Day.3 かぼちゃ

「おいも……?」

「ちがいます、それかぼちゃです」

「かぼちゃ……」

 差し出されたマグはぽってりと分厚く、冷えて痺れたカミノの指先を温める。

 意識を失ったカミノが目を覚ましたのは、狭く雑然とした小部屋の一角だった。古びたソファは大柄なカミノには少々小さく、肘掛けに膝を引っ掛けた格好で寝かされていたらしい。二段積みのスチールロッカーに大小の上着が掛けられた壁のフック。どこからか漂う香ばしいかおり……。

 状況を把握するなり活き海老さながらの躍動感で飛び起き、弾みで転げ落ちた先で履いていたはずの編み上げブーツに迎えられた。派手な物音に勢いよくドアが開く。すっ飛んできたのは、レジでカミノを出迎えてくれたスタッフの彼女だった。

 ミルクの薄膜が上唇にぴらっと張りつく。途端に湯気が立ちのぼって、甘く棘のある香りを存分にふりまいた。舌の先がじりりと灼ける感触に、深く息を吸い込んでは吹きかけて少しずつ口に含む。

「おいしい……」

「よかった、それ、私が考えてボツになったメニューなんです」

 軽く肩をすぼめて自嘲気味に微笑む。彼女は名をルミナといった。

 ショウガまじりのスパイスにすこしざらっとしたかぼちゃのとろみが沁みわたり、飲み下すとみぞおちがじわりと熱をもつ。カミノは身体の芯の冷たく引き絞られていたところが緩んでいくように感じた。

「おいしいのに」

「ですよね。でも、熱いうちにいっぺんに飲めたらいいけど、冷めるとかなり飲みにくいんです。高齢のお客さんが多いから、やめとこうって話になって」

 ちょうど試作の材料が残っていたのだという。喜んでもらえてよかった、と彼女はくすぐったげに笑った。

「お姉さん、歩けそうですか? 私、ちょうど上がるところだったので、もしよかったらおうちまでご一緒しようかと思ったんですけど」

 それとも一度病院に行ったほうがいいですかね、と口をとんがらかしつつエプロンを脱いで、オーバーサイズのナイロンジャケットを羽織る。帰り支度が済んでぱっと振り返ったルミナは、いっそう若く溌剌として映った。

 曇りのない善意がひどく眩しく、素直に受け取れない自分が悲しい。カミノはマグからたちのぼる湯気で顔を隠しながら、もごもごと言葉を濁した。

「まだちょっと帰れなくて……」

「……なにかあったんですか?」

「なにかってほどなにもないんだけど」

 聡い彼女なら薬指の指輪にも気づいているに違いない。こういうときに家に帰れない、家族を頼れないというのは穏やかじゃない。カミノは観念して、事情を話すことにした。

 ためらいを多分に含んだ言葉はどうしたって掠れた。ルミナはわずかに眉をひそめたものの穏やかな態度を崩さず、カミノが話し終わるのをたっぷり待ってからそっと提案する。

「それなら、一度うちに来ますか?」

「えっ」

 つい警戒が声になって飛び出した。若者に家庭の愚痴までしっかり聞かせてしまった引け目から、無下に断るのもしのびない。カミノが返答に窮していると、彼女のほうから過ぎた親切の理由を打ち明けてくれた。

「実は、ずっとお話ししてみたいなと思ってたんです。でも仕事中はそういうわけにいかないし。おうちに帰れるまで、話し相手になってもらえませんか?」

 澄んだ輝きを放つハシバミ色の瞳。このまなざしに射抜かれて無事でいられる人間が果たしているのだろうか。

『弱っている時は、素直に誰かを頼ること』

 強がりなカミノを見かねた、在りし日の祖母の言葉が蘇る。いまがそのときかもしれない。

 カミノが「ありがとう、お言葉に甘えようかな」と微笑むと、彼女は一瞬飛び上がった。

「うれしい! 落ち着いたら行きましょう、着いたら私のことは放って寝ててもらってもかまわないので」

 そのはしゃぎようにうっかり視界がにじむ。弱っているとどうもいけない。自分のことで誰かがこんなに喜んでくれるなんて、本当に久しぶりな気がした。

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