第3話 持ってきちゃった、新妻くん

 理由はわからなかったけど、会長は追ってこなかった。このまま寮に帰るわけにもいかず、僕は校庭の隅で着替える。下校時刻になるまで部活動をやっているような生徒はいない。代わりに校庭を挟んだ反対側にはギリギリまで自習をしていたらしい生徒が帰っていくのが見えていた。彼らは今日、どのくらい勉強が進んだんだろう。想像しただけで頭が痛くなる。


「あ、これどうしよう?」


 着替えた僕の手元に残ったのは一着のメイド服。今から返しに行くわけにもいかない。でも人のものをとったら泥棒。そもそも私物の持ち込みが禁止されているのは寮も同じだ。こんなものを持ち物検査で見つけられたら、もう恥ずかしくて学校に通えなくなってしまう。


「あぁ、もう! どうしよう?」


 寮の門限が近づいている。悩んでいる暇はない。僕は丸めたメイド服をカバンの奥底にしまって、寮に向かって走り出した。


 天稜高校では、希望者は学校の隣にある寮に入ることができる。校舎を挟むように建てられた二つの寮は、北側が男子寮、南側が女子寮だ。学校の敷地内から直接門を通って寮の敷地に入ることができ、登下校という寄り道の誘惑をシャットアウトできるというわけだ。


 母の勧めで、僕は寮生としてこの三年間のほとんどを天稜高校から出ることなく過ごすことになるだろう。それもこの学校で成績を上げるためなら当然のことだった。


 門限ギリギリで寮の入り口に駆け込むと、管理人室に座っていた初老のおじさんが嫌味そうな視線を向けた。入学初日に門限ギリギリに帰ってくる生徒なんてまともじゃない。そう言いたげだった。


 靴をロッカーに預け、その鍵を管理人に渡す。これが寮から逃げ出さない人質になる。


「あんた、一年生か?」


「はい。こんな時間になってすみません」


「生徒会か。別に構わんが、寮の風紀を乱すなよ」


「え?」


 管理人さんはそれだけ言うと、くるりと回転椅子を回して、僕に背を向けてもう何も言ってくれなくなった。生徒会の証、姫路会長につけられたチョーカーを触る。この生徒会の証はいったいどんな意味を持つんだろうか。


 僕の部屋は三階の三〇八号室だった。この寮では集中力を保つために一人一部屋が当てられている。中はたぶん三畳ほど。家具はベッドと机と本棚。そして押入れがあるだけだ。起きて半畳寝て一畳という言葉はあるけど、それに忠実に作った勉強と睡眠のためだけに用意された部屋だった。


 広さのある学習机の上には寮のルールが書かれた小冊子が置かれている。消灯時間は自由。ただし、二十二時以降は部屋から出ることは禁止。本棚は教科書と問題集、参考書、ノートのみ利用できる、なんてことまで書かれている。当たり前だけど、メイド服の持ち込みなんて書かれていなくても違反に決まっている。


 ある人はここを監獄と呼び、ある人はこの世の地獄だと表現した。それでも今年も数百人の無謀な生徒がこの学校の敷居をまたぐ。僕もそのうちの一人だった。


 日本全国の天才、秀才と呼ばれる子どもたちが、高校生という青春の真っただ中を徹底管理された勉強だけの生活を強いられる。その先に待つのは一流大学への進学。そして一流企業への就職という約束された出世街道だ。


 学食や購買、構内の自動販売機はすべて無料。個室の自習室とそこに併設された大学過去問だけを集めた試験対策専用の図書室。勉強以外のことに何の不安も起こさないように作られている。


 徹底した管理主義に基づくこの高校で私物なんて言葉で表されるものは存在しない。


 実際に僕は入学式の後に持ち物検査を受けた。授業を受けるのに必要なものと自主学習に使うと認められるもの以外はすべて没収される。財布も携帯電話も例外じゃない。教科書類と筆記用具を除くと、残るのは生徒手帳と自転車や自宅の鍵、電車通学者の定期券くらいのものだ。


 そんな場所に似つかわしくないものが何の因果か僕の部屋に入りこんでしまった。


「本当にどうしよう」


 そうだ。明日、朝一番に生徒会室に行って置いてこよう。朝なら会長だっていないはずだ。いたとしても入り口にそっと置いて帰ればバレないはず。


 今日もらった校内地図の中、僕はさっきまでいた生徒会室を探した。

 二つの校舎から離れた校庭の隅に二階建てらしい建物がぽつりと書かれている。その横には『生徒会館』と名前が書かれていた。


 確かにその建物の二階には生徒会室と会議室の文字がある。しかし一階には食堂、厨房、倉庫。さらには寝室や浴室があることになっている。まるで校内に別荘があるかのようだった。


「もしかして会長って生徒会館に住んでるのかな」


 そうだとすれば、慎重に侵入しなきゃならなさそうだ。

 絶対に誰にもバレないように押入れの奥にカバンをしまって、僕は夕食を求めて一階の食堂に向かった。


 翌朝、誰よりも早く食堂で朝食を済ませた僕は、誰とも登校が重ならないように一番に寮を出た。生徒会館に寄るのはもちろん、早く教室に入って昨日の勉強の遅れを取り戻したい気持ちもあった。まだ少し肌寒い春の空気を吸い込んで僕は校舎に向かって歩き出す。


 そして、まさかの障害に出会ったのだ。


 寮から校舎へと入る唯一の門。そこに立っていたのは担任の青山先生だった。

 まだ二十歳半ばくらいでこの天稜高校で世界史教師をしている。それだけで優秀であることは間違いなかった。


 ダークブラウンに染められた髪は首筋にまとわりつくように流れている。肌に吸い付くようにぴったりと張りついたスーツに包まれた体は、女性らしく丸みのあるシルエットを浮かび上がらせていた。右の目元と左の口の端に対角線上についた二つのほくろが、大人の女性の成熟した魅力を演出している。


 この高校じゃなければ間違いなく学校中の男子生徒の間で下世話な噂話が広がっていただろう。


 でも、今の僕にとってはそんなことはどうでもいい。そこに先生が立っているということはすなわち、持ち物検査が行われていることに他ならないのだ。まさか毎日チェックしているなんて。昨日入学式でやったからすぐにはないと油断していた。当然、僕のカバンの中には昨日丸めて隠したままのメイド服が入っているのだ。


「おはよう。新妻くん。ずいぶん早いのねぇ」


「は、はい。教室の方が集中できそうだったので」


「じゃあ、カバンの中を見せて」


 もう逃げられるわけがなかった。終わった。たった二十四時間足らずで僕の高校生活は終わってしまった。不用品の持ち込みは厳重処分。もし退学にならなかったとしても、僕はこの三年間をメイド服の新妻として後ろ指を差され続けることになる。そんなの耐えられない。


 カバンの底から出てきたものを認めた青山先生はわざとらしく舐めあげるような視線で僕を下から覗き込んだ。


「これは、なぁに?」


「そ、それは」


 昨日、僕が姫路会長に着せられた生徒会の制服です。


 言えるわけがなかった。頭に思い浮かべただけでも意味がわからない。それに会長まで巻き込んだとなったら、本当にかわいがりじゃ済まなくなるかもしれない。


「それじゃ、生徒指導室に行きましょうか」


 会長とは真逆の笑顔なのに、青山先生も同じくらい怖かった。いったいこれからどんな尋問が待っているんだろうか。自然とうなだれる首。もはや前を行く青山先生の脚しか見えないまま、僕は人生で初めての生徒指導室に足を踏み入れることになった。


 寮の部屋よりもさらに狭い。二畳ほどの部屋には一脚の机と向かい合うように置かれた二組の椅子が中央で僕を待っていた。窓はすりガラスで中からも外からも様子を窺うことはできない。扉も厚く、壁も防音になっているらしくプライバシーは守られているのがせめてもの救いだった。


 青山先生は僕を扉から奥の席へと座るように促す。生徒が逃げ出さないための当然の行動だ。逃げられないことを悟っている僕は抵抗する気にもなれず、言われるままに席についた。目の前に忌々しいメイド服が投げ出される。いっそのこと燃やして証拠隠滅でもしたい気分だった。

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