第九話

 イザークは自室のベッドに寝っ転がっていた。もうそろそろ約束の時間だ。

 

 あの姫は躊躇いなく一人で出ていく。自由な小鳥のように飛び立っていく。この俺を置いて。十年も側に付き従ったこの俺を。なぜそんなことができるんだ?俺には心を開いてくれていると思っていたのに。信頼などこの程度なのか?

 確かに拒絶はしたが、どうして今回はいつものように重ねて命じてくれなかったんだ?そうすれば俺は——


 ついていく言い訳ができたのに。



 そんな言い訳は許さない。姫の叱責が心に堪えた。


 そうだ、俺はいつも逃げていた。命令がないと、言い訳がないとあの姫についていけない。自分の意思でついていくのは怖かった。拒絶されるのが怖かった。今回その弱さを、甘さを見透かされた。


 もし俺が勇気を出せば、わがままに手を伸ばせば、

 偽装ではなくあの姫は応えてくれたのだろうか。



 その時、屋敷内が騒がしくなる。使用人達が走り回る足音が響く。

 イザークは執事服の上着を手に取りそっと気配を殺し部屋から出た。見た目より重い上着には暗器が仕込んである。

 行き交う人の目を掻い潜り、廊下の死角からアデルナの部屋を窺った。


 部屋の窓は大きく開かれ縄梯子が窓から垂らされていた。イザークは目を細める。

 窓から外に出るのに姫は縄梯子を使わない。壁をつたえるのだから。そうして一時期、毎晩のように街に遊びに出ていたのだ。


「アデルナは見つかったか?!」


 アデルナの部屋にいたブルーノが声を荒げる。


「まだです!」

「犬は何をしていた?!」

「大量の肉が置かれてそこに群がっておりました!」


 庭には番犬が何匹も放し飼いにされている。だが全部姫には猫のように懐いているのをイザークは知っている。つまり餌の必要はない。


「アデルナめ!!」

「ブルーノ様、こちらが外塀に!これを伝って外に出られたようです。」

「屋敷の外から馬車が出ていたと目撃情報がありました。」


 使用人が二人、部屋に駆け込んで来た。うち一人が鉤縄かぎなわを持っていた。使用人達からおぉ!と拍手まで上がっている。

 そんなわけないだろ!忍者か?!姫が外塀にいつの間にか作った隠し扉から出られるわ!馬車は雇って外に置いておいたのだろう。


「くそ!外に探索を広げろ!これ以上あれに勝手をさせるな!」


 そう言いブルーノは使用人達と共にアデルナの部屋を出て行った。



 扉の影に隠れていたイザークは誰もいなくなった部屋に静かに入り、扉を閉め鍵をかける。


 残された痕跡は全て陽動だ。あれで探索の目を外に向けさせる。その隙に人の減った屋敷からこっそり外に出るのだろう。

 身を隠すならこの部屋の中。過去散々かくれんぼに付き合わされた。あの姫の隠れる場所なら想像がつく。


 そうしてイザークは衣装部屋を開ける。たくさんの釣りドレスを掻い潜り、奥の壁のある場所を押すとがこんと壁が開いた。

 薄暗い中で隠し扉を開けば、膝を抱えて小さくなったアデルナがそこに隠れていた。


 ぎゅっと膝を抱えていたアデルナが眩しそうに目をすがめて顔を上げた。


「見つけましたよ、姫。」


 いる場所は想像がついていた。それでもそこにいれば宝物を見つけた時のように胸が躍る。昔は姫とのこのかくれんぼがとても好きだった。


「何しにきたの?」


 部屋から微かに差し込む灯がアデルナの表情を浮き上がらせる。目元が赤い。その目に雫が見える。


 ひょっとして俺のせいで泣いていてくれたのだろうか。そう自惚れたくなってしまう。イザークの自尊心と、もうひとつ何かが疼いた。

 心細そうにこちらを見上げるアデルナの儚げな表情にイザークは心を躍らせた。それが一歩を踏み出す勇気をくれた。アデルナの前に騎士のようにかしずく。


「お迎えにあがりました、姫。」


 アデルナが震えて差し出した手をイザークは両手でとった。

 アデルナが応えてくれたようでイザークはついと視線を逸らした。勝手に顔が赤らんでしまうが暗がりだから大丈夫だろう。




 

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