四 「アニマと天眼」

「まぁ、なんてこと!気付かなかったわ、だって貴方達、あまり似ていないんだもの」

「ねぇ、灰色の坊や!貴方は父親似で、彼は母親?それとも、逆かしら」

「ああ、貴方の弟だなんて、知っていたら……もっと遊んであげたのに!」


 水路から上がり青年を引き上げようとするロイドに、人魚達が口々に尋ねる。これだけの数がいて、誰一人ロイドに手を貸そうとはしない。顔形や鱗の色こそ違うものの、性格にほぼ個体差が見られない生き物なのだ。それこそが、ロイドが彼女達を警戒し不穏に思う最大の要因だった。きらきらと反射する鱗と、さっきより大きくなった笑い声に、ロイドは軽い目眩を覚えた。元々朝は働きたがらない頭を酷使したからか、久々に「眼」を使ったからか、はたまた寒中水泳をする羽目になったからか。


 衣類が水を吸って重くなった身体を、やっとの思いで通路へ引き上げる。勢い余って尻をつくと、その音に我に帰ったように子供が走り寄って来た。その手に、ロイドが脱ぎ捨てた雨衣と紙袋を抱えている。十歳ぐらいだろうか。水吐きに備えて青年の顔を横に向けてやると、ロイドの背後から覗き込むように様子を伺う。自分の甥姪である可能性はないと思いつつも、気になって雨除け布の中へ視線をやる。


(ああ……やはり、か)


 子供の顔を覆っているのは、顔が見えにくいように加工された雨除け布だった。この国で、わざわざこのタイプの雨衣を着て外出する人間など限られている。今は外れているので確認できないが、青年が着ているものも恐らく同じような雨衣のはずだ。「誘拐犯とその人質」ではないと思いたいが、この二人が今朝の騒動の原因と見て間違いなさそうだ。




 興味津々と見つめている人魚たちに、目立つからバラけてくれと指示をし、不満気に去って行く姿を見送る。引き際も随分とあっさりしているが、それも今は有難い。一言も発しない子供の前でどうしたものかと思案していると、青年がまた咳き込み、身体を丸めるように横向きに転がった。飲み込んだ水はあらかた吐き出したはずだが、寒さのせいか酷い顔色をしている。


「……大丈夫か」


 遠慮がちに声をかけると、青年はロイドの顔を見ることなく不機嫌そうに答えた。


「人に聞けば怪しまれるだろうと、人魚などに道を尋ねたのが間違いだった。あいつらいきなり……それに、なぜあんたの言うことは聞くんだ……最悪な気分だ」

「話は店で聞く。確認なんだが、追われてる二人というのはお前達で間違いないな?」

「恐らく。どういう話になっているのかはわからないが」

「……了解。とにかく、店へ」


 話している間もどんどん顔色が悪くなっていく青年を不審に思いつつ、抱き起こそうとすると小さく呻き身体を折った。両手で左の脇腹あたりを押さえている。額には、ずぶ濡れでもはっきりとわかるほどの脂汗が浮かんでいた。断りを入れたところでどうせ拒否されるだろうと、何も言わずに青白い手を剥がさせる。


「っ……、触るな!なんでもない!」


 案の定、ロイドの手は払い除けられる。もう十年近く会っていなかったが、刺々しい性格は相変わらずのようだ。それも、この態度が向けられるのはほぼロイドにだけだから、余計にタチが悪い。


「いいから、見せろ。店までは歩いてもらわないと困る」

「もう自分で『治した』!問題はない!少し休めば歩ける!」

「治した?お前が?」


 青年が不機嫌そうに顔を逸らす。ああ、なるほど、と、ロイドは一人納得した。彼は何か怪我をしている。そして、それを「自分で治した」と言った。泥のような顔色の原因は、間違いなくそれだ。とは言え、怪我の状況を見ないことには無理に動かすこともできない。どう妥協させようかと思案していると、表通りの方から大型馬車の車輪と蹄の音が響いてきた。どうやら、悠長に構えてはいられないらしい。


「たぶん王宮の一番でかい車だ。うちの店にもすぐにガサ入れが来る。ここにいてもいずれ見つかる。意地張ってないで見せろ」

「…………」

「お前だけの問題じゃないんだろ」

「……借りだとは思わないからな」


 渋々といった顔で大人しくなった青年に苦笑いしつつ、その脇腹を見る。斬られたというよりは、何かが刺さったような切れ方だ。衣服の破け目はそれほど大きくないが、その奥の恐らく傷口があっただろう箇所が火傷の跡のように引き攣り、さらに青痣のように変色している。これで「治した」と言い切ったのだから驚きだ。


「お前……矢傷だろ、これ。どう治癒したらこんな——」

「うるさい。急ぐんじゃないのか」


 怒鳴られるかと思ったが、余程具合が悪いらしい。いっそ矢尻が残ったままの方がよほど「やりやすい」んだが、と内心苦笑しながら、ロイドは一度周囲を警戒し、先程二人を見つけたときのように、一度目を閉じ、開いた。青灰色の眼に光が灯る。今度は、目の前にいる青年の身体だけが緑色の光を纏って視える。全身を走る血液の流れ、骨や内臓の位置やその動きまで、すべて手に取る様にわかる。


 歴史上、初めて「天眼」と呼ばれるこの眼を持って生まれ、初めてこの光を視た者は、これを生命いのちの流れ、「アニマ」と呼んだ。


 青年のアニマは全体的な色が薄く、体温の著しい低下を現していた。そして、傷を負い、天眼を持たない者が魔力だけで無理矢理治療しようとした箇所は、温かな緑色の光の中で唯一、赤く変色しその異常を知らせていた。


(ただの矢傷なら簡単な術式で済んだんだが。だいぶ複雑に絡んでるな)


 だが、と、衣服の破け目に軽く手を添えて、アニマが変色している部分に集中して魔力を流し込む。本来の流れから切り離され、苦痛の原因となっていた赤い糸が解け、正しい位置に組み直されていく。そして、矢に射られたことで出来た元の傷も、魔力を流し細胞を活性化させていくことで塞いでいく。呆気に取られている二人の前で、青年の傷はあっという間に癒えていった。時間にして、およそ三秒。

 傷が完治したことを確認した青年が、フン、と鼻を鳴らし忌々しげにロイドを見る。


「本当に……あんたは本当に、腹が立つ」

「得意分野なだけだよ。とにかく、店へ」


 ロイドは立ち上がり、まだ顔色の悪い青年へ手を差し出した。青年はその手を取ることなく、フードを被ると優雅な仕草で立ち上がった。フラついて当然だと思っていたロイドは思わず目を見張る。青年はそのままロイドから視線を外すと、それまで大人しく事の成り行きを見守っていた子供へ、恭しく頭を下げる。


「お待たせしてしまい申し訳ありません。参りましょう」


 子供は青年へひとつ頷くと、ロイドへ向き直り顔を上げた。雨除け布越しに、視線が交わる。


「あなたが、『アルビス』?」


 その一瞬、ロイドの時間が止まった。


 僅かに開いた唇が、小さな笑みの形に閉じられる。子供からそっと雨衣と紙袋を受け取り、二人に背を向け雨具屋の方へと歩き出す。問い掛けには答えずに、顔だけ軽く振り返り小さな影に呼び掛けた。


「……お早く」







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