第29話〝狩り鐘斬〟罪に処す

 つん、と鼻を刺す糞便とアンモニアに、垢の香ばしさが混ざって、百舌鳥もずは気分がささくれ立った。大阪府大阪市某所、住所不定の日雇い労働者と、路上生活者が集まるドヤ街で、彼はある人物を探しに来ている。


「おどれが黒藤くろふじ由之丞ゆきのじょうで間違いあらへんな?」


 異常に安い立ち食い中華麺の店で、ヒグマのように巨大な背中に声をかけた。

 長く伸びた黒髪は脂で照りながらちぢれ、くたびれたトレンチコートを羽織った男は面倒くさそうに振り向く。アルコール中毒者とすぐ分かる、れぼったい目だ。


「やったら、なんや」


 歳のころは七十を越えているはずだが、声の張りも固太りの肉体も、とてもそうとは見えない。まだ五十代だと言われたら、素直に信じてしまいそうだ。

 百舌鳥は懐から一枚の写真を取り出す。


雁金かりがね古都ことひさ、旧姓は黒藤古都久。あんたの弟やろ?」


 男は雁金が縁を切った兄弟だ。古都久と由之丞は父親から黒葛原つづらはら一文字いちもんじ流剣術を仕込まれたが、父の人斬り稼業は兄だけが継いだ。

 自分は黒葛原一文字を殺人剣ではなく、活人剣にするのだ、今時人斬りも流行らない、と。そして雁金里子に出会い、入婿になって黒藤の名も捨てた。


「あのアホ、剣をすっぱり捨てりゃ良かったのにな。変に未練なんか残してもうて。たまには兄貴として、ええことしたろう思てん」


 焼酎と唐揚げをおごると、黒藤はペラペラとしゃべり出す。


「自分の妻を死なした男が、ターゲットの依頼をわざわざ回してやってん。あいつがそれ受けた時は、酒が旨かったなぁ」ぐいい、と酒杯をあおり。「やっとできの悪い弟が、一人前になったって。せやけど、それがよお……」


 百舌鳥がいら立ちを抑えながら耳を傾けていると、黒藤はふっとロウソクの火がかき消えたように、神妙な顔立ちになった。


なってまいよってなってしまって、情けねえ話やで」


 酒粕のような白色に、じわりと舌に染み入る辛さ。憐憫と悲しみの味わいが、この男は嘘をついていないと百舌鳥に教える。

 百舌鳥が黒藤の存在を知ったのは、里子の死後だった。葬儀が終わって数日後、雁金家に寄ったら二人が大げんかしてして、雁金は一方的に兄を追い返した。


 雁金が話したがらない上に、それから間を置かず破門され、絶縁となったのでほとんど初対面のようなものだ。彼を探しに来たのは、今朝のある出来事にまでさかのぼる。



「あら、リリンコちゃん。それどうしたの?」


 かやたちの部屋でミーティングを始めようとした時、別天べってんは黒猫が持っているものに気がついた。リリンコは、色あせたミサンガを口にくわえてじゃれている。

 百舌鳥はさっと顔色を変えた。


「そいつをよこせ!」

「え、どしたのもずもず」


 赤い眼の黒猫はぼんっ! とウニのように毛を逆立てて、部屋中を逃げ回る。最終的に別天が捕まえてくれたが、百舌鳥は手を数カ所ひっかかれた。

 苦労して手に入れたミサンガをしげしげと見つめる。引きちぎれているので、ミサンガと言うよりは、単なる色組み紐に思えるだろう。


「こいつはな、滝華たきはな白取しらとりの『神々祇しんじんぎかい』が信者に配っとった腕輪や。教団独自のお守り、数珠代わりってとこやな」


 説明するのももどかしく、百舌鳥はそれをぱくりと口に含んだ。茅が「え――っ!?」とすっとんきょうな声を出す。

 こんなこと、自分だってやりたくてやっているわけではない。ただ、これが確実で一番早いというだけだ。

 舌に感じるのはまずホコリの味、そしてその向こうにうっすらと感じる、この持ち主の味。かなり時間が経っているが、間違いない。


「こいつは白取淑郎よしろうもんや」


 ミサンガから口を離して、百舌鳥は分かったことを告げた。白取と言えば、八年前に雁金古都久の妻を、交通事故で死なせてしまった男である。

 そして、雁金が殺害した滝華と同じ新宗教『神々祇会』の幹部だった。


「リリンコはこれを雁金家で見つけて持ってきたんやろ。なんでかは知らんが、雁金せんせは白取と数年前……つまり死ぬ少し前までうとった」

「君の舌は、そんなことまで分かるのか。便利だな」と道眞。

「半分は推測やけどな。なんせ時間が経っとるからめっさかなり味が薄い」


 すぐにキヨイが現れたため、百舌鳥は狩り鐘そのものを見ていない。だが、聞く限りでは狩り鐘と雁金はやはり同一人物のように思えた。

 ならば恩師に何があって、今のような怪異・霊餌たまえに変わり果ててしまったのか。その手がかりを、百舌鳥はようやくつかめた。


 大急ぎで朝食をかっ込むと、「尼崎あまがさきしょへ行ってくる。白取のこと、何か出てるかもしれんからな。おどれらは待機や。葬儀屋はバアさまと茅を守っとれ」と一方的に告げてホテルを後にする。道眞たちが文句を言った気がするが無視だ。


 突如発狂し、同僚を殴って重傷を負わせたが、心神喪失が認められ不起訴および停職処分――そんな百舌鳥を同僚たちは当然、歓迎しない。

〝よくまた顔を出せたな〟と嫌そうな顔を拝んだのは数日ぶり二度目だが、面の皮の厚さには自信がある。百舌鳥は堂々と署内を訊ねまわり、目当ての情報をつかんだ。


 日本の身元不明遺体は年間ざっと二万体。その中から、百舌鳥が探しているものが見つけられたのは、運命か何かの導きのようだ。


――遺体の名は白取淑郎。

 死因は日本刀のような鋭い刃物による、外傷性ショック死。死後三年が経過。


 誰がやったのか、なぜ手を染めたのか、百舌鳥には想像がついている。だから、大阪まで飛んだのだ。



 百舌鳥が帰ってきたのは夕方だった。「何か分かったのか」と、今朝のあわただしい出立の文句交じりに道眞が問うてくる。


「やっぱり〝狩り鐘〟と雁金せんせは同一人物や」


 どっかと椅子に腰を下ろし、百舌鳥はタバコを口にくわえた。ライターを取り出しかけて戻し、フィルターを噛みながらしばらく頭で言葉をまとめる。


「雁金せんせは、絶縁した兄・黒藤由之丞から白取淑郎の殺害を依頼された。元々その仕事を持ってきたのは、『神々祇会』内の派閥争いで対立しとった滝華や」

「いきなりヤクザみたいな話になってきたな」


 信じてはいないが頭から疑ってもいない、という平坦な声で道眞は対面に座った。

 白取は体格も良く、武道の有段者で、滝華派の信者だけで暗殺するのは厳しいという結論から、外注することにしたらしい。

 なお神々祇会そのものは、宗教法人の皮を被った詐欺団体で、現在は潰れている。


「せんせの実家の黒藤家は代々、黒葛原一文字流剣術を継承すると同時に、カネをもろて人を殺すこと生業としとったんやって。せんせはそれをきろうて家族と縁を切り、雁金家の婿養子に入った。ところが、愛する妻が事故死して……」

「その里子さんを仇討ちしようとして、君は雁金先生に破門されたんだったな」


 百舌鳥があらかじめ共有していた事情を、道眞は再び確認した。


「すると、雁金先生は一度は弟子の凶行を止めたものの、改めて兄に〝仕事〟として持ってこられて、しかもカネまで払われるとなって、誘惑に屈したってことかい?」

「おそらくな……」


 道眞の問いを肯定すると、ひどく苦々しいものが胸の奥に広がる。大事な人を亡くした直後はショックが大きすぎて麻痺していた傷が、時間とともに痛み出し、喪失に耐えられなくなっていく……そういう時、そんな話を持ってこられたら。


「せんせはカネと私怨に負けて白取を殺した後、自分が赦されへんよに赦せないようになったんやろ。依頼人の滝華を殺し、その後自害して、無念を娑輪しゃりん馗廻きえに利用された」


 雁金古都久が滝華を殺し、自害した事件の目撃証言もこれで辻褄が合う。


――『彼ら死者とよくよく向き合って、その未練を晴らすことで、解き放つことができる』


 別天の言葉を百舌鳥は思い返した。狩り鐘が雁金先生であり、その未練と無念の核心が明らかになったら、それを晴らす方法もおのずと想像がつく。


「別天のバアさま、せんせを成仏させる方法がこれで分かった。必要なものもだいたい用意しとる、出発や!」

「駄目よ」


 夏の日は長いから、闇が迫るまでまだ間はあるが、夜に霊餌と対決するのは避けた方が良い、と別天は忠告した。


「それに、周りにほとんど人の気配がなかったとはいえ、私たちはズタズタに切られた人と、縄でぐるぐる巻きにされた人をあの家から連れ出したのよ? 道眞さんの傷のこともあるし、連日挑むのは避けた方が良いわ」


 ぐ、と百舌鳥は反論に詰まる。雁金家と付き合っていた時、ご近所とは特につながりはなかった。いてもいなくても変わらない、そんな存在だ。

 しかし、日本人がいくら他人に無関心だという言説が事実だとしても、明らかに犯罪の臭いがする出来事が隣家で起きていたら無視できないだろう。



「それじゃあ、あたし、がんばるね!」


 翌八月三日、朝一番に雁金家に向かった一行は、茅が儀式の実行者となった。

 昨日の今日なので警察の巡回があるかと思ったが、辺り一帯は本当に人が住んでいるのか疑わしいほど何も無い。

 もしかしたら、雁金家に潜む霊餌を厭って、みんな逃げたか、見ない振りをしているいのかもしれなかった。だが、確かめている暇はないだろう。


 道眞はすでに昨夜、自分の体を切り開いて茅の爪と髪を埋め込んだ。試しに結神縁で軽く打ってもらったが、道眞の傷は茅や百舌鳥に反映されることはない。

 これで、二人の身の安全は確保された。


 さて、先日儀式を行った百舌鳥と狩り鐘の契約は、今も有効かは分からない。だが、どっちみち彼が相手では、もう一度狩り鐘を呼び出せるとは思えなかった。

 だから、今度は茅が儀式を実行するのだ。身の安全は確保できたし、百舌鳥もキヨイに出てこられるのは都合が悪いと言う。

 彼は袱紗から出した日本刀・銀鑰ぎんやく神立かんだち浄宗きよむねを手に待機していた。


「道眞さんの身代わりがどこまで使えるかは、まだちゃんと確かめていないわ。念のため、茅ちゃんは自分の首じゃなくて、そう……小指に鈴を巻いて」

「うん、分かった」


 運命の赤い糸は小指に結ばれていると言う。でも、これが繋がる先は未来のパートナーなんかじゃなく、未練を利用される憐れな魂だ。


(もずもずが見つけた先生を成仏させる方法、上手くいきますように)


 赤い糸を結び、茅は買い直された三角コーンをかぶった。中はゴム臭くて、見た目の印象より狭いが、百舌鳥はよく頭を突っ込めたなと茅は思う。暗記した長い呪文、間違えませんようにと思いながら、振り子の無いハンドベルを振る。


がねさん、狩り鐘さん、お切りください。お一つお切りください。人を呪うには腕二つ、人を呪えば首三つ、人を呪って玉四つ」


 よし、ここまでは大丈夫だ。茅はドキドキしながら呪文を続けた。日が差さない廃屋の中、ラバー素材の赤が闇をほんのり色づかせている。


「五つの鐘を鳴らしたら、六つの子を振りましょう。七つ足音聞こえたら、狩り鐘さんお切りください」


 お願いする内容はもう決まっていた。


「おかあちゃんの災いをお切りください。お代は私のこの小指です」


――かぁん!


「ヤアァァットオオッオオオ!!」


 鼓膜が破れそうに猛烈な気合い。半鐘の音を圧して響いたそれは、百舌鳥の声だ。ぷつっと糸が切れる感触がして、鈴が足元に転がり落ちた。小指は無事だ。

 狩り鐘さんが現れた! 茅は三角コーンを脱ぎ捨てて、仁王立ちする百舌鳥の背中を見た。その向こうに、尻もちをついた格好の狩り鐘がいる。


烏有うゆう(※無構え)からの一本突きでひっくり返るとはなあ。死んでから、ごっついずいぶんとなまってもたみたいとちゃうか? 師匠」


 百舌鳥は刀を鞘に入れたまま突きをくり出したらしい。剣を引き、代わりにポケットから手錠を取り出して、こう告げる。


「雁金古都久。滝華令幽斎こと滝川令雄、ならびに白取淑郎の殺害容疑で逮捕する」

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