第7幕 島之内教会の段


    ( 1 )


 正樹は、翌日青磁と共に大阪に戻った。

 朝日座の梅太夫の楽屋に直行した。

 矢澤竹之輔もいた。

「只今帰りました」

 青磁は、頭を畳に擦りつけていた。

「鯛めしは上手かったか」

 愛媛名物の鯛めしの事だ。

「はい、何度か戴きました」

「そうか」

 梅太夫は、ラジカセのスイッチを押した。

 この時代、ラジオとカセットテープが一体型の、通称「ラジカセ」が若者中心に爆発的ヒットとなった。

 これで、ラジオから流れる音楽を録音するのだ。

 電池もついていて、外へ持っていけるのがヒットの要因である。

 カセットテープ型のウオークマンは、まだ登場していなかったのである。

 欧陽菲菲(オーヤンフィフィ)の「雨の御堂筋」が鳴り出した。

 昨年9月に発売されてもう一年近くなるのに、まだヒットしていた。

 アメリカのバンド、ベンチャーズが作曲して、日本語の歌詞をつけて、台湾女性が歌う。

 今では当たり前のコラボだが、当時は珍しかった。

「雨降らんかなあ」

 汗かきの梅太夫は、バタバタと団扇であおぎ始めた。

「雨の御堂筋を歩きたいんですね」

「そうや。(雨の御堂筋)を、雨の御堂筋で聞きたいんや。正樹、御堂筋、雨降らして来い!」

「久し振りの無茶ぶり、聞きましたね」

 青磁も思わず笑みを浮かべた。

「お前は、伊予北条の鹿島で雪降らしたんやろ。雪が出来るなら、雨なんかすぐやろ。それに虹も渡ったんやろ。それぐらい直ぐに出来るやろ」

「えっ知ってるんですか!」

「文楽の情報は、ここに集まるんや」

「梅太夫師匠の地獄耳は有名やからな」

 竹之輔が云った。

「虹でも海でも渡って来い。何でもええから文楽を生き返らせ」

「丁度よかった。今月末の島の内教会での浄瑠璃の会、青磁さんと二人でやるんです」

「音符、光り、回転、虹。次は何や」

「何も出ません」

「面白ないなあ」

「古典文楽、浄瑠璃で勝負です」

「阿保!若いからハチャメチャやったらええんや」

「例えば」

「例えばやなあ」

 梅太夫は、少し考えモードになりかけて、

「阿保、それを考えるのがお前らの仕事やろが!」

 梅太夫は、笑いながら叫んだ。

 別段、青磁の失踪をとがめてなかった。

 二人で喫茶「サンライズ」に行った。

「梅太夫さんって、子供いないんですか」

「きみは知らないのか」

 呆れたように、青磁は言葉を発した。

「知りません」

「いるよ。男の子。と云っても、もう50歳ぐらいかなあ」

「えっ誰ですか?太夫さん?」

「この文楽の世界にはいない」

「どこにいるんですか」

「京都にいるらしい」

「何をしているんですか」

「さあ、そこまでは知らないなあ。確か一人娘がいるって。つまり梅太夫さんから見ると、お孫さんだな」

「それは知りませんでした」

 正樹はまだ研修生だった。

 あまり個人的な事を聞ける立場ではなかった。

 今、ここにいる正樹はこの時代から50年の歳月を経た人間である。

 しかし、思い出せない。

「お孫さんは、確か20歳くらいにはなってるはずだ」

 梅太夫の80歳の年齢からすれば、そのくらいだろう。

「親子の断絶ってわけだな」

「そんなに文楽嫌いになるのかなあ」

「一番近場で見てるのが家族だからな」

「だから、余計に世間ではわからない処まで見てしまう」

「そう云うもんだよ」


 上条の妹、秀美が夏休みを利用して、大阪にやって来た。

「正樹君、一度大阪を案内してよ」と云われた。

 今までずっと寝泊まりしている森の宮の青少年会館と、道頓堀朝日座の往復だけだった。

(さあ困った)

 頭を振る回転させた。

 でもわからない。

「サンライズ」で一人、悩んでいた。

 そこへ富士屋のプロデューサー八幡が入って来た。

「えらく、悩んでるなあ」

 八幡は、正樹の向かいに座った。

 正直に云った。

「何や。そうかいな。それやったらこれ、参考にしたらええ」

 鞄から、小さな手のひらサイズの雑誌をぽんとテーブルの上に置いた。

「(プレイガイドジャーナル)何ですか。これは」

 正樹は手に取った。

「大阪で発行してる、サブカルチャー雑誌やがな」

「ぴあみたいなもんですか」

 月刊「ぴあ」が先月、東京で創刊されたばかり。

 この時代、まだ「関西ぴあ」は出来ていない。

「ああ、東京では先月発刊されたやつやなあ。まあそんな感じ」

 若者向けの演劇、映画解説が小さな文字でぎっしり書いてあった。

「デートの定番は映画かボーリングかなあ」

 考えて見ればこの時代、カラオケもゲームセンターもUSJもない。

 映画が王様のはずだった。

「映画、何がいいですか」

「そらあ、今やったら(ゴッドファーザー)やろなあ」

「そうですか」

 フランシス・フォード・コッポラ監督の話題作だった。

「でも相手は東京の人でしょう」

「はい」

「だったら、東京でも見れるからねえ」

「大阪限定のものにしろと」

「そう」

 何がいいかなあ。

「所で、待ち合わせはどこにするの」

「まだ決めてません」

「連絡取れる、喫茶店にしとかなあかんで」

「そうでしたね」

 スマホがない時代である。

「まあ駅前伝言板使ってもいいけど。あれ、利用者多いから次から次へとチョークで上書きされるから、読めなくなる」

 この時代、国鉄、私鉄の大きな駅には必ずあった。

 黒板にチョーク。

 メッセージ文と書いた時間を記入。

 2時間経つと消される。


 結局待ち合わせは、難波高島屋前にした。

 正樹は、上条、八幡の忠告を聞いて、喫茶「瑠璃」にしようとした。

「喫茶店から、また出るんでしょう。面倒ねえ」

 秀美はそう云った。

 仕方なく、10時半に正面ロビーで待ち合わせした。

 正樹は30分も前に来ていた。

 百貨店を見て回り、約束の10分前には来ていた。

 しかし・・・・

 約束の時間を30分過ぎても秀美は来なかった。

 焦ったのは正樹だった。

(約束場所間違えたのかなあ)

「瑠璃」へ行き、店内見渡したがいなくて、戻って来た。

(そうか。上条なら連絡取れる)

 正樹は、スマホでメール送る。

 すぐに返信来た。


「あいにく、別行動してる。

 来てないのは、心配だな。

 心当たり 当たってみる」


 そして1時間後。

 秀美は来た!

 手に雑誌「ノンノ」を持っていた。

 「ノンノ」は昨年(1971年・昭和46年5月)創刊された雑誌で、東京で絶大な人気が出ていた。

 その証拠に、雑誌のロゴ「ノンノ」を表に見えるように小脇に挟んで歩くのが流行っていた。

 秀美もそうしていた。

 ベルボトム(裾が広がったもの)ジーンズにTシャツだった。

 久し振りに、待ち合わせで人が来た喜びを味わった。

 スマホの出現で、

(来るのか)

(来ないのか)

(何か事故に遭ったのか)

 色々な思い、妄想が浮かぶ作業がなくなっていた。

 そんな思いを久し振りに味わった。

(この時代、待ち合わせ一つも、大変だったんだ)

 と思い知った。

 秀美に

「ちょっと御免」

 と云って上条にすぐにメールで返信した。


「来ました!」


 それだけ打った。

「ごめんなさい」

「どうしたの。何かあったの」

「ちょっとね。ずっと立ちっぱなしで疲れたでしょう」

 秀美は、目の前の南海通り商店街入ってすぐの「瑠璃」に入った。

「私はアイスコーヒー」

「僕はレイコ」

 ウエイトレスが去る。

「レイコって何?」

「アイスコーヒーの事」

「じゃあ一緒じゃないの」

「ああ。大阪に来れば、大阪弁を出来るだけ話した方がいいって」

「誰が云ってたの?」

「青磁兄さん」

「仲良しになったんだ」

 大阪城公園での逆晴天祈祷対決を知っていた秀美には不思議だった。

「島之内教会ライブの時、見に行くから」

「有難う。その時預かってるヒロコ連れて来てよ」

「また舞台に出すの?忙しいの?」

「ああ、猫の手も借りたいほど忙しい」

 この時初めて秀美は笑った。

 知り合って五か月だけど、こうして大阪でデートしてるのが不思議な気分だった。

 これって、50年前もあったかなあ

 漠然と思い返していたが、わからない。

 人間の脳は、限りあるので、どんどん忘れる構造になっていると聞いた事がある。

 重要な、ショッキングな出来事は忘れないが、それ以外はどんどん忘れて行くらしい。

 と云う事は、今日のデートはそんなに重要でないのか。

 ぼんやり考えていた。

「正樹君!」

「はい!」

「さっきから、呼んでるのに」

「すみません」

「何だか魂の抜け殻みたいだったわよ」

「ちょっと考え事」

「何?島之内教会ライブの事なの」

「はい、まあ」

「次はどこへ連れて行ってくれるの」

「映画見ましょうか」

「ゴッドファーザーは嫌よ」

「駄目なんですか」

「映画自体、好きじゃないの」

 道頓堀まで歩いた。

 御堂筋側から、洋画の松竹座、邦画の浪花座、新喜劇の中座、寄席の角座、東映映画館、文楽の朝日座。

 6つもの劇場、映画館が揃ってる街。

「でも、将来は、松竹座以外、全部なくなるんだよなあ」

 思わず正樹はつぶやく。

「出た!予言者正樹くん」

「すみません」

「道頓堀よりも私を占ってよ」

 秀美が顔を近づけて来た。

「わかりません」

「嘘!本当はわかってるのね」

「本当にわかりません」

(て云うか、脳裏に全然残ってないのだ)

 上条の事は残ってる。

 しかし、妹の秀美の事は全く記憶にないのだ。

 こうしてデートしたなら、覚えていてもおかしくはないのに。

 それとも、一回目の人生ではなかったのか?

 誰かに聞くわけにはいかない。

「ねえ、大切な事聞いてもいいかな」

「どうぞ」

「もし仮に、50年後の未来から来たのが真実として、どっちが幸せなの」

「僕がですか」

「正樹君も含めて、国民全体の話」

「難しいなあ」

 確かに、生活は令和の時代の方が劇的に便利になってる。

 リアルタイムでテレビを見る必要もない。

 外でも気軽に見れる。

 スマホ、パソコン、ウオシュレット、電動自転車、カーナビ

 数え上げればきりがない程の電化製品がある。

 何でも答えてくれる小型携帯電話。

 お掃除ロボット。

 でも幸せかと聞かれたらどうだろうか。

 日本は、国民総生産世界第2位。

 ずっと続くと思っていた。

 中国が第2位になるなんて云っても信用してくれないだろう。

 ただ云えるのは、こっちの昭和47年の時代の方が、未来は輝いていた事だ。

 少子高齢化も巨大地震も貧困もない。

「国民全体の感覚としては、こっちの時代の方が幸せだよ」

 正樹はきっぱりと云い切った。

「じゃあ、今が頂点で段々下がるの」

「物は豊かになるけどね」

「これ以上に豊かになるなんて考えられない」

 確かに秀美の云う通りだった。

 未来の事知らない人たちは、今が頂点だと考えている。

 それはどんな時代でもそうだ。

 近い将来、月や火星、宇宙旅行が日常茶飯事となった人たちから見れば、今も2022年も、相当窮屈な世界と感じただろう。

 それは過去も同じ。

 海外旅行なんて日常茶飯事の今の世の中からわずか、100年前の日本の、ほとんどの人が海外旅行していない世の中なんて窮屈だと感じる。

 未消化のままデートは終わった。


    ( 2 )


 島之内教会義太夫三味線ライブの当日。

 ここは、大阪ミナミにある教会。

 普段は、ミサのための長椅子は取り払われていた。

 全員「体育座り」で地べた。

 舞台と客席との段差は低い。

 週末金、土曜日を中心に市民に開放されていた。

 田所牧師は、米国へ留学中,教会が単なるお祈りの場所ではなく、広く市民に開放されている事を知った。

 カントリーソング、ゴスペル、パーティーなど様々な催しが地元の市民が主催されていたのだ。

 帰国後、大阪の島の内教会に赴任後、すぐに動いた。

 元々大阪は、東京に比べて小さなスペースでの興行がなかったからだ。

 こうして日々、フォークソングコンサート中心で行われていた。

 後は、ゴスペル、合唱、絵本の朗読など幅広く行われていたが、今回、初の「義太夫三味線・浄瑠璃ライブコンサート」は、新聞雑誌等のマスコミの注目を浴びた。

 東京の「ぴあ」編集部も来ていた。

 今、大阪では「文楽」「浄瑠璃」等の類いは壊滅状態だった。

 果たして、客が集まるか心配したが、蓋を開けると、満員大盛況だった。

 これは「富士屋」の八幡プロデューサーが果たした役割が大きかった。

 八幡は、大阪の絶対的若者タウン誌「プレイガイド・ジャーナル」(通称・プガジャ)に働きかけて特集記事を書いて貰った。


「17歳の天才的文楽研修生」

「数々の奇跡」

「義太夫三味線が巻き起こす、(♬音符・虹・光り)」

「きみは、この目で見届けろ!」


 数々の惹句が踊る。

 文楽協会の技芸員も注目だった。

 朝日座での本公演翌日のこの日。

 本来なら東京へ行く移動日だったが、ほぼ全員島之内教会に詰めかけた。

 梅太夫、矢澤竹之輔は頭取の原田と共にいた。

「これは、ほんまかいなあ」

 ぎっしりと詰めかけた客を眺めていた。

 客のほとんどが20代の若者で、中には高校生らしき軍団もいた。

 20人位でお揃いのTシャツに団扇を持っていた。

「あれは何だんねん」

 梅太夫は、高校生軍団を指さして云った。

「ああ、あれね、坊屋正樹君の追っかけ集団です」

「何を追っかけてるんや」

「ですから正樹くんを」

 原田の説明を聞いても釈然と出来なかった。

「こんだけ、若者詰めかけて来てるのに、何で文楽研修生応募、大阪はゼロやったんやろな」

「そりゃあ見るのと、実際文楽の世界に入るのとでは、全然違いますよ」

 原田は答えた。

「一刻も早う、大阪にも国立の文楽劇場作るべきですなあ」

 竹之輔は補足した。

「僕の方から、文化庁へ再三再四云うているんですけど」

 原田は、元は国家公務員で、文部省に勤めていた。

 ある事件で、出向の形で文楽の世界に飛び込んで来た。


 客席には、同期の研修生全員いた。

 秀美は、バスケットを膝の上に置いて、一番前で見ていた。

 秀美は、正樹とのデートの後、一旦東京に戻って、再び来阪していた。

「熱心だな」

 兄の上条は笑った。


 舞台上手袖の階段を三段下がった突き当りが控室だった。

 正樹と青磁がいた。

 二人は、義太夫三味線を調律していた。

「しかし、世の中何があるか、わからないよなあ」

 青磁がまず口を開いた。

「何がですか」

「きみと大阪ミナミの島の内教会で、こうして二人で義太夫三味線のライブをやる事だよ」

「そうですね」

 本来、一人で行う形だったが、正樹は青磁を指名したのだった。

 八幡が顔を出した。

「大入り満員だよ」

 顔がほころびていた。

「大勝負が吉と出ましたね」

 青磁が答えた。

「こんな事なら、3日間くらいやるべきだったな」

「それは結果論です」

 舞台監督が、開演5分前のブザーを鳴らした。

 正樹と青磁は義太夫三味線を持って舞台中央に行く。

 客席との間には、黒幕があって、見えない。

 開演ブザーはなかった。

 合図もなく、客席と舞台が暗くなった。

 義太夫三味線の一の糸が一つ鳴り響く。

 これだけで充分だった。

 恐らく、開演ブザーの代わりに、義太夫三味線の音色を聞かせたのは、これが世界初めてだったはずだ。

 提案したのは、八幡だった。

「ありきたりの、開演ブザーではなくて、何かないかな」

「じゃあ義太夫三味線でやりましょう」

 正樹の提案はあっさりと通った。

 田所牧師も了承した。

 黒幕の後ろで二人の義太夫三味線が鳴り響く。

 秀美は、それを合図に猫ヒロコをバスケットから放した。

 再び義太夫三味線の一の糸が一つ。

 舞台奥に置かれた1.5kWFQライトがついた。

 暗転中で黒幕から透けて見える斜幕に代わっていた。

 義太夫三味線を持つ正樹と青磁の姿がバックライトで逆光でシルエット姿だけだった。

 正樹の頭上に何やら動くものがあった。

 それはすぐに、ぴょんと前に降りた。

 光りの輪っかが出来る。

 ヒロコ猫だった。

 ヒロコは、舞台にいたのだ。

 突然の猫の登場に、客席は沸いた。

「何を始める気や」

 梅太夫はつぶやく。

 恐らくここにいる客席全員が同じ思いだったに違いない。

 ヒロコは、クルクルと舞台中央で回り出した。

 回転はどんどん速くなる。

 それに合わせて、義太夫三味線の音も激しく早くなった。

 拍子析一つ。

「チョン!」

 舞台全面に光が投入されて明るくなった。

 正樹と青磁が中央に立って義太夫三味線を弾き続ける。

 するとどうだろうか。

 二人の後ろから何やら見える。

 正樹は上手へ。青磁は下手端に動く。

 真っ白な着物を着た女が踊っていた。

 耳は、猫のようにとがっていた。

 

 創作浄瑠璃「猫(ねこ)島之内(しまのうち)教会(きょうかい)讃美歌(さんじょう) 」

 ♬

 島之内教会    参上す

 義太夫三味線   鳴り響く

 時代遅れか    先端か

 判断するは    時の人

 まずは聴いてよ  一の糸

 音符が腹に    染み渡る

 勝手に踊るは   ヒロコ猫

 今宵は皆様    披露する

 異世界への    誘い(いざな)か

 ぱっちり目を開け 見るが良い

 猫の踊りは    小手調べ

 何が出るかは   お楽しみ

 さあさあさあと  追い立てる

 囃し立てるは   皆の衆

 さあどこまでも  ついて来い

 くるくるくると  回る猫

 手拍子喝采は   遅れずに

 イケイケどんと  後押しは

 皆様方の     熱い声援

 そりゃあそりゃあ そりゃあ



 もちろん、人間の女が踊っていると誰もが思っていた。

 しかし・・・

 舞台監督が消し幕を持って来た。

 消し幕とは、歌舞伎公演で使われる。

 舞台で死んだ人間をはかすときに使われる。

 黒子が持って来た黒幕に入って退場するのだ。

 すっと上手から下手に移動した。

 一瞬にして、踊り手の女が消えて、今度は同じ衣装を着た、猫ヒロコが正樹の頭上に躍り出た。

 大きなどよめきが起こった。

 さらにヒロコは下手の青磁の頭を目掛けてジャンプ!

 観客の目は忙しく上手の正樹の頭、下手の青磁の頭を移動する。

 その上にヒロコがいたからだ。

 舞台中央に正方形の二畳台を舞台監督が持って来た。

 その上でヒロコが踊り出した。

 圧巻は、上手袖から義太夫三味線を差し出した。

 ヒロコは、演奏を始めた。

 客席は、興奮のるつぼに入る。

 中には、これは夢なのかと自分の頬をつねる者もいた。

 竹之輔もそのうちの一人だった。

「何やこれは」

「狐に化かされた話は聞くけどな」

 梅太夫も唸った。

「猫?本当に?」

 原田も自分の頬をつねりながら、じっと見守る。

 義太夫三味線の音色が島の内教会を覆う。

 正樹、青磁の口、義太夫三味線から音符がどんどん出て来ても、誰も最早驚かなくなった。

(そんな事もあるだろうなあ)

 と思ったからだ。

 完全に金縛りにあったかのように、全員動けなくなっていた。

 大盛況のうちに幕を閉じた。

 休憩に入っても暫くは、観客は放心状態で、座ったままだった。

「あれは何だんねん」

 最前から梅太夫と竹之輔は、この言葉ばかりついていた。

「云いたい事は、山ほどありそうですね」

 原田は、梅太夫と竹之輔の顔を交互に見て云った。

「何べんも云うけど、あれは17歳が弾ける義太夫三味線のレベルじゃないですよ」

「竹之輔はん、それはどう云う意味ですか」

「平たく云えば、中学生投手が、大リーグで活躍するようなもんですなあ」

 この時代、まだ日本人が大リーグに挑戦していない。

 野茂英雄が、大リーグに行くのは、この時代から23年もの歳月を待たなければならない。

 当然、衛星放送なんか形もない時代なので、一般大衆はテレビで米国大リーグの試合は、見れなかった。

「太夫の私が云うのもけったいやけど、正樹の義太夫三味線は、他の研修生が弾くのと、全然レベルが違う」

「どう違うんですか」原田が聞いた。

「言葉では、正確に云えないけど」

「そこを云うて下さい」

「あいつの義太夫三味線は、脳に直接響きよるな。もちろん腹の底にも染み渡るのもある」

「私は、正樹が50年先の未来から来た話は信じます」

「竹之輔師匠もそう思いますか」

 梅太夫は、にやりとした。

「はいなあ」

「何ですか、その50年先の未来て」

 原田は、梅太夫と竹之輔の顔を交互に見比べて尋ねた。

「あんた、50年待ってみたらええがな」

「そんな長生き出来ません!」

 原田の困り果てた顔を見て、梅太夫と竹之輔は笑った。

 二人は、「正樹の秘密」を共有したかった。

 だから簡単に云わなかった。


 秀美のバスケットにヒロコは戻って来た。

「お疲れ様」

 秀美は、そう云って、ヒロコの頭をポンポンと撫でた。

「通し稽古はしたのか」上条は聞いた。

「全然、ぶっつけ本番です」

「それにしてもよく調教してるなあ」


 幕間20分は、正樹、青磁にとってほぼないに等しい。

 噴き出る汗は、止まらなかった。

「客、照明の熱気は凄いよね」

 青磁の額からも、汗は休みなく生産されていた。

「やはり、ライブは違いますね」

「新宿(くつ底)ライブは冷たかったよなあ」

「客ですか?舞台ですか?」

「両方だよ」

 二人にとって、(くつ底)の失敗があるから、今がある」

「でも東京で、どこかでリベンジしたいですね」

 正樹は答えた。

 大阪よりも数倍、注目度は違う。

 駈けつけるテレビ局も、すぐに全国ネットに載せる。

 波及効果は、段違いだった。

「大阪よりも東京が、今、文楽への視線が熱い。何故なんだろう」

 素朴な疑問を呈した青磁だった。

 その格差は年々広がり、今日まで続くのだ。

「大阪は吉元と藤川トンビの活躍からだからなあ」

 テレビで毎週関西で二つの新喜劇の舞台中継がある。

 小学校からこの二つの喜劇を見て育つ子供たち。

「もし文楽公演の舞台中継があれば、もっと客が増えるのに」

「確かにそれは云えます」

 一般的には、文楽、歌舞伎は難しいと云われている。

 何も難しい事はない。

 やっている事は、恋愛、妬み、殺人、乗っ取り等、現代人とほぼ同じ事件の題材である。

 もし難しかったらこんなに、400年も持つはずがない。

 面白いから続いたのだ。

 それに早く気づいて欲しいと正樹はずっと思っていた。

 第2部は、

 古典 良(ろう)弁(べん)杉(すぎの)由来(ゆらい) 二月堂(にがつどう)の段(だん)


 母、渚の方は子供、光丸を山鷲に掴まれてさらわれてしまう。

 それから30年後

 光丸は、東大寺の高貴な僧侶、良弁僧正となっていた。

 東大寺・二月堂の前には大きな杉の木があった。

 良弁は、毎日その杉にお参りしていた。

 何故なら、この杉の梢で命を落とすところを師の僧侶に助けられたからだ。

 一方、渚の方は、乞食、老女となっていた。

 杉に張り紙をした。

「我が子を知りませんか」と。

 その張り紙に気づいた良弁は、老女を招く。

 30年ぶりの再会。

 その証拠は、小さな守り袋に入っていた、一寸八分の如意輪観音だった。

 それは、かつて夫が主君から拝領した「空蝉」と名付けた香木の包みを、渚が縫い直して作ったものだったのだ。

 良弁は、それを持っていた。

 母子の30年ぶりの逢瀬であった。

 良弁は、子供に帰り、母と抱き合うのだった。


 舞台に大きな杉の木が出て来た。

 そこにスポットライトが当たる。

 青磁が良弁。

 正樹が渚の方。

 両者の掛け合いの台詞と義太夫三味線。

 二丁の義太夫三味線の音色が、30年の空白を際立たせた。


 客席で梅太夫が一番泣いていた。

 30年近く会っていない、息子の事を思っていたのだ。

 京都で塗師として有名になっている事は、テレビ雑誌等で知っていた。

 しかし、お互い頑固同士。

 折れないのだ。

 梅太夫の涙に誘われて竹之輔、原田も泣き始めた。

 梅太夫が肩を震わせて泣いているのを、正樹も青磁も気づいていた。

 余計に、哀愁、嘆きが伝わる。

 正樹は思った。

 自分は、この30年よりもさらに長い50年近い時空を越えて今、この舞台にいるのだ。

 良弁と母、渚が30年ぶりに抱き合った時に、うっすらと舞台奥に姿が見えた。

「菅原道真公!」

 客席から、そう叫ぶ人が続出した。

 渚の方の夫は、菅原道真に仕える水無瀬(みなせ)左近元(さこんもと)治(はる)だったのだ。

 舞台上部から杉の葉の散華が降って来た。

 元々、仏教では、散華(華)を降らすのだが、今回は「杉」が取り持つ事から、杉の葉を降らした。

 途中から、風に煽られて客席にも舞い降りた。

 まだこの時代に「花粉症」なる言葉も、症状を訴える人もいなかったのだ。

 嬉々として手づかみしていた。

 

 慌ただしい楽屋に客人が現れた。

「春葉さん!」

「お久しぶりです」

「見てくれてたんですか」

「はい」

「今は」

「実は、夏の巡業の途中だったんです」

 毎年竹松新喜劇は、7月東京新橋演舞場を終えると、一か月の夏巡業に出かけるのだ。

「大津から神戸へ向かう移動日です」

「忙しいのにご苦労様です」

「実は、藤川トンビから云われて来ました」

 どこで情報をキャッチしたのだろうか。

 トンビは、春葉を「代参」と云う形で島之内教会へ行かせたのだった。

「ほんまは、開演前にお伺いしたかったんですけど、ちょっと遅れて今、お伺いしたんです」

「席はずそうか」

 青磁が気を利かして立ち上がった。

「いえ、お構いなく。私はすぐに神戸行きますから」

 風呂敷包みをほどいた。

「これ、トンビからの楽屋見舞です」

「有難うございます」

「それと今夜、宗右衛門町の(富士屋)貸し切りにしてます。どうかお使い下さい」

 春葉が、風呂敷を包んで楽屋を出ようとした。

 上条と秀美とがっちんこした。

「すんまへん」

 春葉は出て行った。

「よく、鉢合わせするなあ」


 トンビの好意で、「富士屋」で打ち上げが行われた。

 一流料亭で、打ち上げ会をするなんて、夢のようだった。

 正樹は未成年なので、瓶入りコーラだった。

 梅太夫、竹之輔、原田も参加した。

「来月、東京だけど一度私の家へ遊びに来なさい」

 竹之輔が云った。

 竹之輔は、南青山に住んでいた。

「何も私が、今のきみに教えるものはない」

 きっぱりと云った。

「そんなあ」

「いや確かなんだ。それとずっと気になってた事あるけれど」

「正樹君の義太夫三味線の弾き方、私とそっくりなんだよねえ」

「ああ、それはわしもそう思ってた」

 梅太夫が会話に入って来た。

「まだ数度しか、講義で弾いてないのに、きみは完全にマスターしてる」

「有難うございます」

「やっぱり、正樹くんは、単なる研修生じゃなくて未来人なんだよ」

 竹之輔は、微笑んだ。

 柔和な笑みがこぼれる。

「最も、私は猫が踊り出したり、人間に化けたりする裏技は教えてないけどね」

 片目をつぶって笑った。


 上条兄妹も来ていた。

「私、決めました」

 正樹の席に来て、いきなり秀美は宣言した。

「何をですか」

「義太夫三味線を習います」

「いいですね。どこで習うんですか」

「まだわからないの!正樹君の下宿に通います」

「えっ」

 正樹は絶句した。

「でも僕は研修生だし、東京で公演ある時は、昼間教えられないよ」

「昼間駄目なら、夜があります」

「それに、4か月は大阪だし」

「私が大阪に来ます。新幹線で3時間15分です」

 今ならのぞみ号で2時間20分あまり。

 この時代、まだ「ひかり」「こだま」しかない。

 50年の歳月は、所要時間を1時間近くも短縮したのだ。

「妹は、云い出したらテコでも動かぬからな。まあよろしく頼むよ」

 ポンと肩を叩いた上条だった。

 頭取の原田が来た。

「正樹くんは、小唄の堀川小町さんとこに、下宿してたよね」

「そうです」

「どう?彼女元気なの」

「ええまあ。あまりお話しませんけど。小町さんとはお知り合いなんですか」

 その瞬間、梅太夫、竹之輔の二人の顔が同時に原田に向けられた。

「ああ、昔からの知り合いなんだよ」

「そうだったんですか」

「元気でやってると、伝えてくれ」

「わかりました」

 八幡プロデューサー、田所牧師も来た。

「大盛況だったねえ」

「有難うございます」

「正直、こんなに入るとは思わなかった」

「私も。フォークソング全盛の時代だから」

 田所牧師も同調した。

 昭和45年前後は、日本はグループサウンズ時代真っ盛りだった。

 しかし、その時代は短命だった。

 それから、アイドル、フォークソング時代の大波が押し寄せた。

「フォークソング時代は、しばらく続きそうだな」

「それは八幡さんのお見立てですか」

 田所牧師が聞いた。

「ああ」

「はい、その通りです。10年以上続きます」

 思わず正樹は宣言した。

「いよっ予言者!」

 隣で梅太夫がはやし立てた。

「こいつは、50年後の未来から来ましたんや」

 調子に乗って梅太夫は、話を広げた。

「正樹くん、大阪だけでは勿体ない。ぜひとも東京でもやろうよ」

「ああ、東京は駄目です」

 いきなり青磁が会話に乱入した。

 二人の新宿「くつ底」での失敗談を披露した。

「藤川トンビさんは、そんなとこまで顔を出してるんや」

 しみじみ、八幡はつぶやく。

「トンビさんと云えば、さっき楽屋で春葉さんが持って来た(楽屋見舞い)の品物。あれは何だったんだ」

 上条が聞いた。

「さあ何かな」

「ここで開けろよ」

 貰ってすぐに紙袋に入れて、そのまま、「富士屋」に来たので正樹も知らなかった。

「お菓子かなあ」

 包み紙をはがして、箱のふたを開けた。

 中から、鬼の面が出て来た。

「鬼!」

「意味深だな」

 上条がつぶやく。

「あっ、手紙が入ってた」

 正樹は封筒の中から取り出した。

「読んでくれ」

「はい」


「文楽の星、坊屋正樹殿

 日夜精進の毎日、ご苦労様です。

 君に無いもの、欠けているもの

 それは「鬼」です

 人は、こころの奥底に常に一匹の鬼を誰でも飼っている。

 大分部分の人は、一生鬼を封じ込めたままだけど、私はしょっちゅう生き返らせている。

 常に解らないようにね。

 芸道の道を歩む者は、常に己の鬼と対峙して、手なずけておく必要がある。

 また逢いましょう

 共に鬼を見せびらかせて

        竹松新喜劇 藤川トンビ 」


「鬼かあ」

 正樹は、大きなため息をつきながらつぶやいた。

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