美女対野獣

「え、でもさ」


 ギャル利根は何かを言い掛けて止めた。

 乗客達が緑色の顔でバスに乗り込んでいく。

 アメリカのゾンビ物のように、今逆らったら、“あの女”に食われてしまうに違いない。

 

「お!エンジン掛かった」


 人は余りにも非現実的な事態に遭遇すると、パニックを防ぐ為に日常的行動を取る事で冷静さを保とうとする。

 或いは無かった事にしてしまうかだ。

 運転手は正にそんな精神状態にあった。


「ちょっとしたハプニングに見舞われましたが~~バスは金時山の麓に到着致しましたあ~~」


 ツアコンも同じく。


 "ちょっとしたハプニング"とお経のようにブツブツ呟く運転手。


 バスを降りて山に入った。

 泥濘んでいるが一瞬で止んだので豪雨の影響は差程無い。


 水を得た魚のように好実が嬉々として茸狩りに没頭する。

 大仕事を終えて、かなり空腹を覚えていた。

 腹の虫がひっきりなしに鳴くのを「森のくまさん」を美声で歌って誤魔化す。


 かなり採れた。

 と、いうより他のツアー客の生気は殆んど好実に奪われていたので一人占め出来た。


「好実の食に対する情熱はホント凄いよね」


 塔子が話し掛けるが彼女の影は既に薄く、存在をアピールするにはありきたりな発言過ぎた。


「そう? 」


 適当に相槌を打つ。


「うわああああーーーー」


 その時、静寂と長閑な情景を誰かの悲鳴が切り裂いた。

 ファミリー向けから一気にサスペンスに。

 それでも好実の集中力は途切れず黙々と茸を採る手を止めようとしない。


「熊だーー熊あーー」


「熊? 」


 流石に手を止める。


「きゃーー熊、熊だって!早く逃げなきゃ!」


 最早モブの一員となってしまった塔子の月並みなリアクション。

 のっそりと森の熊さんが姿を現し、茸を握り締める好実に向かって吼えた。


「冗談じゃないわよーー」


「え? 」


 呆然とする塔子を尻目に、好実の大脳辺縁系で噴火が起こった。

 マグマのごとくアドレナリンとノルアドレナリンが湧き出し、ブドウ糖や酸素を全身に送ろうと脈拍が速まり血流が増える。

 ノルアドレナリンがシナプスを通じて細胞に臨戦態勢を取るよう指示を出した。


 呼吸数、心拍数増加。

 気管支拡張、血圧上昇。

 怒りと闘争心は表裏一体。


 もう、理屈はいいわよ。

 熊を倒すか追い払うかしないと、また肉が食べられない。


 欲望を満たす事への妨害、それにより生じた空腹による苛立ちが怒りを増幅させ、熊を倒さなければ肉にありつけないという切迫感が彼女を後押しする。


 だから、理屈と解説はどうでもいいって。


 怒ってばかりも健康に悪いが、そのエネルギーは奮起の原動力にもなる。

 ノルアドレナリンとは別名「闘うホルモン」。


 前頭葉、今はお前の出番じゃない。

 熊を倒さなければ此方がエサになってしまう。

 常に食べる側でいたい。 

 沸き起こる怒りの全てを熊にぶつければ撃退出来る筈。


「理屈じゃないのよーーーー」


 好実は怒りのエネルギーを叫びと共に爆発させた。

 熊が負けじと立ち上がり吼える。

 両者睨み合いの後、がっぷり四つに組んだ。


 のこったのこった、のこったのこったーー


 結果、熊は先に回しを取られ、上手投げで放り投げられた。

 金時山という土地に宿る金太郎エネルギーも力を貸してくれたのだろうか。

 

 いずれにせよ、食物連鎖の頂点に立つ者としての力を見せ付けてやったのだ。

 食欲とは三大欲求の中で最も強い衝動だ。

 ならば食欲旺盛な好実は生存本能には秀でており自然界における強者と言えるのかもしれない。


 

 


 


 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る