第14話 秘密の夜のご奉仕だよ、新妻くん

 気が付くと下校時間もとっくに過ぎていた。校庭の隅にある生徒会館にはチャイムの音が届くはずなのに今日は集中していたからかまったく気付かなかった。


 窓の外を見るといつの間にか日も落ちて真っ暗になっていた。こんな状況になるまで気付かなかったなんて。僕って結構乗せられやすいタイプなのかもしれない。


「いつの間にかこんな時間になっていたのね」


「会長、いつもは下校時間に時計のアラームが鳴っていませんでした?」


「あぁ、そういえば今日は下の部屋に置きっぱなしだったわ」


「下って食堂ですか?」


「ううん、寝室の方よ」


 そういえば一階は食堂とキッチン以外の部屋にはまだ入ったことがない。ただ地図では確か一階には寝室と倉庫にお風呂にトイレと別荘みたいな施設があったはずだ。電気も当然通っているし、食料も冷蔵庫にたっぷり入っている。住もうと思えばすぐに暮らせるレベルになっている。


「もしかして、会長ってここに住んでるんですか?」


「そうよ。寮に帰る時間ももったいないでしょう」


「いや、寮まで徒歩一分ですよ」


 女子寮なら校舎から向かうより生徒会館からの方が近いくらいだ。そりゃあの何もない寮に帰るのはなんとなく気が引ける気持ちもわからなくはない。でもあの狭い寮の部屋の中は誘惑というものが一切ないおかげで勉強に集中できるのも事実だった。


 もしここで同じように勉強しようとしたら、そう考えてみる。もう夜だから教師たちもそれなりに帰っているはずだ。広い学校の中で僕は会長と二人きり。何もあるはずがないのに無意味に緊張してしまうのは、やっぱり会長が美しすぎるからだろう。


「最近は黙っていれば、って条件がついてきた気がするけど」


「何か言った?」


「いえ、なんでもないです。僕は帰りますよ」


 会長はこのまま帰らないなら、帰り支度をするのは僕だけか。自分が着たメイド服をまた会長に洗われるのは嫌なんだけどな。どうせ寮の門限は過ぎているんだ。せめて洗濯機だけ回してから帰ろうか。


「新妻くんは泊まっていかないの?」


 泊まっていく、ってここは言ってしまえば会長の別荘みたいなものだ。女の子が、それも会長が一人で暮らしているところに泊まる。そんなこと考えたこともなかった。一応僕も男の子のはずなんだけど、気にしていないのなら会長からすると、僕は別カテゴリってことなのかもしれない。


 生徒会長の椅子に座って見せつけるように足を組み替えている。その顔を見ると邪な感情がきれいさっぱり洗い流された。


「泊まっていきなさい」


 疑問が命令に変わる。こう言われてしまったら、僕の首はもう縦にしか動かせない。姫路会長、いや白鷺姫の命令は絶対なのだ。


「わかりました」


 僕が答えると、冷ややかだった瞳に安堵と喜びの色が浮かび上がる。表情はいつも通り眉一つ動かしていないのに、僕にもありありとわかるほど輝きを隠しきれていない。


 もしかして、会長は一人で生徒会館に泊まるの寂しかったんだろうか。


「それじゃ、僕着替えを取りに帰りますね」


 これからもときどき泊まるとするなら着替えをストックしておいた方がいいだろう。寮の管理人は僕が生徒会役員だとわかっている。門限を過ぎて帰ろうがまた出ていこうが苦虫を噛み潰したような顔をしても送り出すことしかできない。


「どこへ行くの?」


 生徒会室を出ようとした僕の手首が握られる。冷酷という表現が一番似合う瞳で会長が僕を見えないリードで捕まえていた。


「いえ、だから着替えを」


「別に私のを貸してあげるから気にしなくていいわ」


「いや、会長の服着て寝られませんよ」


 そんな状況になったら睡眠に適切な心拍数が保てなくなる。やっぱり会長は僕のことせいぜいペットのミドリガメくらいにしか思ってないんだ。


「最近はセーラー服を着て寝る人もいるらしいから」


「そんな超少数派の特殊なケースを引き合いに出さないで!」


 それ日本で小数点以下何ケタパーセントの人の趣味ですか。メイド服だけでも心がいっぱいなのに、これ以上傷を増やさないでほしい。


「さて、それじゃお先にお風呂に行ってくるといいわ。着替えは用意しておくから」


 背中を押されて一階に下りて、浴室に押し込まれる。こうなった会長を止められる能力なんて持ち合わせていない。僕の実家の倍くらいあるお風呂にゆっくりと浸かって、これからに備えて気持ちを整理することしかできなかった。


 脱衣所に畳んで置かれた服を恐る恐る手にとる。重力に引かれて広がったそれは薄いオレンジ色に白のチェック柄のパジャマだった。


「思ってたより普通だ」


 流石の会長も本当にセーラー服は出してこないと信じていたけど、ピンクの派手派手しいのとか、フリルがついたワンピース風くらいは覚悟していた。想像と比べればまともなんてものじゃない。男の僕が着ても全然違和感がない。


 ただの幻覚じゃないかと洗面台の鏡に自分の姿を映す。うん、間違いない。ちゃんとパジャマだ。会長だってまともな服を持っているんだと安心する。


 廊下に出ると、扉の前に会長が待ちわびるように立っていた。出てきた僕の姿を上から下までなめるように観察している。何か変なところでもあるんだろうか。


「うん、いいわ。メイドさんのプライベートな格好。私だけが見られるメイドの日常風景」


「いや、僕は会長のメイドじゃないですからね」


 ツッコミを入れてみたけど、全然会長は聞いていないみたいで、ぼうっとして口元に手を当てて何かを呟いている。何も言わないまま僕の手をつかんで、寝室へと連れていかれた。


 ホテルの一室みたいな白基調の壁紙が淡いピンクがかった照明の色を映していた。ベッドはセミダブルが二つ、それにサイドテーブルがあるだけのシンプルな内装。ちょっと豪華なホテルに泊まるような感覚だった。


 初めての空間に目移りしている僕の前で、会長はベッドの一方に腰をかける。


「私はこっちを使ってるから。新妻くんはそっちね」


 そして空いているもう一つのベッドを指差した。


「お、同じ部屋で寝るんですか!?」


「ベッドが二つあるんだから何も問題ないでしょ」


「いや、いろいろあると思うんですけど!」


 年頃の男女が同じ部屋で寝るなんて何か間違いが起こっちゃうかもしれないじゃないか。会長は僕のことを本当に何だと思っているんだ。やけに鼻息荒く積極的な会長に違和感を覚える。いつもより手の込んだからかいでも用意しているんだろうか。


「隣も寝室でしたよね?」


「えぇ。あー、でも全然使ってないからほこりまみれだと思う」


「今から掃除は……できないか」


 向かいの壁にそれぞれ寄せられてたベッドは二メートルくらいの距離はあるんだけど、ほんの数歩先の距離で会長が寝てるなんて考えたら、僕は眠れるんだろうか。


「でも寝る前に」


 自分のベッドに座った会長が手招きをする。言われるままに近づくと、耳元に顔を寄せて囁く。


「秘密の夜のご奉仕、してくれない」


 いつもと違う吐息交じりの声。部屋の照明の雰囲気も混ざり合って、会長のイメージがいつもと違うように感じてしまう。命令じゃないけどお願いでもない。でも言われたからには叶えてあげるしかない。


 でも本当にいいんだろうか。会長はそう言ってたけど、やっぱりタイミングとかナニを入れるかとかいろいろ考えなきゃいけないことがあると思うんだけど。


「わかりました。ちょっと準備してきます」


「準備、って。あぁ、そうね。いきなりじゃ新妻くんだって困るわね」


 勢いに流されて食べちゃいけない。これから先の二人のことを考えて慎重にやらないと。僕は寝室に会長を一人残し、頭をフル回転させながら部屋を出た。


 そして三十分後。


「会長、お待たせしました」


「大丈夫。私が急に言い出したことだから」


 なんだか妙にしおらしい。待たせすぎて怒られるかと思っていたのに。待たせている間に会長もパジャマ姿に変わっている。僕と色違いのお揃い。水色のチェック柄。同じ服を着ていると付き合っているみたいでドキドキする。


「じゃあ来てください」


「来て、ってここじゃいけないの?」


「ダメですよ。寝室じゃ汚れちゃうじゃないですか」


「汚れるのはしかたないもの。後できれいに洗濯すれば」


 ここまで来ておいていまさら何をためらっているんだか。一度始まってしまった以上はもう止められない。最後まで会長には付き合ってもらわなきゃ。


 会長は赤みがかった頬を両手で擦りながら視線を僕から外している。急に怖くなってきたのかもしれないけど、もう後戻りはできない。弱々しく体をくねらせている会長を見ていると、いつもとは逆に僕がからかってみたくなる。


「さ、食堂に来てください」


「しょ、食堂でするの? 新妻くんはそういうシチュエーションがいいの?」


「シチュエーションっていうか、普通そうでしょう。それとも普段お仕事をしている生徒会室の方がいいですか?」


「し、神聖な生徒会室は汚せないわ!」


「それじゃ早く」


 ベッドに座ったまま動かない会長の手を引く。想像より軽い抵抗にあんなに堂々としていても一人の女の子なんだと気付かされた。


 ようやく諦めたらしく会長は僕に手を引かれるままに向かいの食堂へと入る。その視界にまだ湯気の立つ煮込みうどんが二つ並んでいた。


「どうぞ、冷めないうちに食べてください。脂っこいものは明日に残りますから。あっさりしてますけど我慢してくださいね。アクセントのしょうがを入れておいたので、体がポカポカして眠りやすくなると思いますよ」


 どうですか、僕の完璧なご奉仕プランは。夜食なんて勉強に悪影響だと母からはよくたしなめられていたけど、お腹が空いて眠れないときはある。そういうとき、僕はこっそりこうして煮込みうどんやお雑炊を作って、秘密の夜食を楽しんでいた。


 空腹の勢いに流されてスナック菓子なんて食べた翌日は、本当に気分も胃も調子が悪くなってしまうから。さすがの会長もこれなら褒めてくれるに違いない。


 食堂の席に座った会長を横目に見る。


「なんでそんなこの世の終わりみたいな顔してるんですか!」


「あははは」


 なんか乾いた笑いが漏れて、目の焦点が合っていない。精神を全部使い果たしたような顔をしている。そんなに今の生徒会の仕事が大変なんだろうか。


 それとも会長ってうどんが嫌いなのかな。でもお雑炊は時間がかかるし、野菜スープじゃ満腹感がなくて逆に眠れなくなるし。完璧な選択だと思ったんだけどなぁ。


「お口に、合いませんでしたか?」


 まだ死んだ魚のような目をしたまま、渾身の煮込みうどんを淡々と食べている会長におそるおそる聞いてみる。なんか声が震えている。嫌いとか言われたらどうしようか。今からでもご飯炊いた方がいいかな。


「おいしいわ。新妻くんの優しさが詰まってる気がする」


 会長が笑っていた。

 口元にわずかに微笑みを浮かべるんじゃない。瞳を閉じて、白い歯を見せて笑っていた。


「君を選んで本当によかった」


 その日、僕は教科書で一度も見たことがないものを知った気がした。

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