出撃前夜

 夜になって第一九三日出丸が「伊九八」に接舷し、司令部から積んできた様々なものを移載する。第一九三日出丸からすべての書類や機材を引き継ぎ、作戦準備が整ったのは日付が変わって間もない頃だった。第一九三日出丸は伊九八の後方二百光年で通信の中継を行うため、手続き上は序列第二の本国艦艇となる。


「さて、そろそろ寝るか……」


 私がそうわざとらしくつぶやいて司令部員居室に戻ろうとすると、その道中に水が入ったコップと何かの薬を持った鹿波がいた。


「あ、鹿波さん」


 私が言うと、彼はうつむいた。


「鹿波、で良いですよ。敬語もなくしてください。その方が落ち着くので」


 彼の要望に応えて、私は指揮官としての口調に戻る。


「わかった。鹿波、どうしたんだ」


「眠れないんです」


 鹿波に尋ねると、当然とも思える回答が返ってきた。初めて戦場に向かうのだ、眠れるわけがないのはこちらも承知の上である。確実に新兵よりは重度の恐怖を覚えているはずだ。


「そうか……その睡眠薬は持ってきたのか?」


 私の声は少し高く、わずかに廊下を響かせた。


「ええ。眠れなかったら飲もうと思って」


「そうだろうな。睡眠薬は今から飲むんだな?」


「あ、はい」


「飲み終わったら少し話をしよう。効き始めるまでの間だ。どうせ寝台は上と下だからな」


「はい」


 鹿波が睡眠薬二錠を掌の上に出し、口に放り込んで水を飲む。彼はそのコップを持ったまま、司令部員居室のドアを開けて壁際にある三段寝台の下側に滑り込んだ。臨時編成で参謀は鹿波一人、司令部員居室の中には私と合わせて二人しかいない。私は鹿波に尋ねた。


「もし差し支えがなければ、生い立ちから教えてもらおうか」


 鹿波は少し困惑した様子で話を始めた。


「生い立ち、ですか……。私は音頼おんらい音響工業の社長の息子として、鹿波家の御曹司として鞍旗山で生まれました。義務教育を終えてから橙瑠防衛大学へ進学し、本来ならば橙瑠自衛軍の地上部門で幹部候補生になる予定でした。しかし視力が低かったため幹部候補生から外され、官僚になったあと今に至ります」


「そうか……戦闘訓練はしたことがないと言っていたが」


「そうですね、訓練開始前の視力検査ではねられました。一応視力補助装置を使えばなんとかなりそうでしたが地上部門は無理だといわれまして」


「宇宙部門に回されなかったのか?」


「防衛局に配属されると宇宙部門への転属ができなくなるんです」


「なるほど。だから君は今回の作戦でどこか嬉しそうなんだな」


「あ、はい。気づいていたんですね」


「ああ。これくらいなら気づけるよ、『敵の気持ちを読むならまず味方から』だからね」


「なるほど。ところで准将は」


「私の生い立ちかな?」


「はい」


「私は橙瑠星系の羅有為らーうぃ市で、技術指導員をしていた瑠人の父と教師をしていた橙瑠の母の間に生まれた。ところが六歳のときに協和連邦とアフス連邦の間で発生したカラガン動乱で発生したデブリが漂着したり流れ弾が飛んでくるようになったせいで華輝けてる交易所の新設された移民街に移らなければならなくなった。そこで橙瑠の外交官だった羅丸親子に会って、三学年飛び級して第四学年から六年間義務教育学校に通って、それから瑠国軍の艦隊アカデミーに入った。卒業を間近に控えた一三歳の最後の一ヶ月、少尉候補生として配属されていた重巡『亜麻蘭あまらん』がアフス帝国と瑠国の間で発生した戦闘に投入されることになり、艦は損傷したが、なんだかんだあって私が操艦を行い生還した。そしてこのとき戦艦五席を含む敵艦八隻を撃沈したことで五階級を特進して卒業と同時に大佐になった。そして血殺団の乱で戦果を上げて一階級特進、今に至るというわけだな」


「なんだかんだあって……ってどういうことです?」


「『亜麻蘭』は乗員数がぎりぎりだったため私は他の候補生や亜麻蘭の船務長とともに第二艦橋に予備要員として配置されたんだが、『亜麻蘭』は交戦開始三十分で第一艦橋を吹き飛ばされ、第二艦橋も至近弾を食って大半の正規兵と候補生のほとんどが負傷したため第二艦橋にいた候補生のうち軽傷の五名だけで操艦しなければならなくなった。私は観測機材で右手を打っただけでほぼ無傷だった。そしてその時点で一番成績が良い候補生が私だったため船務長から艦長代理を拝命し、無事な砲塔に指示を飛ばしつつ操舵球を握ったんだ」


「なるほど……すごいですね」


「まあこれでも卒業席次は第五席なんだがな」


「それで首席の人って……」


「ああ、今のところ中尉だな」


「ええ……」


「まあ世の中そんなもんだ、勉強と実戦は違うんだよ。ところで睡眠薬は……」


「ふぁい、ひいて……」


「効いてきたようだな。じゃあおやすみ」


 鹿波のろれつが回らなくなってきたのを確認した私は目を閉じ、そっと意識を眠りの狭間へと落とした。

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