこんなに何かに興味を持ったのは、初めてではないだろうか。ジェンにとって何よりも大切な、たった一人の家族。わかりにくいが、その彼女がこんなに頭を悩ませているのだ。ここは兄として、一肌脱ぐべき時ではないか。妙な責任感と使命感に突き動かされて、ジェンは一人頷いた。


「ねえ、ミーニア。ちょっと調べてみようよ、あの人のこと」


 突然の兄の提案に、妹は僅かに顔を上げて答えた。


「調べるって、なにを、どうやって?そもそも調べてどうするの?」

「ドミナさんはきっと僕たちなんかとは話してくれないから、上に住んでて彼を知ってそうな人に聞くんだよ。あの人、ここへ来るのはいつも夜中だし、家族がいたら難しいと思うんだ。そもそも、上の人なのに定期的にここへ来るなんて、何か事情があるはずだしね。特に目的があるわけじゃないけど、探偵ごっこみたいで楽しそうじゃない?」

「……面白そうだけど、そもそも上に住んでてあたし達とまともに話してくれそうな人なんている?」


 ミーニアの懸念は最もだったが、ジェンには彼女には思い付かないであろう「あて」があった。まだ浮かない顔の片割れに、少し得意げな笑みで返す。


「実はさ、最近ちょっと仲良くなった人達がいて。この間焼いて食べた魚、あれもその人達にもらったんだ。おいしかったよね、新鮮で」


 その言葉に、ミーニアが思い切り顔を上げる。香ばしい匂いと久しぶりに味わった油の味を思い出し、一瞬キラキラした瞳でジェンを見たが、すぐに険しい表情になり兄を睨む。


「ジェン……まさかあたしに内緒で危ないことしてるんじゃないでしょうね?何よ、仲良くなった人達って」


 幼い自分達を置いて突然いなくなった二人の母親は、日毎客を取ることで稼ぎを得る街娼を生業にしていた。母親らしいことをしてもらった記憶もほとんどないし、そんな母でも、突然二人だけで危険な街に置き去りにされた時のショックは一生忘れられないだろう。だから、どんなに苦しい状況になっても、お互い身売りだけは絶対にしないと約束していた。


「変な意味じゃないよ!危なくもない、大丈夫!上の廃品置き場を漁りに行くとき、何回か話したら仲良くなったんだ。僕のこと結構気に入ってくれてるみたいだから、きっとミーニアとも仲良くしてくれるよ」

「何それ……ますます怪しい」


 話すほどどんどん深くなる妹の眉間の皺に、ジェンは強行手段に出ることにした。ミーニアが抱えていたリュートを自分が座っていた敷布の上に置き、自分より幾分か小さな両手を取って立ち上がらせる。


「な、なに、急に」

「会いに行こう、今から」

「今?!説明不足にもほどがあるけど?!せめてどんな人達かだけでも教えてよ、もう」

「会えばすぐにわかる。みんなとっても綺麗で優しい人達だよ」


 ぐいぐいと手を引いて歩き出した兄の背中を、ミーニアは複雑な気持ちで見つめた。


(まあ……綺麗ってことは、女の人ってことよね。男だったらどうしようかと思ったけど……あ、でも『あの人』はちょっと綺麗かも)


 周りに花でも飛んでいそうな笑顔で妹を引きずる兄と、盛大な勘違いをしたまま引きずられて行く妹。ジェンがこの時目指していたのは、実は上水路の人魚達の所なのだが、図らずして目的の人物である銀髪の青年と、二人は邂逅することになる。あれよあれよと、そのまま「雨具屋ロイド」に双子の従業員が雇われるまで、あと二時間弱。




 ジェンとミーニア、二人が十一歳になる年の、春の出来事だった。







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