ドラ嘘くえすと〜ゆうしゃとでんせつのつるぎ〜:後編

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記念書き下ろし、後半です。いつもの小説形式にくわえ、朗読では長すぎてカットした部分も含めたフルverとなっております。お楽しみくださいませ♪


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『ここまでのあらすじ――。不死族アンデッドを束ねる美しき魔王、ヴィルケット・ヴァンスリー・ヴァルマン。彼の城を訪れたのは、勇者と名高き英雄フィールーン。小うるさくも頼れる弓使いと抜け目ない荷物係を引き連れた彼女は今、さらわれた“筋肉姫”たちを取り戻すため、魔王城の地下大迷宮へと挑むのであった――……!』


 暗い石造りの壁にわんわんと響き渡る、重厚な声。高度な魔法の仕掛けに呆然としていたフィールーンだったが、静かになったとたん仲間たちが抗議の拳を振り上げた。


「誰が“小うるさい弓使い”よ、悪かったわねッ! ていうか今の解説なんなのよ! あのゲラートとかいうゾンビ給仕さんよね、ちゃんと喋れるんじゃない!!」

「あっしも、せめて“荷物係”じゃなくて“商人”って言ってほしかったでやんす」

「お、お二人とも落ち着いて……! きっと、こちらを撹乱させる目的が」

「絶対楽しんでるだけよ、あのクサレ吸血鬼! 腐ってないけど!」


 いつもの可憐な顔を怒りで上気させる“弓使い”――エルシーだったが、自分についてくる足取りはしっかりとしている。彼女のそばから離れないタルトトも同じだ。フィールーンは仲間たちの闘志を頼もしく思いつつ、暗い地下道への入り口を見た。


「すごい魔力を感じます……!」

「それは演出で言ってるんじゃないみたいね、“勇者さま”。油断せずいきましょ」

「ひょええ……。旦那とリクスンさま、ご無事だといいんすけど」


 怯えて耳を垂れさせる獣人に、フィールーンも重いうなずきを返す。何やら賑やかな話になってはいるが、相手は強大な不死の軍団。しかもその頭であるヴァルマンは、不老の知恵竜を相手に気さくに話すことができる上位の吸血鬼なのだ。戦闘になれば間違いなく、ここにいる仲間の全力が必要になるだろう。


「あっ、見てくだせえ! あの意味ありげな箱、知恵竜さまがおっしゃっていた“装備一式”じゃないすか!?」


 タルトトの弾んだ声に王女が視線を向けた先で、たしかに威厳ある金ぶちの箱が密かな輝きを放っていた。迷わず箱の前に飛び出していった獣人に、エルシーがすかさず制止をかける。


「待ってタルトちゃん! 罠かもしれないわ。ここは慎重に――」

「いえ! 大丈夫だと思います、エルシーさん」

「どうして、フィル?」

「……」

「……どうしてなの、“勇者”フィル?」


 ため息をつきながら訂正された呼称にぱあっと顔を輝かせ、フィールーンは胸を張って返答した。


「冒険小説では、最初の宝箱に罠がかかってることなんてないからです!」

「なによそれ。ここはお話の中じゃないのよ」

「いや、“勇者さま”の仰る通りですぜ、姐さん。中身はただの服やらなんやらだ」

「開けちゃったの!? はあ、もう……」


 こめかみを押さえて呻いた弓使いを追い越し、フィールーンも“宝箱”を覗き込む。綺麗に畳まれた鮮やかな色の服が三人分、きちんと収められていた。他にも新品の羊皮紙や羽根ペン、清潔な水で満たされたガラス瓶なども確認できる。


「ご丁寧に、細い通路でも撃ちやすい小振りの弓まであるのね。でもここには精霊がいないし、使えそうなものはありがたく頂戴しなくちゃ」

「わっ、この服……もしかしてあっしの?」

「こ、これが勇者の装備……!?」

「はいはい。感動してないで、なぜかしっかりと用意されているそこのカーテンの向こうで着替えましょうね。“勇者さま”」


 なんだかんだと賑やかな雰囲気になりつつある一行。そんな彼女たちを、不思議な金の瞳を持つ小さなコウモリがじっと見つめていた。





「ふふふ、着替えてくれるみたいだ、嬉しいね! いやァ、盛り上がってきたなあ!」

「まだなんも始まってないっしょ、ヴィル」


 城の応接室――もとい“魔王の謁見室”では、豪華な茶菓子を広げたテーブルを挟み二人の美男が向かい合っていた。この城の主たる吸血鬼ヴァルマンと、フィールーンたち一行の最年長である竜アーガントリウスだ。


「まったく、手の込んだ遊びを考えてくれちゃって。うちの若いコたちで遊ぶのも大概にしてよね」

「はは、そういうキミだって、大体こうなることを予想してきたんじゃないのかい? まァ心配するなかれ、友よ。うちの家臣たちだって、あんな子供を相手に本気を出したりしないさ」

「……ふーん?」


 己でも気づかないうちに、アーガントリウスの形の良い眉がぴくりと動く。上等な葡萄酒のグラスを掲げると、不敵な笑みを浮かべて続けた。


「どうだろうねぇ。このままお前の“シナリオ”通りに事が運ぶとは限らないよ?」

「へえ、珍しいことを言うじゃないか。伝説の知恵竜とあろう存在が、ずいぶんとあの人間たちに入れ込んでるご様子。じゃあ賭けるかい?」

「それはヤダ。どうせ俺っちの血が欲しいとか言うんでしょ」

「ちぇっ! 相変わらず、“大賢者”どのはおカタい偏屈じじいだ」

「お前ね……。俺っちと同じくらい長生きのくせに」

「そんなコトより、あれを見たまえよ!」


 ころころと話題を変える吸血鬼にため息を落としつつも、アーガントリウスは彼が嬉々として指差した場所を見た。ゾンビ給仕たちが押してきた仰々しい台座に据えられているのは、磨き込まれた大鏡である。


「私の眷属たちの目に映るものはすべて、この鏡に自由に写せるのさ! すっごいだろう! ね、ねっ? “視点ジャック”って名付けたんだ」

「うんうん、すごいすごーい。それで女のコたちの冒険を盗み見るってワケね」

「人聞き悪いなぁ。もちろん彼女たちの更衣室の中には何も仕掛けてないさ」

「仕掛けてたらこの城はすぐさま、怒れる竜によって粉々にされただろうねぇ」


 互いに涼しい笑みを顔に貼り付けたまま、ピリリとした緊張が豪奢な部屋を満たす。大鏡のうしろからそっと顔を出したゾンビ給仕――ゲラートが、新たな話題を提供してその空気を鎮めた。


『穴に落ちタお仲間のご様子モ、ご覧になりマスか?』

「ん? あー、セイちゃんとリンちゃんか。忘れてた。映してもらえる?」


 お菓子をつまみながら気楽に申し付けると、給仕は腐った身体を折って一礼する。ヴァルマンが指揮者のように指を振ると同時、鏡面が揺らいで暗い部屋の一角を映し出した。


『な、何なのだ一体! 部屋の水がすぐに引いていったのはよかったが、今度は不死族がこんなに』

『おい騎士。なんでアイツら、全員ドレスを持ってるんだ』

『俺が知るかッ! くそ、剣が流されなければ……!』


 ずぶ濡れの青年たち――セイルとリクスンは互いに背中を合わせ、部屋の中央で戦闘の構えを取っていた。ふたりを取り囲む不死族たちは皆武装していないものの、木こりの言うとおり色どり豊かな婦人用のドレスを手にしている。


 赤いドレスを盾のように構えたゾンビ侍女が、弾んだ声で進言する。


『こちらにお召シ替えくだサイ、“新鮮”ながた』

『俺たちが婦人に見えるか!? 今の濡れた服のほうがマシだ』

『あタタかいお食事やお菓子も、ご用意シテおりマスよ』

『食う』

『貴様、敵陣の真っ只中で何を言っている!? さっさと、りゅ――“あの姿”に成れ! さきほどの穴から飛べば、姫様たちと別れた部屋に戻れるかもしれん』

『……腹が減り過ぎて無理だ。それに一度水に浸かって、魔力もやる気もでない』

『貴様あああ』


 明らかに覇気を欠いた様子の木こりに憤慨する騎士を鏡ごしに眺め、アーガントリウスは憐れみを込めて言った。


「かわいそーに。てか、あいつらをホントに“プリンセス”に仕立てるつもりなの? 大人しくコルセットに巻かれるヤツらじゃないよ」

「だって、シナリオだとそうなんだもの。まァ武器は没収したんだ、彼らが麗しき変革を遂げるのも、時間の問題だよ」

「あれま。そんじゃ、そんな“悲劇”が起きる前に、うちの“勇者さま”には頑張ってもらわないとねえ」


 肩をすくめた竜の前で、大鏡がまた揺らめいた。映し出されたのは、真新しい装備に身を包んだ三人の「英雄」の姿である――。





「“勇者”フィールーン、“弓使い”エルシー、“商人”タルトト! 不死族の脅威から姫たちを救わんがため、ただいま見参――ですっ!」


 きらりと輝く剣――鋼の色を塗っただけの木剣なのだが――を掲げ、古き良き“勇者”の装備を身につけたフィールーンが高らかに開戦を告げる。白いレースが可憐なスカートからのぞく腿のことさえ気にしていない。


 しかし自分の背後に隠れるようにして立つ仲間たちは、明らかに居心地の悪そうな声を上げた。


「な、なんでこんなに短いのよ、このスカートっ! これじゃ好きに動けないじゃない。……みんなお揃いなのは、ちょっと可愛いけど」

「うぅ、スースーするっすぅ……。でも、この道具たちは上等なモンっすね。マッピングはお任せあれでやんす!」


 革製の胸当てに、鳥の羽をあしらった狩人の帽子。たくさんの探索道具を吊った、知性を感じさせる上着――。二人もまた物語の挿絵でしか見かけたことのない、大昔の装備を身につけていた。しかしそれらの物語に浸かって育ってきたフィールーンは、うっとりと仲間たちを見つめる。


「お二人とも、とっても素敵です! まるであの冒険小説の金字塔に出てくる、スカーレットとポコタンみたいです!」

「当たり前のように言われても、わかんないわよ……」

「つーか“ポコタン”って仲間っすよね? ペットのタヌキとかじゃないっすよね?」

「……」

「え、どうしたんでやんすか? まさかほんとにペットって言うんじゃ」


 仲間の不安そうな声で、思考に沈んでいた王女はハッと我に返った。ぐるりと迷宮の入り口を観察し、空色の瞳を大きくする。閃いた可能性に、心臓が大きく高鳴った。


「こ、これは、もしかして……?」

「どうしたのよ、勇者さま」

「スカーレット。この迷宮――案外簡単に攻略できるかもしれません」

「誰がスカーレットよ。でもそれ、本当なの?」


 王女――いや“勇者”は力強くうなずき、もっとも小さな仲間に振り返った。



「ポコ――タルトトさん! 道具袋の中を見せてください」





 大鏡の中で、三人の少女が地下通路を進んでいる。


「見たまえ、友よ! 勇者たちが、いよいよ最初のモンスターとご対面だ!」

「お前の豪勢なマントで見えないってば」


 鏡に覆いかぶさるようにしてはしゃいでいる吸血鬼を押し退け、アーガントリウスも仲間の様子を観察した。弟子であるフィールーンを先頭に進む一行だが、不気味な地下迷宮内だというのに怯えている様子は見られない。


「勇敢だけど可愛いねえ、うちの女のコたちは」

「あれ、おかしいな……。マッピングもなしに、複雑な迷宮をこんなに早く進むなんて。君の弟子は、命知らずなのかい?」

「いいや? なにか考えがあるんじゃないの。あ、スケルトンが出てきたよ」

『ヘイヘイ待ちなァ、勇者さんたちィ!』


 カタカタと白骨のアゴを揺らして登場したスケルトン。緑髪の少女と小さな商人はお互いに抱き合って悲鳴を上げたが、勇者だけは怯まず前に出た。


『くらいなさいっ!』

『ギャアアアア! こっ、これはっ、聖水!?』


 勇者が思い切り投げつけた小瓶が弾け、骸骨が頭を抱えてのたうち回る。しかし哀れな悲鳴を上げていた不死族はやがて、むくりと起き上がって頭蓋骨を傾げた。


『アレ……? ヒリヒリするけど、滅されてないじゃん……?』

『あなたは倒されました! そのまま倒れていてくださいっ!』

『あ、ハイ』


 勇者の剣幕に圧され、スケルトンはふたたびその場にカランと散らばった。勇者たちはそのまま先を急ぐ。鏡の前でアーガントリウスは目を細めた。


「どゆこと。これ」

「ふ、ふん、まぐれだろう。しかし聖水はひとつしかない。こんな序盤で使ってしまうとは愚かだな、勇者よ! ハーッハッハ!!」

「あ、なんか次の出てきたっぽい。スライムかねえ」


 ジュウジュウと床を溶かしながら近づいてくる泥の塊。何本もの不気味な触手がうねるのを見、さすがの勇者たちも立ち止まった。


『キョーッキョッキョ! このネバネバ粘液はなんでも溶かすッキョ! そのかわいい衣装の露出度をさらに上げてやるッキョ〜!!』 

『そんないかがわしい演出はお断りよ! くらいなさいッ!』

『キョオオオオ!? こ、これは聖水!』


 エルシーが放った矢に仕込んでいた小瓶が割れ、中の透明な液体が飛散する。不死族は破裂せんばかりに膨れ上がったが、すぐに萎んでいく。やはり今回も軽傷のようだ。動揺するスライムを無視し、勇者たちは駆け出す。


「まだあるみたいだけど。聖水」

「ば、馬鹿な!? また誰か仕掛けを間違えたのか、ゲラート!」

『い、イエ……。宝箱の中身は、予定通りのはずデス。少し、ワタクシも現場に行ってまいりマス』


 早足に部屋を出ていくゾンビを見送り、アーガントリウスはグラスを傾けてにやりと笑った。


「早くも大ピンチじゃないの、アンデッドさんたち?」

「うぐぐ……! でもここからはそう簡単にはいかないよ。なんたって不死族四天王の登場だからね!」


 意気込むヴァルマンの前で、こちらの様子を知るはずもない勇者たちが猛進撃を繰り広げていた。


『我が名は四天王・魔眼のメデュサ! さあ、この眼を見るがいいわ!』

『見ないでとりあえず投げまくるっす! くらえ聖水‼️』

『イヤアアア数の暴力!』


『わしは四天王・剛拳のガテツ! 正々堂々、拳で勝負ぞ勇者!』

『ご、ごめんなさい、急いでいるのでっ! 聖水剣!』

『かわいいいいい♡』


『オレは四天王・炎天のボルーア! 勇者どもよ、こんがり焼けるがいい!』

『こんな狭い場所で炎なんか使うんじゃないわよ! 聖水消火!』

『あがあぁッ、つ、強気の女はタイプだぜーっ!』


『ぼくは四天王さいきょうわんこ、ベロスたんだわん! ほら、お腹出して甘えるわん!』

『あとでおやつを持ってくるので、ここにいてもらえますか?』

『わーいだわん!』



 ごろごろと転がる黒い子犬を最後に、勇者たちの前に躍り出る敵はいなくなった。彼女たちを映す鏡を揺さぶりながら、古城の主が吠える。


「なっ、なんなんだ、あの勇者は! どうして……どうして“あの攻略法”を知っている!?」

「なにそれ。てかどう見たってフツーのやり方じゃないでしょ、これ。止めなくていいわけ?」

「あ、ああ……。けれど、いや……うーん」


 珍しく歯切れの悪い吸血鬼にアーガントリウスが首を傾げていると、突如として目の前の鏡が暗転する。その直前に映った見覚えのある灰色の影に、知恵竜はひとり小さく口笛を吹いた。


「ようやく物語は佳境へ……ってね?」





「ついに追い詰めましたよっ、魔王ヴァルマン! 覚悟なさいっ!」

「えっ、もう? ……いや、フフ、とうとうこの謁見室まで来たか、勇者フィールーンよ!」


 元いた応接室に飛び込んだフィールーンたちの前で、強大な魔力を有する吸血鬼が妖しく笑う。魔法の師は戦いに参加する気はないらしく、長椅子に座ったままヒラヒラと手を振っていた。


「よもや、我が最強の兵士ゲラートまでも倒されるとは! つまり貴様は今、奴が守っていた“でんせつのつるぎ”を所持しているというわけだな?」

「その通りですっ! これを受けたら、魔王だってタダじゃ済みませんから! 姫たちを返して、降参してくださいっ」

「ふん、かわいい“ご忠告”感謝しよう。ではセオリー通り、ここは一対一で――」


 マントを脱ぎ捨てて進み出た魔王めがけ、いくつものきらめきが宙を舞う。


「やるわけないでしょ! くらいなさい、聖水弾!」

「投げまくるっす! おりゃああっっ」

「なあああ!?!? ちょ、や、やめ――いたいいたい! しかしなんだこの聖水は……? 薄めてあるのか」


 聖水まみれになって顔を覆う吸血鬼だが、彼の治癒力の前では聖水も致命傷とはならないらしい。フィールーンはうなずいたあと、唐突に剣を捨てて敵の大将の元へ駆け出した。胸元に隠してあった細い輝きを取り出し、叫ぶ。


「これで止めです、魔王! “我、今こそ世界に光を取り戻さん!”」

「! それは――!」


 不死族なら容易くかわせるはずの、単純な突進。それを呆然とした顔で食らったヴァルマンは、フィールーンと共に真紅の絨毯の上に転がった。


 駆け寄ってきた仲間たちの前で身を起こし、勇者は堂々と宣言する。


「チェックメイト! 私の勝ちです、ヴァルマン卿――いえ、“ヴァヴァリーヌ5世”先生っ!」


 深緑の上等な紳士服。その胸に突きつけられたのは、水晶を削って作られたらしい美しきペンだった。興奮した光を瞳に宿すフィールーンを見上げ、ヴァルマンは金色の目を限界まで開いて呟いた。


「な、なぜ……その名を」

「もちろん存じていますっ! 冒険小説の金字塔『聖水無双――手強いダンジョンだそうですが、無限に湧き出る聖水のおかげで楽勝でした』の謎多き著者! 私、大ファンなんです――刊行されている分はすべて5周しました!」

「66巻もあるのに!? まさか、そんな――あ、あんな、200年も前の作品を」


 あまりの衝撃に起き上がることさえ忘れているらしい吸血鬼の腕を引いてやりながら、フィールーンは悪戯っぽく問いに答えた。


「“モグラ姫”は、なんでも読み散らかすことに関しては一流なんです」

「……。このペン、懐かしいな。ずっと前に捨てたはずなのに」

「ゲラートさんが下さったんです。この“でんせつのつるぎ”で、ぼっちゃまの目を覚ましてやってほしいと」

「ちぇ。その呼び方はやめろと言っているのに。土から出てきた時から、うるさいゾンビだ」


 口調とは反対に、ヴァルマンは優しい目で水晶の輝きを眺めている。おそらくずっと彼が作品執筆の際に使ってきたものなのだろう。フィールーンは姿勢を正して絨毯に座り、城の主を見つめた。


「魔王と勇者の設定、迷宮の造りや宝箱の演出。そして私たちの装備一式……すべてが『聖水無双』の世界と同じでした。貴方はご自分のお城と私たちを使って、あのお話を再現したかったのですよね」

「……弄んでしまって、すまない。アーガントリウスの連れだから、少しは骨があるだろうと思ったんだ。でもやはりヒトには、恐ろしいだけだったろうね?」


 こくこくと熱烈にうなずく弓使いと商人から目を背け、フィールーンは勇者の飾りを戴いた頭を振った。


「いいえ、素晴らしい体験でした! 憧れの物語の舞台で、私が“勇者”になれるなんて! 四天王の皆さんにも、こっそりサインを頂いちゃいました」

「……君こそ、素敵なアイデアだったよ。物語のように聖水を無限に出す力はないが、最初の一本を水魔法で薄めて増やしたんだね」

「はい。不死族さんたちは、このお城に欠かせない存在なんですよね?」

「ああ。陰気だが、みな私の家族だ。感謝するよ」


 ゆっくりと立ち上がる吸血鬼の背後にあるカーテンが揺れる。その陰から静かにフィールーンを見返すゾンビ給仕が、裂けた口でにっこりと笑った。


“――ヴィルケットぼっちゃまは、お寂シイのデス。人気の物語を書いテモ、読者たちはもうコノ世にはおりまセン。デスから、みなさま、どうかぼっちゃまの『遊び』に、乗っテやってはくださいませんカ”


 謁見室からの“覗き見”を断ち切ってまで伝えられた給仕の言葉を思い出すと、フィールーンの胸が切なく軋んだ。自分の師を含め、長き命を持つ者たちはいつも時間の輪から取り残されている。だからこそ、この想いを素直に伝えたいと思った。


「あの、ヴァヴァリーヌ先生」

「それ結構ノリでつけた名前だから、割と恥ずかしいんだけど……何だい?」

「続き、書いてくださいませんか」

「!」


 フィールーンの申し出に、かつての人気作家である吸血鬼は伏せていた顔を跳ね上げる。


「66巻の最後は、今日の私と同じ……勇者が魔王と対決するシーンで終わっています。でも、決着までは描かれていない。私、最後まで見たいんです!」

「で、でも……私がラストシーンを考えている間に、読者はみんな老いて死んでしまった。だからペンを捨てたんだ。それに今となっては、あまりにも陳腐なオチとしか思えなくて――」

「じゃあ、新しい結末を考えてください!」


 こちらの剣幕に驚いたのだろう、吸血鬼は目を点にしている。しかしフィールーンはさらに身を乗り出して言った。


「今の先生にしか考えられない、とっておきの結末を! 私、ファンとしてずっと待ってますから!」

「フィールーン君……」

「あ、で、でもなるべく急いで下さると嬉しい……です! ふふっ」


 そこで堪らなくなってお互いに小さく吹き出し、勇者と魔王はしばし笑いあった。





「姫様ッ! ご無事でしたか!」

「リクスン姫!」

「ひ、姫?」

「あ、いえ、貴方も――セイルさんも、無事でよかったです! 本当は地下で探すべきだったんですけど、実は地下に見えて別の部屋に転送されていることは本で知っていたので、先に魔王との対決をと思って」

「あの……俺には、何を仰っているのか皆目わからないのですが」


 難しい顔の臣下と空腹で青ざめている木こりと合流したフィールーンたちは、応接室で不死族たちの豪華なもてなしを受けることになった。奇妙で愉快な宴会は夜通し続き、陽が昇る頃になって一行はのろのろと出立することになる。


「約束のクリスタル・トリュフだ。君たちの旅に、闇の祝福があらんことを」

「それホントに祝福してるつもり? まったく、今回もひどい滞在になったわぁ」

「フフフ。懲りずにまた来ておくれ、我が唯一の友よ。……そ、それと」


 もじもじしている吸血鬼は、柱の陰から出てこない。フィールーンはその細長い姿を見上げ、朗らかに手を差しだした。


「また会いましょう、ヴァルマン卿――いえ、ヴィルさん」

「……あ、握手はしないんだ。きっともう、会えないもの」

「ううん、会えます!」


 下がりかけた相手の手を捕まえ、王女は強く握って請け負う。


「会いにきます、私から。だって、大事な“お友達”なんですから!」


 眩しい笑顔の背後から、さらに明るい陽光がこぼれる。闇に生きる者はさっと手を引っ込めたが、かわりに牙を見せて陽気に笑った。



「――ああ、待っているとも! 愚かな“勇者”よ、また会おう!」



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こちらのお話はXスペースにて朗読していただいてます!演者さま、熱演ありがとうございました〜!!!


アーカイブ:https://twitter.com/fumitobun/status/1697752825131102432

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