犬型UMA

 司馬懿とおっさん三人は、里人たちが謎の怪獣と戦っているという竹林へ急行していた。


 しかし、ワンコごときが本当にそんなにも危険なのか疑問である。

 輿こしに揺られている司馬懿は、舌を噛まないように注意しながら、


「ところで、その犬の怪物とやらはどんな悪さをしたのだ」


 と、おっさんたちに聞いてみた。


 すると、母ちゃんのおっぱいを吸っている趙さんが「さっき田さんが言ったじゃないですか」と息を弾ませながら言った。


「方々で作物が食い荒らされているんです。それから、子供の玩具おもちゃがたくさん盗まれました。俺の娘が可愛がっていた、わらで作った馬の人形も、盗んでいきました」


「超さんちもか。うちの息子たちも、俺が作ってやった玩具の剣を盗られちまってさ。みんな大泣きして本当にまいったよ」


 子だくさんの田さんがハァ……とため息をついた。


 子供の玩具か、と司馬懿は呟く。もしかしたら、玩具好きのその野良犬は、小燕の首を蹴鞠けまりと勘違いして持ち去ったのかも知れない。


「坊ちゃま。くれぐれも油断しないでくださいよ。家に入り込んで来た犬を棍棒こんぼうで叩き殺そうとした奴がいたんですが、傷の一つもつけられなかったんですから。逆に引っ掻かれて、大怪我しちまったらしいです」


 ビビりの楽さんが、呑気に構えている司馬懿に、声を震わせつつ忠告をする。


 しかし、調子に乗っちゃうタイプの司馬懿は、


(棍棒で殴られて無傷のワンコなんかいるものか。それなりに凶暴らしいが、こいつらの言うことは話半分で聞いておこう。俺は年老いた父上が野良犬に噛まれて病気にならないか心配で、様子を見に行くだけなのだ)


 などと考えているのだった。


 野良犬よりも深刻な問題は、我が家に現れた小燕の幽鬼。そして、家出した女房である。さっさと犬の怪物とやらを駆除し、この二つの問題を解決したかった。


 しかし、この後、司馬懿はそのワンコに危うく殺されそうになるのである。




            *   *   *




 司馬懿の屋敷から西へ二十分ほど歩いた場所には、緑深き竹林が生い茂っている。司馬防しばぼう孝敬里こうけいりの民たちは、この竹林の中に逃げ込んだ犬を追いつめようとしていた。


「囲め! 囲め!」


「無闇に近寄らず、矢を射かけるんだ!」


 司馬懿とおっさん三人が竹林に到着すると、いくつもの怒号が聞こえてきた。民衆を率いる老父の姿を見かけ、司馬懿は「父上ッ」と叫ぶ。


よ、何をしに来たのだ」


 剣を片手に持つトム・クルーズ似のイケオジが、そう怒鳴りながら振り向く。これが司馬懿の父、司馬防である。


 司馬懿は、田さんたちに合図をして輿を下ろさせると、「父上を助けに来たのですよ。危険な犬とやらはどこですか」とたずねた。


 しかし、司馬防は息子の加勢を有り難く思っていないようだ。チッと舌打ちをして、


「仮病息子が何の役に立つというのだ。大勢の人の前でうっかり立ち上がってみろ。曹公にお前の嘘がばれ、我が一族は皆殺しにされるぞ。帰れ、帰れ」


 と、司馬懿の耳元で囁いた。


「け、けれど、父上のことが心配で……」


「お前は頭が切れて学識もあるくせに、思考よりも先に体が動く癖がある。それではせっかくの智謀も宝の持ち腐れじゃ。いい加減、その直情径行な性格を直せ」


 司馬父子がそんなふうに言い合っていると、複数の悲鳴が竹林に響き渡った。


 何事ぞ、と皆が竹藪の奥に視線を向ける。

 次の瞬間、がさごそという音とともに、一匹の獣が出て来た。「げっ」と司馬防が顔を歪める。


「まずいな。包囲陣が突破されたようだ。気をつけろよ、懿。奴の爪に襲われたら、ただでは済まぬぞ」


「あれが、犬の怪物ですか」


 司馬懿は、鷹のように鋭い目を細め、暗がりから姿を現した犬を睨んだ。


 化け物だの怪物だのと呼ばれているわりには、そんなに大きくはない。犬の仲間ではまあまあでかいほうだ、という程度である。薄闇の中でキラキラ輝いている目にも凶暴性は感じ取れない。しきりに尻尾を振り、天真爛漫な雰囲気だ。


 このワンコのどこが化け物なんだ? 司馬懿には父が大げさに言っているようにしか感じられず、困惑した。


 すると、その直後、犬はゆっくりと首を上げ、獣の本性をあらわにした声を響かせたのである――。




 くぅ~~~ん。




「か……可愛い……」


「胸キュンしておる場合か、阿呆あほうッ。ちゃんとよく見ろ。奴はただの犬ではない」


 老父に頭をはたかれ、司馬懿はもう一度、目を凝らしてみた。


 ちょうどその時、竹林の隙間から陽射しが差し込み、こちらに歩み寄って来る犬の真の姿を照らし出した。司馬懿は、陽光があばいたこの世のものとは思えぬ「異形」に目を見張り、


「な……なんだ、この化け物は!」


 と驚愕きょうがくの声を上げていた。


 身体が銀色のうろこに覆われているのである。鱗が無い顔と尻尾以外は、陽の光を反射してまばゆいほどに輝いていた。しかも、脚がやけに発達していてたくましく、虎のように鋭い爪を持っている。たしかに、あの爪で攻撃をされたら、かすり傷では済まないだろう。鮮血に濡れた爪と前脚が、何人もの里人たちに深手を負わせていることを如実に示していた。


 こんな動物は見たことがない。オカルト用語で言うところの未確認動物――UMAだ。

 ちなみに、UMAは超常現象研究家の南山みなみやまひろし氏が提唱した和製英語である。アメリカ人にこのオカルト用語を言っても、「パードゥン?」と聞き返されると思うので注意が必要だ。もちろん、古代中国人にも通じない。


「父上! こんな化け物、どこから来たのですか!」


「そんなことわしが知るものかッ。それよりも問題なのは、奴がこの里を気に入ったらしいということじゃ。盗んだ作物や玩具を竹藪の奥深くに運び込み、棲みかにしようとしておる。まだ回収できていないが、小燕の首もあった。子供を殺害するような凶暴な獣を里に置いてはおけぬ。被害が大きくなる前に駆除せねば!」


「……そ、そうですね。そいつは危険極まりない。小燕の仇を討ちましょう」


 うちの下女を殺したのは俺の嫁なんです、と危うく口走りかけたが、何とかその言葉を呑み込んだ。みんなが誤解してくれているのだから、このまま小燕殺害の罪を犬の怪物に押しつけたほうが春華にとっても良いと思ったのだ。


「ご、ご隠居! 犬が尻尾を振りながらこっちに駆けて来ます!」


 里人の一人がそう叫んだ。司馬防は「接近されたら危険だ! 矢で脅せ!」と命じた。


 孝敬里の民たちは、賊の襲撃から身を守れるように、日頃より司馬防の訓練を受けている。そのため、そこらへんの盗賊団よりも機敏な動きで矢を放ってみせた。


 だが、硬い鱗を身にまとった怪物犬には、矢など何の脅威でもない。十数本の矢はあっ気なく銀の鱗に弾かれてしまった。しかも、この攻撃は逆効果だったようである。


「わっふぅ~~~ん!」


 犬は急に陽気に吠えだし、速度を上げて司馬防たちに迫って来た。風を切り裂くかのごとき驚異的なはやさだ。「遊んでくれるの? 遊んでくれるの? わーい! わーい!」といった感じで楽しんでいるように見える。


「まずいですぞ、父上! あいつは俺たちに遊んでもらっていると勘違いしている! 鋭い爪と硬い鱗を持つあいつに飛びかかられたら大惨事――」


「ぐえぇぇぇーーーッ‼」


 一人の農夫が、犬にじゃれつきタックルをされ、吹っ飛んだ。


 趙さんが慌てて被害者Aに駆け寄り、容態を見る。「み、右足が骨折しています! あと、股間部に甚大な損傷!」と趙さんは悲痛な声で司馬防に報告した。その場にいた男たちはサーッと顔を青ざめさせる。


「坊ちゃまぁ~。このままじゃ、おいらたちもやられちまうよぉ~。何か良策を考えてくださいよぉ~」


 臆病者の楽さんが、目にいっぱいの涙をためて、司馬懿にしがみつく。こんなにもビビりなのに、奥さんに隠れて浮気をする度胸はあるのだから不思議だ。


「良策と言われても、あんな化け物をどう退治すればいいやら……」


「そ、そんなぁ~! しっかりしてくださいよぉ~! 坊ちゃまは崔琰さいえんとかいう偉い人に『兄の司馬朗しばろうくんよりも優秀。軍師適正最強』って評価されたことがあるんでしょぉ~? 最強軍師なら、たった一夜で十万本の矢を調達するとか、祈祷で風の向きを変えちゃうとか、それぐらい朝飯前のはずじゃないですかぁ~! あんなワンコぐらいやっつけてくださいよぉ~!」


「そんな妖術使いみたいな軍師がいたら俺が会ってみたいわッ! あと、『君の才は兄よりも優れている』と崔琰様に褒められたことはあるが、軍師適正最強とまでは言われていない!」


 などと揉めているうちに、「ぎゃー!」「わー!」「ひぃー!」と次々に悲鳴が起こり、里人たちが犬のじゃれつきタックルで負傷していった。


 まずい。このままでは父と俺までじゃれつかれてしまう。司馬懿の心の中のサイレンがウーウーと鳴り響く。


 この男は追いつめられると全力が出るタイプらしい。ここでようやく策を思いつき、


「みんな! ここは退避だ! 近くの田んぼまで誘い込め! 足場の悪い泥土でいどでなら、犬も素早く走り回れまい!」


 と、里人たちに号令をかけた。「懿の言う通りにするのじゃ。急げッ」と司馬防も怒鳴る。


 趙さんと若い農夫ら腕っ節の強い者たちが殿しんがりをしつつ、害獣討伐隊は竹林地帯からの脱出を開始した。田さんと楽さんがかつぐ輿の上で、司馬懿は「もっと必死に走れ! 追いつかれるぞ!」と叱咤する。


 犬の怪物は「まだ遊び足りないよ~!」と言わんばかりにキラキラと目を輝かせながら追いかけて来た。数名の男たちが逃げ切れず、じゃれつきタックルで吹っ飛ばされていく。


(化け物め……。しかし、ワンコのお遊びもここまでだ!)


 司馬懿が誘い込んだのは、持ち主が数年前に死んで荒れるに任せてある田地だった。前夜の大雨でぬかるみ、一歩でも足を踏み入れたら泥濘でいねいに身が沈む。


 犬はそこに飛び込み、狙い通り歩みを止めた。というか、ゴロゴロと転がって泥んこ遊びを始めている。今なら隙だらけだ。討ち取る千載一遇の好機である。


「よし……! みんな、顔を狙って撃て! あそこは鱗に守られていない!」


 土手の上の里人たちが一斉に矢を放つ。


 目鼻や口の周りは鱗が無いため、顔を狙われたらさすがに恐いらしい。犬は「キャン⁉ キャンキャーン!」とおびえた声で鳴いた。


 戦場に出た経験がある趙さんの狙いは、他の者よりも正確である。彼が放った一矢が、犬の鼻先をかすめ、血がビュッと噴き出した。



「ガルルル……」



 無邪気だったワンコも、傷を負わされて、さすがに怒ったようだ。愛嬌ある表情が急変し、犬の双眼に凶猛きょうもうの光が宿った。その眼光まなざしは、真っ直ぐ司馬懿をとらえている。誰が民衆の指揮をっているか理解しているらしい。


(げっ。何だか嫌な予感)


 司馬懿がそう思った次の瞬間――犬は逞しい前脚をブゥゥゥンと一閃させた。


 すると、にわかに凄まじい旋風が巻き起こり、土手にいる司馬懿たちに襲いかかった。



「そ……それは反則だろぉぉぉーーーッ‼」



 司馬懿の絶叫が蒼天に響き渡る。


 司馬父子と田さん、楽さん、趙さん、その他大勢の体は、高々と宙に舞い上がっていた……。

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