第3話 あの夏。君に出会って、俺は

 しばらく2人で道を探し歩き回ったが、どの方角に歩けばいいのか見当もつかなかった。

 日が暮れ始め、俺たちは空っぽの腹を抱えて大きな木の根元へと腰掛けた。


 俺が持っていたペットボトルのドリンクを2人で少しずつ回し飲む。


 祖父母が激怒し自分を激しく罵る姿を想像して、俺は肩を落とした。

 どれだけ努力しても、俺の心はあの人たちに届くことはない。

 その上、こんなことをしてしまえば、今後どのような態度をとられることになるかは、容易に想像できた。


 俺がうつむいていると、彼が身体をぴったり寄せてきた。 

 

 「虫かごも、網も、どこに置いたか忘れちゃったしさ。帰ったら超怒られるだろうし。俺、今実はすっごく泣きたいとこ。」

 「虫かごと網は今はいいだろ。だいたいお前、さっきはついててくれたんじゃなくて、迷子でどこにも行けなかっただけだろ?実は。」

 「それ、言ったらダメなやつだ。」

 「プッ・・・・ははははっ」


 彼の情けない告白に、暗がりの中で俺は思わず笑い声をあげていた。

 こんな風に笑ったことは、俺の記憶にはなかった。

 彼はそんな俺の目の前に顔を寄せてきた。

 

 「残念。損した。暗くて見えないや。」

 「今度はなんだよ。」

 「笑った顔、見ようと思ったんだけど?」


 彼の言葉に、俺はあきれて笑った。

 なんだか妙に胸の奥がくすぐったい。

 こんな感情を俺は知らなかった。


 「ばーか。」


 そう言って、目の前の彼の身体に触れた俺は、その冷たさに驚いた。


 真夏とはいえ、夜の森はかなり冷えていたのだ。

 俺は道着を着ていたし、防具もつけたままだったから、寒さを感じていなかっただけで。


 「お前・・・・・。」

 「へへへ。ばれた?じつは、めちゃくちゃ寒い。」


 よく聞けば、彼の言葉は寒さで小さく震え、歯がカチカチ音を立て始めていた。


 俺は無言で、つけたままだった防具を外した。

 そのまま彼の身体を包み込むように覆いかぶさる。


 「おーい。」

 「黙って。・・・布団代わりになってやる。我慢しろ。」


 なんだかよくわからない動悸を感じながら、俺は強く彼を抱きしめた。

 彼は本当に布団でもかけるように俺を引き上げ、背中に腕を回してポンポン叩いた。


 「はははっ。あったかーい。超うれしい。世界一幸せ!」

 「本当にバカだな。お前。」

 

 目を閉じると、彼と俺の心臓の音だけが、静かな闇の中、重なって響いてくる・・・。


 俺はこんな状況なのに、いつの間にか眠ってしまっていた。

 暗闇は、俺にとって怖い物でしかないと思っていたのに、彼の腕の中で、それは安らぎを与えてくれていた。


 夜が明け、再び歩き出した俺たちは、ようやく道路に出ることができた。

 通りがかった車に通報してもらい、俺たちは迎えに来た警察の車に乗って捜索隊のたてられた場所へ連れていかれた。


 車から降りると、彼は迎えに来ていた家族の姿を見つけ、駆け寄った。

 恐らく彼が話していた兄だろう。

 中学生くらいの青年が、駆け寄った彼の頭に思い切り鉄拳を落としている。

 声を上げ泣きじゃくる彼の姿が、俺の目に切なく映った。


 俺は、暗い気持ちで、祖父母と先生の待っている場所へ近づいた。

 祖父が手を振り上げた。


 殴られる・・・・・。


 身構え目をつぶった俺は、ふいに訪れた温もりに、何が起きたか分からず目を開いた。

 殴るために振り上げられたはずのその手は、俺の背中を痛いほど強く抱きしめていた。

 傍らでは、祖母が泣き崩れている。


 祖父母の謝る声が俺の耳に響いた。


 俺はあふれる涙を止めることができず、何度も何度も謝りながら、しがみつくようにして祖父を抱きしめた。

 ふいに隣を見ると、先生が大急ぎで涙をぬぐい、両手を開いて肩をすくめてきた。


 先生・・・・・泣いているの、見えましたよ。


 そう思って見つめると、先生は驚いた表情で固まってしまった。

 その時俺は初めて、自分が笑顔でいることに気づいた。

 先生はそんな俺に向かって、号泣しながら微笑みを返してきた。

 

************


 俺と彼は、別々の救急車に乗って病院へ行くことになった。

 祖父から解放された俺に、今度は祖母が寄り添って離れようとしない。


 俺は彼に見られているのが恥ずかしくて、困ったように笑った。

 彼は嬉しそうに笑い返しながら、手を振り駆け寄ってきた。


 「やっと見れた。笑ってる顔・・・・・。俺、好きだよ。いつも笑ってろよ、そうやってさ。」


 それが彼との最後の会話だった。

 彼は俺を、深い森と色のない世界から連れ出してくれたのだ。

 


*************

 あの時の彼が君なのだと知った時。

 俺が、一体どれほど驚いたかは、きっと君には伝わらない。

 忘れっぽい君は、俺の事を覚えてはいないだろうから・・・・・・。


 大人になった君は、忍び寄る死の影に色を失い震えていた俺を、再び鮮やかな世界へと救い出してくれた。


 君の傍らで、俺は涙がでるくらい、いつだって幸せだった。


 ・・・・・俺の命がわずかなことを、君はまだ知らない。


 君は怒るだろうか・・・・・君を残して逝く俺を。


 俺はずるいよ。

 君を残して逝くことしかできないくせに、狂いそうなほど強く願っているんだ。


 君を離したくないと。

 誰にも渡したくないと。


 声も。

 眼差まなざしも。

 温もりも。

 未来も。


 君の全てを・・・・・。


 ねぇ・・・忘れないで。

 お願いだから・・・覚えていて。

 君と離れるのは、いつだって怖くて仕方がないんだ。


 こんなにも、君と一緒に生きていたくて仕方がないのに・・・・・俺にはそれが許されなかった。


 どんな形でも構わない。

 君の中に、俺の欠片が残るなら。


 君と出会ったあの日から、途切れることなく俺の心をわずらい続けているこの想いを込めて・・・・・。


 卑怯な俺は、初めて書くこの手紙に、君へののろいの言葉をつづる。



 『あの夏。君に出会って、俺は初めて恋をしたんだ。』

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