Day.9 神隠し

「この子が例の」

「そうなの。お願いしてもいい?」

「ふん、なにをいまさら。ほかに当てもないんだろう」

 たはは、と額に手を当てるルミナがいくらか緊張しているのがわかって、カミノの口角がこわばった。

 偏屈をこねてかためたような老婆である。小柄で、瞳の色は薄く、複雑な織りの施されたガウンを羽織ってカミノたちをとっくりと検分する。こちらが目を逸らしたら、その時点で失格の烙印を押される気がした。

 滞在先として通されたその家は、とにかく情報量が多かった。壁という壁は書物や日用品、得体のしれない何かで埋め尽くされ、そのすべてが細かな文様に覆われている。整然と並んでいるかと思えば渦を巻き、あるいは虫食いのように書き散らされた色と形は、訪れる者を圧倒する異様な迫力に満ちていた。これがルミナの祖母レイヤのすまい、カミノにはどうしてもこの二人が結びつかない。どこかに家族写真でもあればとつい視線がさまよってしまう。

「きになるかい」

「えあ、はい」

 それだけちょろちょろと目を泳がされちゃあね、とレイヤはまんざらでもない様子で物書き机に頬杖をついた。もう一方の腕でおざなりに周囲を指し示す。

「ここにあるのは私の魔法道具さ。精霊にとって魔法をつかうことは息をするのと同じだからね、文字や文様で小細工しようなんざふつうは思ってもみないし程度の低いこととされている。わたしゃそこに手を出した、言わば変わり者なんだよ」

「またおばあちゃんそんなこと言って」

 ルミナは苦い顔をしているが、生粋の精霊であるレイヤが黄昏の国にいるというのはそういうことなのだろう。表情を曇らせたカミノを見て、レイヤは「心配ご無用、余計なお世話。でも、察しのいい子は嫌いじゃないよ」と笑う。

「こんだけありゃあちょっとした結界みたいなもんで、大概のものは寄ってこない。それに、私ならそのくすぶった炎を導いてやれる。ここはあんたみたいな子を置いとくにはうってつけってわけさ」

 ルミナには学校があり、ステラには門番の仕事がある。四六時中カミノについているのは不可能だ。「今日は私も泊まっていくつもり」とルミナが言ってくれてほっとした。

 カミノが案内されたのは、レイヤの書斎のちょうど裏に位置する部屋で、やはり壁いっぱいに作り付けの棚、寝床は壁をくり抜いたアルコーブにふかふかの寝具が敷き詰められている。まんなかにひとつ月のように大きなぼんぼりが下がっており、部屋中の影をふらふらと揺らしていた。ルミナがなにかを放ると頭上に星が散って、天井はどこかへ行ってしまう。角のない洞穴の如き小部屋は、たちまち小宇宙に姿を変えた。

「わあ」

 思わず漏れた感嘆のため息。ところが、そこへ覚えのない低音が交じる。

 カミノとルミナは揃って眉をひそめた。

「いやあ、これはいい。陸のすまいというのはどうも息が詰まるからな」

「そう……って、あなた誰?」

 寝台に腰掛けた脚の長さ、暗がりでもわかる銀糸の髪。忽然と現れたその男は月のまわりを巡る星を楽しげに見上げつつ立ち上がり、水かきの目立つ大きな手でカミノの腕をとった。

「こういうことするとまたレイヤに嫌われるが……まあいいか。この娘は借りていくぞ、孫娘」

「何言ってるの」

 反対の手はまだスーツケースのハンドルを握ったまま。混乱したカミノはルミナと男の顔を代わる代わる見つめるが、足元から湧き出したあぶくがどんどん視界を埋めていく。ルミナが伸ばした腕もあぶくに阻まれて、とうとうカミノには届かなかった。

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