第44話「ジェノヴァ、燃ゆ」

 燃え上がるジェノヴァの街並みが、双眼鏡越しによく見えた。

 遠く響いているだろうサイレンの音色が海風を孕んだ地中海の大気に希釈され、戦艦『エジンコート』の装甲を撫でるようだった。

 なんの妨害も抵抗もなしのまま、戦列は砲弾を撃ちつづけている。まるで艦砲射撃の実地演習かなにかのようでさえある。

 前大戦においてイタリアは、統一から僅か四十年程度、アメリカよりも若輩な国であったが、連合国として少なくない血を流していた。

 奇妙なことに、日本・ドイツ・イタリアという国家たちは、その名を近代国家たる我らが国名と名乗り始め、歩み始めた時期をほとんど同じくしている。十九世紀末、近代化という新しい波が腹に抱えたどす黒いものを、国家はことごとく飲み下して帝国として振舞うようになった時代であった。

 そのような時代に産声をあげたからなのか、あるいは、そのように振舞う必要があったからこそ、振る舞いが上辺だけのものではなく、本能となってしまったのか。

 少なくともヴィクスには分からなかった。分かることは、かつての盟友に艦砲を向け、その港町を焼いているという、幽霊のように薄く仄かに寒い感覚だけだった。


「……フランスが失陥しなければ、アルプス方面から逆襲できたかもしれないな」


 暗闇の中に敵の影がないかと囁く声の中に、ヴィクスはそのような言葉を聞いた。

 実際、ドイツのフランス侵攻に乗ずる形で宣戦布告したイタリアであったが、その戦果は小さすぎるものであった。フランス政府がパリを放棄した後に宣戦を布告したにも関わらず、イタリア軍はアルプス山脈とそこに築かれた要塞群である小マジノ線―――アルパイン線に阻まれ、国境線沿いにあるマントン市から先にほとんど侵攻できなかった。

 総兵数ではおよそフランス軍18万をさらに10万ほど上回っていた上、前線に配置されていたフランス軍はおそらく9万程度で、前述したように政府はパリを放棄している中の混乱の渦中にあったにも関わらず、イタリア軍の西方軍集団はフランス軍アルプス軍集団とアルパイン線、そしてアルプス山脈に少なからぬ犠牲を出したのである。

 先の大戦において、非力ながらもオーストリア=ハンガリー軍を相手に熾烈な山岳戦を繰り広げ、ついには最終局面、ヴィットリオ・ヴェネトの戦いでオーストリア=ハンガリー帝国そのものに引導をくれてやった国家の面影をそこに垣間見る事は、もはや不可能に近い。彼らは非力であるということは明らかである。ドイツのようにプロイセンという強靭な骨子が最初にあったわけではなく、統一には幾人もの情熱的で非凡な統率者が必要だった。それを成し遂げた後、彼らは彼らなりの戦い方を世界に示してきたのである。

 それはおおよそ王道と呼べるものではなく、多くの者が小手先として嘲笑し揶揄する類のものであるかもしれないが、王道で大敗よりは小手先で小さな勝利を得た方が国益になるのならばそうするべきであろう。

 だというのに、今のイタリアはそうではないようだと、ヴィクスは思わずにはいられなかった。

 砲火は苛烈である。苛烈という文字以外に戦艦の火力を表現する言葉が他にあるというのだろうか。巡洋戦艦『レナウン』戦艦『マラーヤ』及び『エジンコート』は、まるで限られた時間で何発撃ち込む事が出来るかの競い合いでもしているようだった。穏やかな地中海の深い夜の帳を荒々しく引き裂き、目が眩むほどの火球を何度も何度も放つのだ。そこで何者が寝ていようとも、寝床から蹴飛ばして路頭に迷わせてやるという粗暴な決意にでも目覚めたかのようである。

 軽巡洋艦『シェフィールド』などはドラムのような音を叩き出す戦艦にあわせてリズムを取る、少女のようでもあった。

 一方で、ジェノヴァは燃え続けていた。

 一方的にただ砲撃されているだけのようにも思えたが、彼らは彼らなりに抵抗しようと努めていた。

 先の大戦時にヴェネツィア海軍造船所で建造され就役したモニター艦、旧名『ファー・ディ・ブルーノ』こと『GM-194』は、就役することのなかったイタリア海軍戦艦『フランチェスコ・カラッチョロ級』用に調達していたアームストロング・ポッツオーリ社製の『1914年式40口径381mm砲』を連装で備えていた。モニター艦といってももともとたったの3ノットしか出ない、戦艦の主砲を推進器付きの艀に載せたような奇怪な見た目のこの艦は、浮き砲台としてジェノヴァに居を構えていたのである。


 しかし、彼女はたったの3発応射した後に電源ケーブルが切断され、沈黙してしまった。


 他にもシュコダ製の190mm砲を備えた浮き砲台『GM-269』や、ジェノヴァ近郊に駐留していた武装列車が、そして沿岸砲台などがこれに応戦したものの、まったくもって成果をあげることはできなかった。

 イタリアは先の大戦でも近代化された軍隊とはお世辞にも言えず、戦っていく中でなんとか独自の方向性を定めていったようなものであった。それが今も続いているのだ、というしかない。彼らの武器のほとんどは先の大戦の後、なんら更新を受けることなく使われており、改良もほとんどなされなかった。

 新型の戦艦がイタリアの「我らの海」に進水し就役している傍らで、こうした地味ではあるものの必要となる設備は、予算の関係上、切り捨てなければならなかった。

 要するに、彼らはどうしようもない程に、無力だった。

 ジェノヴァ海軍が「我らの海」を輝かしく航行していた時代は、すでに蔵書に収まって久しく、陽が何度巡ったかよりもジェノヴァ海軍の紙面に湧いた黴の数の方が、まだ数える意欲が湧くのではなかろうか。 

 ジェノヴァ港は燃えていた。

 イタリアはそれを阻止することも、即座に逆襲することもできなかった。

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