茜色した思い出へ

夢月七海

1.茜色した思い出へ


 おや、そこのお坊ちゃん、お嬢ちゃん。

 ええ、あなた方のことですよ。頬に傷のある坊ちゃんに、三つ編みのお嬢ちゃん。


 始めて見る顔ですね。冒険者ですか?

 ああ、そうですか、駆け出しで。まだまだ慣れませんでしょう?


 私のことですか? 私は、この勇者様の家を守る、ガーゴイルでございます。

 はい、こちらが勇者様の家です。非常に立派でございましょう?


 まあ、確かに、白い屋根は非常に目立ちますね。

 すみません、つい先ほどまで、この家の屋根が白色だということを、失念しておりました。


 実は私、魔力を温存するために、見るものすべてが青色になるように調整されているのです。約百年前に行われた調整ですが、未だに慣れることが出来ず、つい忘れてしまいます。

 私の目で見たものは、現在のものは青く、記憶された景色は段々と赤色へ移っていきます。例えば、一年前の記憶は、紫色に染まっています。


 ですから、勇者様と過ごした日々の思い出は、それはそれは美しい茜色をしております。

 お二方、お時間はありますか? 勇者様のお話をしてもよろしいでしょうか?


 ありがとうございます。では、茜色の思い出へ……。






   ∞






 私は千年ほど昔に、ステラティト王国の城を守るガーゴイルとして作られました。とは言っても、その当時のことを全く覚えていません。

 生物のように、私には「忘れる」という機能はありません。しかし、記憶は全て、消されてしまいました。――突然現れた、魔王によって。


 空間に巨大な穴が開き、魔界からモンスターを引きつれた魔王が侵攻してきたのは、今から百年前のことでした。あっという間に王国は乗っ取られ、魔王は、私の守っていた城を、この世界を征服する拠点としました。

 いやはや、非常に情けない話ですが、私は負けてしまいました。私の尻尾が欠けておりましょう? これは、魔王と戦ったことによる負傷なのです。


 そして私は、魔王によって記憶が消去され、魔力温存のための調整がなされ、さらに操りの魔法を掛けられて、魔王城を守らされたのです。

 多くの人間が、魔王を斃そうと現れました。彼らを、私はすべて手に掛けました。……人間で例えると、起きながらに見る悪夢のようでした。


 その頃、とある小さな村が、魔王軍によって滅ぼされました。唯一生き残った少年は、魔王への復讐を誓い、ひたすらに剣の鍛錬を続けていました。

 その少年は、神に認められ、聖剣を賜りました。そうです、その少年こそが、勇者様なのです。


 勇者様は、下級モンスターなら、触れただけで消滅させられる聖剣と、強さも正義感も申し分のない仲間たちと共に、破竹の勢いで魔王軍を撃破していきました。

 とうとう、勇者様の一行は、魔王城に辿り着きました。操られた私は、何も考えずに勇者様に襲い掛かりましたが、内心では、このまま打ち壊されても良いと感じていました。……しかし、勇者様は、私に硬直の魔法をかけただけで、そのまま魔王城へと入っていきました。


 半日以上の戦いによって、勇者様は魔王を打ち倒しました。同時に、私に掛けられていた操りの魔法も解けました。私はすぐに自分の恐ろしい行為に気付き、深く後悔しました。

 私は、魔王城から出てきた勇者様に頭を下げ、自分を打ち壊してもらうようにと頼み込みました。しかし、勇者様はそれをせずに、私に別の償いの形を提案しました。それは、故郷を失った勇者様を、育ててくれた家を守ることでした。


 そうして、私は、勇者様の家のガーゴイルになりました。主人である勇者様が私に下した命令は一つだけ。決して生き物の命を奪ってはいけないでした。

 この家で暮らしていたのは、勇者様の父と同期の騎士である男性とその妻と一人娘でした。後に勇者様は、その娘と結婚しました。


 魔王を打ち倒した後も、勇者様の役目が終わったわけではありません。勇者様と仲間たちは、魔王が現れた穴を見つけ出し、そこを封印しました。

 次に、勇者様は冒険者の地位を上げるために、冒険省を立ち上げ、初代の大臣になりました。勇者様は、魔石を正当な価格で買い取る交換所を作り、別地方同士のギルドの交流を推進し、冒険者見習いへの指導にも力を入れていきました。


 こうして勇者様は、皆に尊敬され、愛されながら、新しい人生を歩んでいました。この町と王都との行き来で忙しい毎日でしたが、ここを訪ねてくる方は数多く、その全てに勇者様は対応しておりました。

 実生活の方も、良いことがありました。お子様が生まれたのです。勇者様の腕に抱かれた息子の姿を見た時の嬉しさは、とても言葉に出来るものではありません。


 私は、勇者様が与えてくれたこの役割が、誇らしくて誇らしくてたまりませんでした。

 魔王が斃された時に、打ち壊されていれば、このような幸福を得ることが出来ませんでしたから。


 当然、私は勇者様よりも、長く存在します。

 しかし、勇者様の一族を、この先も延々と見守り続けていくのだと、私は胸に固く誓いました。






   ∞






 ……あの日は、そうです、雨が降った日でした。

 私は、雨くらい平気ですが、道行く人間たちは皆、傘を差して、顔を顰めて、歩いていました。


 勇者様は、仕事へ、出かけていました。家の中には、奥様と、赤ん坊だった息子のレレス様が、いました。

 そこへ、来客がありました。……勇者様の、元の仲間だった、魔導士でした。傘を差した彼は、以前会った時よりも、みすぼらしい服を着て、髭も髪も、伸び放題の状態でした。


 魔導士に、勇者様はいるかと、聞かれました。私は、もう少しで帰ってきますと、答えました。

 家の中で、待ちませんかと、私は提案しました。しかし、魔導士は、それを断りました。


 しばらくして、勇者様が、帰ってきました。

 門の前の魔導士に気付くと、驚きと喜びが、一緒くたになった顔で、近付いてきました。魔導士も、勇者様に、歩み寄ります。


 勇者様と魔導士は、傘と傘とが、ぶつかり合うほどの距離で、立っていました。


「久しぶり」


 勇者様は、満面の笑みで、魔導士に握手を求めました。


 ああ、勇者様は、笑っていました。何にも疑わない顔で。かつての仲間を、見つめていました。


 魔導士が傘を落としたのと、勇者様の胸元から、鮮血が飛び出るのは、同時でした。

 ……勇者様は、膝から崩れ落ちながら、信じられないという表情で、魔導士を見上げていました。その心臓には、短剣が、深々と……。


 ああ、血が、流れていきます。茜色の思い出の中でなお赤く、この雨よりも熱い血が。

 地面に、血が落ちます。茜色の地面に、さらに、真っ赤な、真っ赤な血が――。


 私は、屋根から跳び下りました。全身を、魔導士にぶつけて、その体を抑え込み、ああ、ああ、今すぐ、その喉元を、噛み切ってしまいたい。切り裂いてしまいたい。

 しかし、しかし、それは、出来ません。「命を奪わない」そう命じたのは、他ならぬ、勇者様です。目の前にいるのが、勇者様の仇でも、私は、それなのに、私は―――


 目の前が、黒一色に――まるで、太陽が落ちた、世界のように――






  






 







































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