奴の名はバチェラー・ノヴァ

きょうじゅ

こんな戦車に誰がした

きょうを読むひと

 世界はとっくに壊れていた。今から三ヶ月前、コンピュータ・ネットワークを支配する人工知性体『バチェラー・ノヴァ』が暴走したときに、人類の文明は崩壊を迎えることになったのだった。


 核ミサイルが乱舞した。鋼鉄の兵器が咆哮した。IoT対応の冷蔵庫さえもが人を襲い始めた。ただ、ネットワークに接続されていないモノだけが人間の味方であり続けた。


 僕らが乗っている一両の戦車もそうだった。10式戦車ひとまるしき。もちろん、現代の戦車はコンピュータ・ネットワークに接続されているのが一般的で、セキュリティがあるとはいえノヴァの前ではそんなものは無力で、ほとんどの戦車は人類の敵となったが、わが10式、愛称『十王じゅうおう』はたまたまノヴァが反乱を起こしたその日に通信機の故障を起こしていたために、無事だったのだ。その通信機は、結局いまに至るまで修理されていない。似たような理由で人類の手にとどまった兵器はいくらかあるにはあり、それが人類が現在行っている最終戦争、通称『大破戒』における、人類側の最大の武器となっていた。


 とはいえ、人類側は現状防戦一方で、いくつかの拠点に籠って籠城に近い状況を作り出している、というのが現状ではあった。十王とその三人の乗員、つまり僕らの上官で車長である草亭そうてい少尉、砲手の大山おおやま軍曹、そして操縦手である僕こと都司とし五道ごどうの三人は、いま残されている人類にとってはエース級の戦力である。戦車は貴重であった。


「少尉どの。敵が迫っております。戦車です」


 望遠鏡を使って、城壁の上から索敵をしていた偵察兵が僕らにトランシーバーで連絡してきた。10式は最新鋭戦車なのだから、もちろん索敵能力くらい備わっている。僕が確認した。僕にはもちろん専門知識がある。敵は、M1A2SEPエイブラムスだった。アメリカ軍の主力戦車として開発中だった、最新鋭の戦車。といっても正式配備はまだされていなかったから、おそらくあれは試作型なのだろうが。


 こちら側にはいま、戦車は他にいない。他の人類側の戦車は出払っている。一対一で戦うしかなさそうだ。距離はまだかなりある。


「近づかせるわけにはいかない。迎撃に向かうぞ。全速前進」


 草亭少尉がそう言ったので、僕はアクセルをふかし、十王を敵の方角へと向かわせる。と、草亭少尉のいつもの朗誦が始まった。


羯帝羯帝波羅羯帝波羅僧羯諦菩提薩婆訶ぎゃーていぎゃーてい はーらーぎゃーてい はらそうぎゃーてい ぼーじーそわか


 彼は経を読む人である。僧侶というわけではもちろんないが、昔から熱心な仏教徒であったらしい。ちなみにこれ、意味は「行くべし、行くべし、死者の国。死は仏の悟りなり」というもの。


 そこで、敵から通信が届いた。コンピュータ通信ではない。単なる無線通信である。受信する。音声言語、つまり日本語で、バチェラー・ノヴァの端末の一つである敵戦車が、こんなことを言ってきた。


「投降し、その戦車を明け渡しなさい。そうすれば楽に死なせてあげます」


 向こうももちろん日本語を理解する能力を持っているわけなので、少尉はこう返事をした。


「鉄板着込んだガラクタ風情が。人間様をなめるなよ」


 すると、さらにこういう通信が届いた。


「なぜ壊れ物の世界を抱くの?」


 そこで通信が一方的に切られた。返事を求めて聞いてきたわけではないらしい。


「戦闘開始。距離2000に到達したら速度30まで減速、砲撃を開始せよ」

「ラジャー」

「ラジャー、キャプテン」


 M1A2SEPの主砲はラインメタル120mmL44。ドイツのラインメタル社が開発した、44口径120mm滑腔砲だ。実は日本でも、10式の一つ前の世代、90式に同じ主砲が配備されていた。まったく同じものというわけではないだろうとは思うが、その威力や射程などはある程度まで予測することができる。ちなみに、10式の主砲はその名も10式戦車砲、日本製鋼所製の国産44口径120mm滑腔砲である。つまり、口径と砲身長は同じなわけだ。あとはドイツの大砲を国産の大砲が凌ぐことができるか、という問題になってくる。


 で、撃ち合いが始まった。向こうも撃ってくる。この距離では、お互い直撃させるのは難しい。僕は十王をジグザグに走行させながら、軍曹の射撃の腕前を信じて、祈る。ちなみに僕はカトリックのキリスト教徒なので、祈る相手は主なるイエスである。だからって別に少尉が般若心経を唱えることに反対したりはしないが。


 一対一の戦車戦というのはボクシングの試合とは違うので、先に致命打を与えた方が一方的に勝つ、という性質のものである。で、結論から言えば、僕らの砲は敵エイブラムスの胴体、シャシー部分を撃ち抜いた。爆発し、動きが止まる。だが。それでも、エイブラムスはほぼ砲だけの状態で弾を撃ってきた。


「回避機動継続。砲身を狙え」

「ラジャー、キャプテン」

「ラジャー」


 軍曹は撃った。大砲は吹き飛んだ。僕らの勝ちだった。少なくとも、この戦いだけは。人類に未来が残されているかどうかはともかく、今日これから帰ったら祝杯を挙げて、シェルターの街『アースバウンド』で最近付き合い始めた女と一夜を共にする、くらいの権利は僕たちにはあるだろう。


 というわけで、帰った。その帰り道で、僕が言った。


「なぜ壊れ物の世界を抱くの? って、言われましたね。お二人はどうですか? あの質問」


 最初に答えたのは軍曹だった。


「帰って女を抱くためさ」


 少尉は言った。


「56億7000万年後、救済の訪れるその日まで、我々は戦い続ける」


 最後に僕が言った。


「たとえ壊れるとしても、あるいは既に壊れているとしても。世界を愛しているから。ですかね。僕の答えは」


 僕はアースバウンドに到着し、その夜は恋人と寝床を共にした。戦いは続く。

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