第5話 ソーセージとミルクを食べさせてよ、新妻くん

 四時間目の終了を知らせるチャイムが鳴る。昼休みは昼食を食べて午後に備える重要な時間であると同時に、僕の数少ない自習ができる時間だ。放課後は今日も生徒会でアンケートの集計が待っている。だったらこのチャンスを無駄になんてできない。


 購買でパンを買って、片手で食べながら勉強すれば時間を無駄にせずに済む。生徒にはすべてのメニューが無料で提供される学食は確かに魅力なんだけど、勉強時間には代えられない。購買のパンも全部無料って言うんだから、本来なら勉強以外のことを何も考えなくていいようにできている学校のはずなのに。


『一年三組、新妻晶くん。至急生徒会室までお越しください』


「……嘘でしょ」


 校内放送で僕の名前が読み上げられる。呼び出したのは誰か、なんて考える必要もない。


「本当に誰か代わってよ、お願いだから」


 確かに会長は美人だと思うし、広いとはいえあの生徒会室に二人きり。普通の高校生ならこれ以上ないシチュエーションなのかもしれない。でもこの学校じゃ恋なんて邪魔なだけだ。勉強以外にうつつを抜かした瞬間に脱落していく辛く苦しい耐久レースなんだ。


 一度昇降口で靴を履き替え、離れのようにぼつりと建つ生徒会館に向かう。入り口では姫路会長が僕の到着を首を長くして待っていた。


「やっと来た。遅刻」


「寄り道もせずにまっすぐ来ましたよ」


 僕の抗議を聞く代わりに、会長はまた白い布を僕に差し出す。またメイド服かと思ったら、その一部、レースのあしらわれた白いエプロンだった。


「これを、着ろってことですか?」


「そうよ。時間がないし制服の上からでいいから」


 それ以外にどんな着方があると思っているんだろう。肩に通して腰ひもを結ぶ。本当に結婚したばかりの新妻がつけていそうなデザインだ。会長は僕のことをからかっているのかな。


「うーん、やっぱり服を脱がせてからの方が」


「何か言いました?」


「ううん、なんでもないわ。よく似合ってる。それじゃお昼作ってくれる?」


「え、作るって今からですか?」


 昼休みは一時間ほどあるけど、今から料理っていったいどこで。そう思っていると会長は一階の廊下、二階に続く階段とは逆側に向かっていく。


 思い出した。この生徒会館の一階はまるで別荘のように生活するための設備が揃っているのだ。廊下を歩いて右手の扉に入ると、およそ学校とは思えない広い食堂とキッチンが僕の目の前に現れた。


「さ、作って」


「わかりましたよ。何にしますか?」


 目の前の光景に頭がついていかない。諦めの境地で僕はオーダーを聞いてみる。コンロは三つもあるし、シンクは広い。オーブンも炊飯器も魚グリルもある。冷蔵庫の中を開けてみると、いっぱいとは言わないが二人では食べ切れないほどの様々な食材が入っていた。


「食べたいのは、ソーセージとミルク、かなぁ」


「食材の指定ですか!?」


 こういうときは完成した料理の名前を言うものだと思うけど。会長がそう言うのならしかたない。ソーセージとミルクとなると、クリームシチューがよさそうだけどそんなに時間はない。ほうれん草のソテーにソーセージを入れつつ、ポタージュでも作ろうか。


「じゃあ作りますから、おとなしく待っていてください」


「え、本当にそれで作るの!?」


「冗談だったんですか? 他に希望があるなら言ってください」


 僕としてはこの仕事を少しでも早く終わらせて勉強がしたいのだ。生徒会長になったってことは成績トップクラスであることは間違いない。会長にとっては勉強なんて必死にならなくても出来てしまうことなのかもしれない。でも僕は違うのだ。


「食べたいのはそうなんだけど、そういう意味じゃなくて」


 会長はまだ僕をからかっていたいのか、珍しく焦った声を出しながら曖昧な答えでごまかそうとしている。会長のペースに乗せられちゃダメだ。何か言う前に僕は今思いついたメニューを作ってしまうことにした。


 久しぶりの料理は楽しかった。あらゆる娯楽が家から排除された僕の家で、趣味としてできることは料理だけだった。僕が勉強から逃げるように料理をするからといって、さすがの母もキッチンを捨てることはできなかった。両親のいない間に手間のかかる料理を何度も作っていたおかげで、腕もずいぶん上がっていた。


「はい、できましたよ。それじゃ僕はこれで」


「食べないの?」


「時間がないので遠慮します」


 会長は面倒だったので切らずにそのまま入れたソテーのソーセージを舐めながらこちらに目配せする。僕は会長の謎の食べ方を無視して、焼いたバゲットを一つもらって口に放り込むと、僕はエプロンを食堂の椅子にかけて急いで生徒会館を出た。


 校舎に向かおうとしたところで後ろから急に手をつかまれた。


「ビンゴ! 昼休みに張ってて正解だったわ!」


 慌てて振り返る。声の主は会長じゃない。上級生らしいポニーテールの女の子だった。


 活発そうな印象を受けるおでこを出したヘアスタイルにキツネみたいな釣り目。獲物を捕まえて舌なめずりしている姿は肉食動物そのものだった。


 会長ほどじゃないけど女の子にしては背が高い。同級生と比べたら圧倒的に背の低い僕だから、さらに高そうに見える。狙いは何なのかはわからないけど、片手に持った手帳とペンは何かを知りたいように見えた。


「君が噂の新副会長だね。なんか普通に見えるけど特技は?」


「あの、誰ですか?」


「おっと、ゴメンね。ウチは新聞部の千波せんばって言うんだ。ここで噂の新入生を捕まえてスクープを狙ってたってわけ」


 この天稜高校で部活なんて珍しい。校則で部活動は校内偏差値が五十以上の生徒に限って所属が認められている。それでも勉強優先の生徒が多いこの学校では部活をやっている生徒はほとんどいない。


 その新聞部も他の部活の例に漏れず、部員は彼女一人だけ。なんとか校内での注目を集めようとスクープを探しているところに入学初日に生徒会副会長に任命された僕が現れた、という話だった。


「そういうわけでさ。なんで副会長に選ばれたの? 元々知り合い? それとも一目惚れされたとか」


「僕が知りたいくらいですよ。生徒会なんてやっている時間はないのに」


「ほぉ。生徒会に入れたのに辞めたいなんて珍しい」


「え? 生徒会ってそんなにすごいんですか?」


 もちろん、と千波先輩は驚いたように細い釣り目を丸くした。新入生の僕が知らないことに気付いたのか、したり顔で教えてくれる。


「生徒会はいわば特権階級。このがんじがらめの校則の埒外らちがいの存在だからね」


 生徒会長は成績上位者から選挙で選ばれる。それはこの学校において知力でも人心掌握術でも最高の人間ということになる。その生徒会長には文字通りの特権が与えられる。


 その一つがあの生徒会館だ。あの場所は校内にありながら生徒会役員以外は許可なく立入禁止。それが教師であってもだ。寮を抜け出して別荘のようなあの館に住むこともできる。


 会長は自分の持つ特権を三人に分け与えることができる。その証明となるのが、僕の首にかかったチョーカーだ。


 厳しい条件である会長になれずとも特権を享受できる役員の証。このために賄賂を積んだり、弱みを握って会長を脅そうとしたりする生徒もいるほどらしい。


「それが去年から白鷺姫は誰も役員に選ばない、って不思議がられててね」


「白鷺姫?」


「あぁ、姫路会長の異名ってとこね。白鷺女帝、なんていう人もいるけど。生徒会長になってしばらくしてからそう呼ばれるようになったみたい。

 その名の通り、ウチもスクープ探していろいろやったんだけど、叩いてもほこり一つ出てこない真っ白なのよね。ねぇ、何か会長のスクープ知らない?」


「さ、さぁ。僕も入ったばかりなので」


 生徒会に入った後輩にいきなりメイド服を着せようとしてくる、なんて最高にスクープだと思うけど、絶対に言えるはずがない。そんなことを言ったら僕まで巻き込まれた大事故が待っている。


「それじゃ、僕はこれで」


「あぁ、君にも独占インタビューしたいんだって。ちょっと待ってよー」


 追いかけてくる千波先輩を振り切るように校庭を走った。運動不足の体には結構辛い。まだ春の陽気というには肌寒い空気。その中でも走ればすぐに汗が全身に浮かび上がってくる。息が上がっても走り続けるなんて、小学生のときに出場したマラソン大会以来かな。


 運動不足は向こうも同じだったようで、昇降口に辿りつく頃には十分距離が離れていた。廊下にかかった時計を見る。昼休みはあと十五分。単語帳を確認するくらいの時間はある。


 急いで教室に向かい、自分の席に座る。そのままカバンの中を探り、英単語帳を勢いよく引っ張り出した。


 机の上に単語帳を広げる。その上に勢いよく誰かの手が乗せられた。

 顔を上げる。知らない女の子が僕を見下ろしながら威嚇いかくするように目を凝らしている。


 墨をかぶったみたいな真っ黒な髪をポニーテールを巻き上げるようにまとめあげている。自然にウェーブのかかっていた会長とは違う、人工的に巻いて癖をつけた髪。耳にはピアスの跡。少し尖らせた唇は口紅を塗っているのかオレンジ色をしていた。


 この高校じゃ絶対に見ないと思っていた。毎夜勉強もせずに遊んでいそうな苦手な雰囲気がある。それに青山先生ほどじゃないけど、見上げるとその大きさがわかるスタイルの良さ。なにもかも会長と正反対って感じだった。


「なぁ、その首輪。アタシにくれない?」


 その女の子は僕の単語帳を抑えたまま、ぶしつけにそう言った。

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