4-5 理想につながる可能性

「……すっごい寝れたなぁ」


 寝起きの頭で開口一番。サクラはぼんやりとした眼で、なんにも考えずに感情を音に乗せた。

 人の家にお泊りする経験なんてなかったため、眠れなかったらどうしようなどと緊張していた昨晩が馬鹿みたいだ。

 疲れが溜まっていたのだろう、身体は正直である。サクラはのそのそとした動きでベッドを降りて、リビングに向かった。


「おはよー……って、コモリちゃん出かけるの!?」


 フリルのついた半袖ブラウスを着て食器を片付けているコモリは、どう考えても家でのんびりする服装には見えない。

 コモリは声を上げたサクラのほうをちらりと見て、呆れたように目を細める。


「やっと起きた。当然でしょ、昨日の続きをするんだから」

「ちょ、待っ……」

「待たないけど? ついてくるなら先に朝ごはん食べてよね。テーブルに用意してるから」


 トーストされたパン、スクランブルエッグとミニトマト、牛乳。ここはホテルかと見紛うほどの朝食があった。


「うわあぁ美味しそう! 食べてたら間に合わない!」


 明らかについてこさせる気のない仕打ちにサクラは悲鳴を上げる。

 しかし、その原因は自分がのんきに爆睡していたからである。非難のしようがない。


「じゃあねぇ~」

「うわああああ、急げえええぇぇ!」



     + + +



 自宅のマンションから数キロ離れた横断歩道で信号待ちをしていたコモリは、ご機嫌な鼻歌を歌っていた。

 してやったり、と満足そうな表情をしている。まんまとサクラを置き去りにしたことを上出来とさえ思っているようだ。

 そんなコモリの耳にドタドタとうるさい足音が聞こえた。

 まさか追いついてはこないだろうと振り返った瞬間、コモリの肩に手が置かれた。


「きゃあああっ!?」

「間に合ったぁ……」


 ぜーはーと全力で呼吸をしながら、サクラはにっこり汗だく全開スマイルを向けた。

 コモリは仰け反りながら心臓を押さえ、サクラを指差しながら喚いた。


「なんで間に合うの!?」

「鍛えてるからね」

「どこを鍛えるとそうなるの! 何筋!?」


 日々、事件が起きるたびに現場に駆けつけてきた魔法少女のサクラにとって、朝の支度を数分で済ませるなど造作もない。

 きっちり完食し、歯を磨いて顔を洗い、着替えて、戸締りもきちんと済ませてきた。

 コモリにそう伝えると、まるで化け物を見るかのような目で見られた。


「そんな目で見ないでよ。はい、家のカギ」

「どうも……って、まだ話は終わってない!」

「この話いる?」


 サクラにそう言われて眉をひそめたコモリだったが、時間を確認すると諦めたように肩を落とした。

 そして不服そうな顔をしながらも、サクラの前をずんずんと歩きだす。


「ねぇ、どこに行くの?」

「パパのいるホテル」

「ダイチさん、そこにいるの?」

「たぶん」

(うーん、あんまり友好的じゃないなぁ……)


 短く切られた言葉でぶっきらぼうに言われ、サクラは苦笑しながら後をついていく。

 まるっきり無視されるようなことはないが、露骨に反発的な態度はとられている。

 コモリにしてみればサクラの存在は謎以外の何者でもない。田舎の遠縁の子、なんて嘘は見え透いているのだけど、それでなければいよいよもって何者か不明だろう。


(星霊戦隊のグリーンとピンクの関係です、なんて言えないもんなぁ)


 コモリをダシにしてダイチの協力を取り付けたサクラだが、昨晩ダイチと別れた後でショートメッセージがスマホに入っていた。

 明確に示された約束は一つ。核心的な行動を取るときはダイチの判断を仰ぎ、一人で勝手に動かないこと。

 コモリの監視及び護衛、また調査といった行動を制限するような指示はなかった。


(まあ、それは言われなくともするもんね)


 コモリに戦隊のことを明かすのは状況を大きく変えることは間違いない。

 それに明かすことで協力してくれるならまだしも、ダイチと同様に人質を最優先する可能性がある。むしろ、可能性は高い。

 そのように考えていたとき、サクラは自身の考えが酷く身勝手なように思えた。


(……わたしは人質を最優先してないのかな)


 ふと、押し込めてきた妄想が湧いて出る。理想的正義は傲慢であると、正論を吐く大人がサクラを苛む。

 そんなつもりはない。ただ敵の言うままに従って得られる結果は、サクラの望むものじゃない。

 その価値観が幼すぎるというのだろうか。成熟すれば、より多くのものを切り捨てられるのか。それは正しいのか。


「ねえ」


 悶々とした悩みを抱えたまま無心でコモリの背中を見つめていたが、いつの間にか振り向いていたコモリに呼びかけられる。


「ぼーっとしてるけど大丈夫? 駅、着いたけど」

「あ、うん」


 昨晩はダイチが呼んだタクシーに乗せられて、夜の京都を景色もろくにわからないまま駆け抜けた。

 これからどうするのか不安になり始めたサクラは、ついつい自信なさげにたずねる。


「ねぇ、これからどうするの?」

「はぁ? パパのいるホテルに行くって言ったでしょ!」

「あっ、ごめん。だけど、ダイチさんと話したところで無駄じゃない?」

「無駄かもね? でもやる前から諦めるなんてしたくない」


 ダイチがコモリに戦隊のことを話すつもりがないことをサクラは知っている。だから、コモリの行動は無駄になる。


(うん、でも……)


 理屈ではわかっているが、絶対にそうだとは限らない。コモリの思いが届き、ダイチの気が変わるかもしれない。

 可能性の話をすれば物事の未来など無限にも等しい。そんなもののために挑戦することは効率的ではない。

 だがしかし、わずか一握りの理想につながる可能性を傲慢にも掴むというならば、それは正義の役割だと思うのだ。


(……それならわたし、頑張れる!)


 モチベーションを見失いかけていたサクラだが、本来はそんなもの必要はない。

 やらなくちゃいけないからやる。そんな心持ちで続けてきたのだから、魔法少女の延長線に戦隊が入り込んだだけのこと。


「……うんっ、諦める必要はないよね。ダイチさんと話してみよう!」

「誰が最初から話し合うって言ったの」

「えっ、じゃあ何するの?」

「尾行よ尾行。パパとは夜ご飯一緒に食べようって約束してあるの。そのときに昨日の話の続きをしましょう、って言ってるから、午前中から監視されるとは思わないでしょ」

(発想が怖いよぉ……)


 年齢のわりに大人びた雰囲気があるとは感じていたが、サクラには思いもよらない行動力を発揮している。


「今日はホテルで仕事してるか、ぶらぶらしてるって言ってた。長丁場になるかもね」

「うん……? えっ、わたしも手伝うの!?」

「どうせ、わたしの監視役で一緒にいるつもりなんでしょ? じゃあ、そうするしかないじゃない」


 確かにコモリ単独でダイチのことを嗅ぎ回られては、事件に巻き込まれてしまうリスクがある。それを防ぐためにサクラはここにいるのだから、そうなるのは当然の帰結である。

 しかし、サクラの心情としてはコソコソと尾行するのはあまり気が乗らない。


「悪いことしてるみたいでやだなぁ」

「娘がパパにこっそり会いに行くだけでしょ? ハートフルな話じゃない」

「言い方一つで印象って変わるね」


 コモリの理屈っぽい姿勢はダイチとよく似ているが、リスクのとり方やリターンの求め方はまるで正反対だ。

 警察沙汰だけは避けなければと戦々恐々するサクラに、コモリは悪戯っぽく笑いながら言った。


「心配しなくたっていいと思うけど。未成年で女子で、しかも身内相手よ? こんなに情状酌量されやすい社会的ステータスある?」

「そういうトコがコモリちゃんって心配になるよ……」



     + + +



「ふわぁぁぁ……」

「あんまりキョロキョロしないで」

「だって地下鉄とかあるよ? あ、お土産買いたい」

「そんなのどこにでもあるでしょ……」


 京都駅に着いたサクラはそわそわと忙しなく辺りを見回していた。

 決して観光気分で浮かれているわけではない。怪しい人物がいないかどうか、コモリに悟られずに警戒しているのである。

 魔法少女のおかげでこれまでの人生、旅行や観光に縁がなかったとはいえ、決して浮かれているわけではないのだ。たぶん。


「えへへ、わたし京都初めてだから……」

「修学旅行とかなかったの?」

「あったけど、わたしは行けなくて」

「ふーん……まぁ、いいけど」


 サクラの話に興味なさげな相槌を打ちながら、コモリは目的地へのルートをすいすいと進んでいく。

 一方、あらゆるものに目を奪われ、人混みにも慣れないサクラは、たびたびコモリと距離が離れてはぐれそうになる。


(気をつけなきゃ、迷子になんてなったらどう言われるか……)


 すでに年上の威厳などゼロに等しいのに、これ以上の失態を重ねたらマイナスになってしまう。

 それだけは避けたいと気を張りなおしたところで、ふと視界の端に白く、背の高い何かが映った。

 白いつば広帽に白のワンピース。日常に溶け込むには違和感しかない服装、なのに不思議と人混みのほうが避けるように彼女を素通りする。

 真っ白な違和感が脳に達するまで、随分と時間を要した。


(……――メリー!?)


 あまりの衝撃に認識するのが遅れるほど、サイケシスの幹部が当然のように京都駅構内を歩いていた。

 反対側から歩いてきているということは、このまま行くとサクラたちとすれ違う。


(どうしようどうしようどうしよう……いや、向こうは気づかないかも)


 ここで下手に慌てるとコモリに不審に思われる。

 コモリとメリーを接触させることは、ダイチの判断を仰ぐまでもなく危険だとわかる。

 サクラは乱れ始める息を押し殺すように、平静を装って歩き続ける。

 やがて、メリーがサクラを横切った――


「――ピンクさん?」


 その瞬間、サクラは駆け出した。


「ちょ、サクラ、どこいくの!?」

「ごめんトイレ!」


 困惑するコモリの声を振り切り、駅構内を疾走する。

 二度、三度と方向転換し、人通りが比較的少ない通路の壁際で息を整える。


「……なんで、こんなとこに?」


 あれだけ走り回ったのに平然と目の前にいるメリーへ、皮肉まじりの調子で声をかける。

 嫌なときに嫌な場所に現れてくれるなという思いを込めての言葉だったが、望まない場所で現れるからこそ敵なのだろう。

 明るい日常で間近に目にするメリーは、夜よりも一段と影っぽい憂鬱な顔色をしていた。


「わたしも結論が出るまで滞在中ですので、偶然会うこともあるでしょう……」

「そんなこと……」

「信じられないなら構いませんが……ここで何かをしようとは考えていませんよ。交渉、戦闘、いずれも夜にあの場所で受け付けます」


 サクラもこんなところで戦闘行為を始めるつもりは毛頭ない。警戒を解くわけにはいかないが、それでも幾分か気持ちは軽くなった。

 そうなるとこれ以上話すこともないのだが、このままハイさよならとも言いづらい。

 敵対関係なのだから余計な駆け引きが始まる前に別れたほうが無難なはずなのに、面と向かったからには事を構えないと終われない感覚がある。

 いけないと思いつつ、サクラは心に引っかかっていた疑問を口にする。


「……どうして一週間待つなんて言い出したの?」

「あなたは、それを望んでいたのではないですか?」

「そう、だけど……それを受け入れる必要はなかったと思うんだけど」

「……そうですね、確かに。そう思うのも無理はないかもしれません」


 サクラの疑問に答えようとするメリーの姿勢は律儀さが感じられる。

 パラノイアやオーバードといったわかりやすい敵とは異なり、明確な敵意がわかりにくい。

 それなのに無性に受け入れがたい歪さをサクラは感じているが、どこかでわかりあえそうな錯覚を起こしてしまう。


「ピンクさんには酷な話でしょうが、わたしはサイケシスに属しています。

 わたしの目的は戦隊の縮小。その成果が最低限保障されているとなれば、より大きな効果が得られるチャンスのために待つこともやぶさかではありません」

「大きな効果?」

「グリーンさんの脱落及び……ピンクさんのメンタルへのダメージです」


 淡々とした語り口調に明確な悪意をトッピングしたメリーの言葉に、彼女が敵だと再認識させられる。

 それを口にしてサクラへ伝えることにどんなメリットがあるのだろう。理解の及ばない言動はサクラが心理戦に長けていないから、というだけでは説明しきれない薄ら寒さがあった。


「わたしは何があっても負けないよ」

「ええ、もちろん……純粋な戦闘力では太刀打ちできるわけありません。わたしは弱いですから。

 しかし、あなたがたは今回、非常な不利な立場です。お互い、戦闘に発展しないようフェアに参りましょう?」

「不利? そうかな、こっちは二人でそっちは一人でしょ」


 卑屈な態度や回りくどい言い回しが鼻につき、サクラの言葉が刺々しさを増す。

 メリーはそんなことは意にも介さない様子で、サクラから目線をそらしながら言った。


「前回の戦いでわたしは数的不利を経験しました……連携、という点においてサイケシスという組織はなかなか厳しいものがありますから」

「悪の組織なんてどこも似たようなもんだと思うよ」

「お詳しいのですね? ですから、わたしは戦力の物理的分断を考えたのです。一対一の状況を作り出せば有利になりますから」

「わたしが来て残念だったね」

「……そんなことはありませんよ。わたし個人として、あなたと話せたことは貴重な経験になったと感じています」


 どんなに意気込んでも丁寧に返されて、調子が狂いそうになるサクラはむず痒そうに頬をかいた。そして、メリーが誤魔化したことに気付いてハッとする。


「……あっ、なんで不利なの? 話をそらさないで!」

「そこまで話す義理もないかと存じます。少なくとも、わたしはあなたがたを不利な状況だと考えています。そうでなければ、とっくに逃げ出していますから……」


 言い残すように言葉を途切れさせると、メリーはふらりと人混みに消えていった。


「あっ、逃げるの!?」

「会話の流れが不利になったので……それでは」


 メリーの気配が消え去り、駅構内の環境音がやけに耳に入る。

 たいした言葉も交わしてないのに、やたら重苦しい毒を飲まされたような不快さが胸に残った。


(……なんか、苦手だな)


 パラノイアも含めて、敵に抱く感情としては初めての感覚だった。

 サクラはまとわりつくような不愉快さを振り払い、パンパンと埃を落とすように手を叩いた。


「さて、戻らなきゃ……って」


 ひとまずメリーの脅威は去ったと見ていいだろうが、次なる脅威がサクラを襲っていた。


「……も、戻れるかな」

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