第29話 地下1階

 地下に続く階段を降りると、高級そうなバーが広がっていた。

「テツオさん、手ぐらい貸してくださいよ。」後ろから、ヤツの、いつもより高い声が聴こえてくる。

「要らねーだろバカ。」

「ひどいなぁ。僕ヒールなんですよ?」

「あー、はいはい」

 無駄に抵抗すると面倒なので、渋々俺はヤツに手を貸した。白魚のような指ってのはこういう指を言うんだろう。

 ヤツは優雅にカウンターに座ると、マスターににっこりと微笑んだ。

 マスターもベテランっぽそうだが、ヤツの顔に見とれていたらしい。

「注文してもよろしいですか」とのヤツの言葉にはっと我にかえったようだった。

「何に致しましょうか。レディ?」


 そう、今日のヤツは、女の姿になって俺の隣でバーを楽しんでいやがるのだ。

 俺がついうっかり「たまには野郎じゃなくて綺麗な姉ちゃんと飲みに行きたい」と漏らしたら「えっ、僕女の人になれますけど」とかほざきやがって見事に美女に化けやがった。何故かドレスと靴まで持っていた。本当になんでだよ。

綺麗な姉ちゃんと、って言った俺が悪いんだが、なんかこう、もっと加減してくれよ。周りの客がみんな「え、なんでこの美女がこんなおっさんと!?」って目で俺のこと見てるぞ。

「さ、テツオさんも何か飲んでください」

「じゃあとりあえずビールで……」

 顔は、ヤツが女になったら確かにこんな顔だろうな、という造形をしていて、プロポーションが完璧でしっかりおっぱいも尻もある……けっこう好みのタイプなのが悔しい……なんかめちゃくちゃイヤだな、なんの罰ゲームなんだこれは。

「……お前妙に準備が良かったけど、女になること慣れてるの?」

「たまに女の人が好きって言う女の人もいらっしゃいますからね」

 なるほど、それは思い付かなかった。

「いやーたまに女性になってみるのもおもしろいんですけど、ずっと続けるとなると女の人の体って大変なんですよ。テツオさんもちゃんと女性は労らないと駄目ですよ」

「えっ、それお前が言うのか………」

「ねえ、お姉さん、こんなショボくれたおっさんと飲んでないで俺たちと飲まない?」

 ほら見ろやっぱり声かけられてら。正直ヤツを兄ちゃんたちに押し付けてひとりで安い飲み屋で飲み直した方が気楽だろうか。

「すみません~この人兄なんですぅ~」

 ヤツが猫なで声で答えたが、おいなんだその設定!? 

「へ、へえ……あんまり似てないね……」

「よく言われるんですよ~」

 連れが兄だと言う言葉はかなり効いたようで、兄ちゃんたちはすごすごと退散した。 

 その後は特に大きな事件もなく、周囲の視線も「なるほど兄妹なのか」というものに変わり、つつがなく飲み終わった。

初めは輝くほどの美女になったヤツに落ち着かなかったが、慣れてしまえば中身は変わらなかった。どんなに綺麗に着飾っても、ヤツは妙に人懐こくて人でなしのくそ野郎に変わりはないと思えば、少しほっとした。


「……テツオさん、男の僕と女の僕はどっちが良かったですか?」

 帰り際、ヤツに尋ねられて俺は少し考えた。

「うーん……どっちも変わんねーよ。中身はお前なんだろ。まあ男の方が気楽っちゃ気楽だけどな」

「……そうですか!」

 思ったままをそのまま言っただけだったのだが、ヤツはなんだか妙に嬉しそうに笑ったのだった。



 

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