第7話「初陣の後に」

 艦砲の応射は続いていた。

 既に戦艦『エジンコート』とドイツ艦隊の砲弾のやり取りは十数回にも及んでいたが、天候は一秒ごとに悪化し視界は灰色に染まっていく。

 豪雨と強風が『エジンコート』を打ち据え、厚く垂れこめる灰色の雲がキャンバス地のように太陽光を遮るせいで、ボラン少佐の小言はいつしか毒づきに変化していた。

 遠回しにではあったが、戦う気がないのなら尻を捲って逃げたらいいのではないか、とヴィクスに進言したのには、マクミランも顔を渋めて肩を竦めた。



「――ですが、ボラン少佐の進言も的を射ています。このまま砲撃戦を続けたところで、我々は敵艦隊を見失います。一度見失ったら、レーダーを失った我が艦が敵艦隊と再会するのはまず不可能です。はっきりさせた方がいいでしょう。斬り込みか、撤退かです、艦長」



 撤退と臆することなく発音したマクミランに、ヴィクスは感銘を覚えると同時に、少し残念な気分にもなった。

 その言葉は軍人という気質と相いれないものだと未だに信じられており、一部の武闘派はそれを誤魔化すために頭を捻る。

 撤退、退却という言葉は〝逃走〟を意味し、誇りある軍人にとっては汚点であるというのが、武闘派の考えだった。


 それを彼女はこうもあっさりと言い切って見せた。

 だが、それはヴィクスの個人的感想に過ぎず、軍人としてのヴィクスからしてみれば減点の対象となる。

 階級を持つ者は階級に恥じぬ振る舞いをする必要があり、マクミランはたしかにその振る舞いを天性の才により身に着けているが、自分より下の階級の者に対しての配慮がいささか欠けている。

 撤退という言葉を聞いた新任士官がどういう顔をしたか、マクミランには見えていなかったのだろうかと、ヴィクスは思った。



「艦長、ご決断ください」


「分かった。ではマクミラン中佐、戦闘終了だ。本艦はこれより通常航行に移行。針路をスカパフローに向けろ」


「アイアイ・マム」



 海図台の傍らでスヴェンソン大尉が溜息をつきつつ、帰路の計算に入るのを尻目に、マクミラン少佐は各部署への通達を行い、操舵員がスヴェンソンに言われた通りの針路に向けエジンコートを操る。

 砲身内に残った砲弾を廃棄するために、全砲が轟音をあげ、なにもない海上目掛けて砲弾を発射した。

 速度変更器当番が機関室に速度変更を告げ、エジンコートの機関音が収まり、煙突からの排煙がやや減少する。


 敵艦隊の追撃はなかった。

 不思議なことに、皆が待ち望んでいた戦闘はなんの高揚も満足感も残すことなく、北海の雲の向こう側に消えて行ってしまった。

 誰もが呆然として顔を見合わせ、我々はちゃんと戦えたのだろうかと不安がっていた。


 主砲はたしかに発砲していたが、副砲は一発も撃っていない。

 結果を見ても勝者なのか敗者なのかはっきりとせず、悶々とした疑問が彼女たちの胸に溜まる。

 そして、エジンコートが本国艦隊に『敵艦隊捜索続行不可能』と打電した後、悲劇が起きた。


 最初に誰が噂したのかは分からないが、水兵たちの間でメインマストが折れたということが広まり、非番の水兵数人がレインコートの下に防寒着を着込んで甲板に出た。

 メインマストがへし折れ、水曜日砲塔と後部測距儀の稼働に支障をきたしていると言うのが一目で分かり、彼女たちは自分たちが本当に戦争を経験したのだと安堵した。

 そうして自らの出血を見なければ、納得できなかったのだろう。


 今回のこの戦闘に置いて、艦内という閉鎖空間でじっと仕事をこなしていただけの彼女らが、艦対艦戦闘の恐怖を身をもって体験することはなかった。

 だからこそ、彼女らはエジンコートの傷を目撃し、自らの決意を新たにしたのだ。

 だが、そのたくらみがすべて順調なわけではなかった。


 高波を乗り越えたエジンコートがぐらりとよろめくと、水兵の一人が足を滑らせて落下した。

 運の悪いことに、空中に投げ出された彼女に波が食い付いた。

 命綱がぴんと張り、結び目がぎゅっと締まった。


 トラブルに気付いた残りの水兵が急いで命綱を引っ張って落下した水兵を救い出したが、どこへ強かに打ち付けたのか、彼女の首はおかしな方向に曲がっており、息もなかった。

 この殉職者はヴィクスの計らいで、戦艦『エジンコート』初の戦死者ということになった。

 そうしなかったことで生まれる悲劇と悲しみに比べれば、そうするべきだと誰もが思うはずだった。

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