五月十三日 多摩・所沢の特別区にて

 武蔵野台地の微高地、多摩や所沢、狭山を省いた武蔵野を定義する書籍は無い。言うなればここは本武蔵野である。沈水した旧都の諸施設が避難したため、かつては23つに区切られた首都中央とは異なる扱いを受けていた多摩地域や埼玉南西部も、「沈まぬ都」として香港やシンガポールに代わりアジアに名高い港湾都市の一部となった。

 海進期に北に深く抉れた多摩川沿いには超堤防が設けられている。緊急事態以外は散歩道になっている人工の土手は市民の憩いの場となっている。湾岸に集う裕福な住民も、河川の増水によって被害を受けうる場所に、建造物は設けない。運動場や河岸道路が広く設けられており、伸びやかな生活空間が広がっている。

 ここには21世紀頃の武蔵野の俤が見て取れると近代史専攻の知人は語るが、いずれも前世紀中頃の開発による、人工的な演出である。植樹も旧来の景観を意識して行われていると標榜する向きもあるが、いずれも害虫が寄り付かないよう遺伝子改良された新種に近い樹木である。名前はどれも開発記号で、何の近縁種であるかを調べなければ素人には表現できない。

 新緑の木陰に休む一時は 羽虫も寄らぬ人の縄張り


 同日 新武蔵野タワー展望回廊より北部武蔵野を眺望して

 飯能から折り返すように伸びていた秩父路の軌道は直線的に作り変えられ、走る車両も段階的に高速化されてきた。山間を縫うように奥秩父まで伸びたこの線路が、今では幹線の一つとなり、拡大して合体した住宅街を繋ぐ重要な輸送路としての役割を果たす。

 温暖化により、荒川が氾濫するレベルの水害が頻発したため、一部住宅街は後退を余儀なくされたが、莫大な政府支出によって河岸工事が施されてからは、河川と余裕を持って共生できる街となった。

 しかし、自然な浸食と堆積によって変形することはなくなり、大地の形は固定化されたとも言える。それが自然と共存することなのか、或いは自然を制圧することなのかは判断しかねる。

 荒ぶれば怒龍の如き夏の川 堤の狭間に勢いは無し

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