第15話 高らかな絶望と悼みのけじめ

 理不尽な詰問きつもんでも受けたように、道眞どうまは手足がすくむのを感じる。発した本人にそのつもりはないが、かやという少女の言葉はそれほど彼を追い詰めた。

 息は声の前にのりと化し、喉にべっとりと貼りついて固まる。死んだはずの体でも、声を出すために呼吸をするのは変わらないらしい。


(どうして、この子がこんな所にいるんだ?)


 目の前の少女が、さきほど無惨に殺された生出おいずるの娘だというのが信じられない気持ちだ。信じたくない、と言う方が正しいか。

 だが、突きつけられたツーショットの写真と、何より名前が動かぬ証拠だった。


「……、……ぁ……」


 茅、道眞、百舌鳥もず、三人の背後から、誰でもない声がする。


「…………か、やぁ……?」


 道眞は葬儀屋の仕事で、一度だけ死体から「声が出る」場面に遭遇した。

 内臓に空気が残っていた時、ドライアイスなどの重みに押されてそれが移動し、空気が喉などに入ると「声」となるのだ。

 だが、バラバラに切断された生出の死体ではあり得ない。


「おとうちゃん、いるの?」


 ぱっと茅が明るい声を出し、道眞はとっさにその肩をつかんだ。


「見ちゃダメだ! そっちに行っちゃいけない!」

「なに? なんで?」


 ムッと振り払おうとする少女を抱き寄せ、目を塞ぐ。父親の無惨な姿を見せたくないのはもちろんだが、今の生出は「普通」の状態ではないのだ。

 両手両足をそれぞれ八分割され、胴体からはひっくり返った肋骨が飛び出し、頭も切り刻まれて、全体で四、五十の肉片と化しているのに。


(あれでもまだ動くなんて、嘘だろ!?)


 ハリネズミが棘を立てるように、腕の中で少女が警戒心をハッキリさせる。


「なにすんのさ! チカン!」

「百舌鳥、隠せ! もっとしっかり隠すんだ!」


 先ほど二人で生出にかけた草木は間に合わせだ。あたりに血は飛び散っているし、強い風でも吹けば人体ジグソーが晒されかねない。

 百舌鳥が被せるものを探す間にも、急ごしらえの墓から再度声がする。


「かやぁ……こっち、へ、きて……」

「おとうちゃん! おとうちゃん、この人たちに何かされたの? 離して!」


 茅は力いっぱい道眞の手に噛みつくが、歯が肉に突き立つ感触は分かっても痛みはなかった。ああ、自分はやはり死んでいるのだと実感する。

 動いて、しゃべって、歯の感触を感じて。色々なものが停まっているのに動いている、悪夢のような矛盾に道眞は額の奥が鈍く、深く痛んだ。


「すまない、理由は上手く言えない。でも、あれを見ちゃダメなんだ」

「その子を離しなさいっ!」


 しわがれた鋭い声とともに、ひゅぱんっ! と鞭のようなものが道眞の背を打つ。


きためたまえ、結神縁けっしんえん!」

「がっ!? あああぁあっっ!!」


 全身を雷に撃たれたような衝撃が貫いた。鮮明にハイライトされる〝痛み〟に体がコントロールを失い、羽交い締めを解いてしまう。

 抜かりなく逃げた茅は、声の方へ一目散に駆けようとした。その前に百舌鳥が立ち塞がる。自身の1.5倍はある図体を前に、さすがの少女も足がすくんだ。


「生出は死んだ! おどれを呼んどるのは父親とちゃう、バケモンや!」

「うそつき! どいてよ人殺し!」


 それでも茅は退こうとはしない。勇敢な少女だが、今はそれがあだとなった。道眞も百舌鳥に加勢したい所だが、打たれた痛みがズキズキと体に残っている。

 気絶寸前までスタンガンを受け続けたら、こんな感じかもしれない。


「かゃあ……よくきたね……」


 生出の声が一段明瞭になった。草木を被せた山が盛り上がっている。


「お、とう、ちゃん?」


 人の写真をジグソーパズルにして、草木と混ぜ合わせたような、悪趣味な福笑い。百舌鳥の体ごしに、生出の断片が這いずり出し、人の形を取ろうとしていた。


「わたしと……かみえ、に……なろう、かや……」

「おとうちゃん……おとうちゃん、なの?」

「見るな! 聞くな! あいつはバケモンや!」


 道眞が立ち上がろうと四苦八苦していると、白いものがまた体を打った。


「ぃぃぃッ!? ぁぁぁあ! やっめ……」


 先ほどより軽いが、身を裂くような苦痛に体をよじると、縄のようなものがぐるりと巻きついてくる。道眞は完全に抵抗を封じられた。


「葬儀屋!? なんやそのけったいなバアさん!」

娑輪しゃりん馗廻きえ! あなたたちの好きにはさせないわ!」


 道眞が懸命に首を巡らせると、黒い眼帯をした老婦人が立っていた。淡いワインレッドのウィンドブレーカー姿で、その手に真っ白な縄を握っている。

 どう見てもただの縄だが、道眞をしたたかに打ちえ、動きを封じているからには、何か霊的なアイテムなのかもしれない。

 または、彼女がトリアゲ婆のような霊能者であるか。


「かやぁ……くるしいよぉ……」

「おとうちゃん!」


 百舌鳥が老婦人の出現に気を取られた隙に、茅はその横をすり抜けた。彼女は襟首をつかまれるが、視界にはっきり父親の惨状を焼きつける。


「しょうじゃさまの……ところへ……いっしょに……」

「、へな」


 茅がなんと言おうとしたのかは、本人に聞いても分からないだろう。


「うっ…うわあぁ、うあっ! あっ、あうぇぇ……ッ! ――ッ!」


 目の前のものを認識して、理解して、否定して、事実と理想のギャップに引き裂かれながら高らかに絶望を叫ぶ悲鳴。あどけない華奢な総身を震わせ、絞り出された声はあまりに痛々しく、聞いている者に忘れがたい憐憫を焼きつけた。


「っっ、ぅ……ぃ、ぃいや、いぃやぁぁ……あぁぁぁあ……ッ――――ッ!!」


 茅はその場に崩れ落ち、胸を押さえながら米のとぎ汁のようなものをどぷっと吐いた。後で道眞が知ったそれは、ゼリー飲料と甘酒の残骸だ。

 乳酸菌飲料のような、甘酸っぱい吐瀉物の臭いが山の空気に広がる。嘔吐と悲鳴を同時にやらされる喉の負担はいかほどのものか。

 かなわぬ救いを求める叫びは、自分の内臓ごと吐き出してしまいそうだ。


「そやから言うたやろが」

「茅ちゃん!」


 道眞に縄をかけたまま、眼帯の老婦人は少女に駆け寄る。堂々たる体躯の百舌鳥に怯みもせず、きっと真正面から相対した。


「私の孫から離れなさい、娑輪馗廻!」

青々と酸っぱい怒りで頭カンカンのう、バアさん。あんた教団の連中を知っとんのけ?」

「何を白々しい! あなたは平信者、いえ衛士えじかしら。大事な神餌かみえをここで滅されたくなければ、早く私の孫と甥から離れることね!」


 このままでは話にならないようだ。百舌鳥は両手を挙げ、生出の屍と、その前で呆然と座りこむ茅から距離を取った。

 道眞は電気を流されるようなしびれと痛みの中で、動けないままでいる。だが、もっと酷い様子なのは茅だ。吐く物も尽きて咳きこみ、なおもえずいている。


「ぁッ、げぇ…っ! ゼェッ、ゼェッ、ゲホッゲホッ、はッ、うぁぁ……」


 老婦人は茅からリュックサックを下ろさせると、背中をさすって飲み物を渡した。


「おい、勘違いするなや。俺と、そこの羽咋はくいってゾンビ野郎と生出は、娑輪馗廻に拉致られた同士や。生出は手遅れになって、さっき羽咋の首を落とした所までは覚えとるけど、後は知らん。そいつらをマトモな死体に戻してくれるなら大賛成や」

「冷たいな……さっきは助けに来てくれたくせに」


 道眞が軽口を投げかけると、百舌鳥もそれに乗ってくる。


「生きとるならな。死んだヤツはおとなしゅう眠っとれ、バケモンが」

「違いない。僕は確かに首だけになったのに、こうして動いている……ああ、生き返るって、気持ち悪いんだな。葬儀屋としては、なかなかの恥だよ」


 孫を介抱しながら、老婦人が二人の会話に注意しているのは分かっていた。だからこうして、自分たちが娑輪馗廻の信者ではないことをアピールする。

 幸い、その意図はきちんと伝わったらしい。老婦人は道眞の顔を覗きこんだ。


「あなた、神餌のはずなのに、教団に帰依きえしていないの?」

「帰依でも入信でも、あんなやつらの仲間になった覚えはないし、そんなのは絶対に御免です。僕の家は代々続く葬儀屋でして、この仕事に誇りがある」


 死んだはずが動く屍になっている以上、あいつらの仲間と思われるのは仕方が無い気がする。だとしても、道眞は魂まで明け渡したつもりはない。

 白い縄がじくじくともたらす痛みも、もはや気にならなかった。


「生出さんが殺された時、僕は〝こいつらを絶対に赦さない〟って決めたんです。僕の仕事は、人間に残された最後の尊厳に奉仕することだ。人を誘拐して、洗脳して、化け物に作り変えるようなヤツは、必ず落とし前をつけさせてやる!」


 今も娑輪馗廻によって、父と娘は惨憺たる再会を果たしたのだ。彼を切り刻んだキヨイ自身も、娑輪馗廻の教主と関係があるらしい。

 道眞自身も神餌となったならば、もはやヤツらとは切っても切れない仲だ。


「……ひとつ訊くわ。あなたは、娑馗しゃき聖者しょうじゃと呼ばれるひとに会わなかった?」


 老婆はまだ、こちらを量りかねているようだった。


「あの教主をどう思う?」

「目の前にいたらこのクソ野郎と罵って殴りに行きたいです」


 もっとハッキリ言えば〝殺してやりたい〟と思うほどには憎い。殺せるものならば、だが。答えに納得したのか、眼帯の老婦人は道眞から白い縄を解いた。


「ごめんなさい、あなたは本当に、彼らの仲間ではないようね」


 すっかり痛みを忘れていたが、ふわっと体が楽になるので、かなり自分は痛めつけられていたらしい。

 縄はしゅるりと生物じみた動きで、老婦人の袖にしまい込まれた。


「私は別天べってん現子あきこ。茅は孫で、生出敬一郎は甥にあたるわ」

「羽咋道眞です。あちらの彼は、百舌鳥ヤマト」


 ホールドアップしていた百舌鳥はようやく両手を下ろす。


黄甘う冷静になってきたな。このゾンビ野郎を滅する、というのはもうええんか?」

「羽咋さんには頼みたいことが出来たわ」


 別天はすっと地面に座ると、両膝をそろえて正座した。手をハの字に置き、頭から腰までをぴんと一直線に保ちながら、深く前に傾ける。


「悪しきものを逃れし神餌、羽咋道眞さん。どうぞ我が甥、生出敬一郎の魂をお救いくださいまし」


 常日頃から、和装で過ごすことに慣れていることが一目瞭然な所作。流麗な一連の土下座に思わず呆気に取られていたが、道眞ははたと我に返った。


「どういうことですか、別天さん!? 頭を上げて下さい!」

「おばあちゃん、急にどうしたの?」


 道眞と茅がそれぞれ慌てると、別天は静かに顔を上げた。「わざわざそんなとこに座っとるなや」とぶっきらぼうに、百舌鳥が手を引いて立つのを助ける。


「驚かせてごめんなさい」


 眼帯の老婦人は、少女のようにはにかんだ。真夏のまぶしい陽光が、木の葉の間から漏れ注ぐ。早朝の空気は、すでに完全な朝に変わりつつあった。


「私、あなたたちにとんでもない失礼をしたんですもの。その上厚かましくお願いする身なんですから。これぐらいは、ね?」

「生出さんを助ける方法があって、僕に出来ることならなんでもしますよ」


 請け負う道眞の目を、別天はじっと覗きこむ。お前にその覚悟はあるのかと問うような、凍てつく冬の湖を思わせる厳しい眼差しだった。

 立ちのぼり始めた夏の気配と真逆のそれに、心臓が射すくめられたように痛む。彼女は、道眞にどれほどのものを託そうとしているのか。


「飲食は・いたみのけじめ・曼珠沙華。長谷川はせがわ双魚そうぎょの俳句よ。羽咋さん、私はあなたに、甥の霊魂を食べて成仏させて欲しいの」

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