手習い帖

かこ

やおろず帳

魔女と世界の隠し子と――【Ⅰ】

 深い深い霧の森のには一人の魔女と仲のよい双子が住んでおりました。

 怖がりで心優しい少年テオと、怖いもの知らずで元気いっぱいな少女シーアは今日も家の屋根から世界を眺めます。

 いつもなら遠くで啼く狼の声でうたた寝をし、宝探しをするようにひっそりと咲いた花を指差すだけ。

 菫色の瞳をぱちりとして、シーアは体を乗り出しました。


「ねぇ、テオ。また来たみたいね、あの人」

「シーア、そんなに乗り出したら落ちてしまうよ」

「大丈夫! 百回落ちて、落ち方を覚えたから」


 おろおろするテオにシーアは胸をはります。


「そういうことではありませんよ。かわいいレディが怪我をしたら、皆が悲しみます」

「皆と言ってもテオとロビンしかいないでしょ。ああ、マヤも心配してくれるかな。烏だけど」


 屋根の下から声をかけられても、シーアは自由気ままに話を続けました。

 妹の様子にテオは口をすぼめます。


「シーア、あの男とは話してはダメだとロビンに言われたよね」

「話してないでしょ、乗っただけ」

「屁理屈言わない」

「屁理屈言ったらいけないなんて、ロビンは言ってないよ」


 瞳がこぼれ落ちそうなほど、真ん丸に見開いたシーアは小首を傾げました。

 テオは首をふります。

 そこに横入りしたのは、屋根の下で大人しく待っていた男です。


「今日はお土産があります。かぼちゃのパウンドケークにおばけのクッキー。林檎のタルトは食べたことあるでしょうか」

「林檎ってお菓子にもなるの?」

「シーア」


 屋根の下に問いを投げ掛ける妹に兄は低い声で言いました。

 シーアは不思議そうな顔でテオを振り返ります。


「お菓子をもらってはいけないなんて、ロビンは言ってなかったわ」

「知らない人から物をもらってはダメと言われたでしょ」


 テオに釘をさされても、シーアは痛くもかゆくもありません。双眸をきょとりとさせて、言い返します。


「市場の人は知らない人なのに物をもらっているのよ」

「お金を払っているからだよ」

「お金を払っていてもいなくても、知らない人からもらってることに変わりはないでしょ」

「それが危ない物だったらいけないから、ロビンはダメって言ったんだよ」

「じゃあ、危ない物でなければもらってもいいのね」


 屋根から飛び出したシーアは、地面につく直前に体を浮かしました。軽やかに下り立ち、男の荷物を覗きこみます。


「妖精みたいですね」

「失礼よ、霊薬の魔女の一番弟子を侮らないでくれる?」


 シーアはまあるい頬をぷくりとふくらませました。

 はは、と男は声を上げて笑います。


「こわいこわい魔女の一番弟子はどちらをご所望でしょうか?」


 冬空を切り取ったような目を細めた男は籠に詰めた菓子をシーアに見せました。


「かぼちゃのパウンドケークに、おばけのクッキー、それから林檎のタルト。あ、プティングもあるのね」


 籠のお菓子から目を離さないままシーアは、むむむとうなります。

 男は面白そうに笑みを深くするだけで何も言いませんでした。


「また、アンタかい」

「これはこれは、霊薬の魔女。ご無沙汰しております」


 長い濡れ羽色の髪を持つ魔女は白い月のように冷たい目を男に向けました。その後ろに隠れたテオが妹に目配せをしますが、シーアは見向きもしません。

 男は紳士の礼をとり、端正な顔を笑顔でいっぱいにしています。


「迷子も依頼人も放浪者もいらないと言ったはずなんだけどね」


 魔女はため息まじりに言葉を落としました。ことあるごとに男を追い返していますが、効果が見られません。

 そうでしたっけ、と男は笑顔でとぼけます。


「アンタみたいに面の皮が厚い奴をね、大うつけと言うんだよ」


 魔女の手厳しい言葉に、ははと男はまた声を上げました。


「帰れと言っても帰らないだろう。用件を聞くぐらいはしてやる。何だ?」

「慈悲深い魔女のお陰で僕の仕事もはかどります」

「で?」

「とある霊を探しております」

「あの世に行ってしまった霊に会いたいなんて無茶を言うな」

「おや、魔女ともあろう方が暦をお忘れですか」

「……もう、万聖節オール・ハロウズ・デイか」


 霧の森に引きこもっている魔女はすっかりとそのことを忘れていました。

 十月三十一日は、生者と死者の世界を隔てる壁が薄くなる前夜です。魔女にとって、死者も隣人のようなものなので特別、興味を引かれる行事ではありません。

 万聖節オール・ハロウズ・デイと聞いてはしゃいだのは、もちろんシーアでした。


「ロビン、私、パレードに参加したいわ」

「そういって、あの世に行きそうになったのはオマエだろう。面倒事はもうたくさんだよ」


 浮かれる弟子に魔女は釘を刺しました。

 魔女の言葉にも聞く耳を持たないシーアは男に振り返ります。


「お菓子をくれたら、案内しないこともないわ」

「魔女と違って弟子は優しいですね」

「本人がいる前で言うことじゃないだろう」


 シーアと男の会話に魔女はつかさず指摘しました。

 ぎゃーぎゃーきゅーきゅー言うシーアに一つの許しが出されます。


「行ってもいいけど、仮装をしないと行けないよ。シーアはすぐに何処か行くから、蝙蝠こうもりになって、テオの持つ籠にお入り。それができないなら行かせないよ」

「わぁーい! ロビン大好き!!」

「調子がいいね、全く」


 やれやれと、魔女は人差し指で陣を描きました。

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