第二話 血を吸う二人目

 クラスの盛り上がりが無に帰った瞬間を咲良は逃さなかった。柊真の手をギュッと握り、とてつもないスピードで教室を飛び出すと、人気のない空き教室へと走っていったのだ。



◇ ◇ ◇



 空き教室の扉をガラッと開き、柊真の背中を強く押して中に入れる。咲良はうつむきながら扉を閉める。


「ご、ごめんなさい!」


「え…?」


 柊真はとてつもないショックを受ける。告白後の『ごめんなさい』という言葉はとてつもなく重い言葉である。一般論として、この言葉は「あなたとは付き合えない」ということ。一度イエスと言われたとはいえ、それを否定することに等しいこの言葉は想像を遥かに超えるストレスを柊真に与える。


「ははは……そりゃそうだよな……ははは……あんな大勢いるところでははは……告白したら……ははははは……」


「あ、えっと、違うの!」


 柊真は、「違う」という言葉と、咲良の青い瞳から放たれる柔らかい眼差しで多少救われた。


「あの、告白はOKなの。安心して?」


 柊真は目を見開き、心の中で良かった!フラれてなかった!と安堵する。咲良はそんな柊真を見て微笑みながら続ける。


「ただ、私なんかを好きになって、本当に大丈夫かな、と思って…」


「いやいや、長良さんは凄く美人だし、才能もあるし、男なら誰でも好きになるって」


「でも私、男の人と付き合ったことないし…私自体は男の人とあまり話さないし…」


 咲良はうつむきながら伝える。肩にかからないくらいの短めの髪がゆらりと揺れる。彼女には、なにか大切なことを伝えようとしている雰囲気があった。


 柊真はその様子を見て思考する。何か言い難い事情があるのだろうか?家がとんでもなく貧乏とか?いや、もっと重いことかもしれない。


 咲良が顔を上げ、先程とは少し違う声色で言い放つ。


「あ、あのね、私、吸血鬼と人間のハーフと、悪魔と宇宙人のハーフの間に生まれた混血で、しかも四重人格なの!」


 ――吸血鬼。悪魔。宇宙人。四重人格。たった十秒の言の葉は非現実的な言葉を四つも含んでいた。柊真は当然困惑する。


「え、えっと……さ、まあ四重人格ってのは分からなくはないよ……?多重人格とか、あるし……ね?だけど吸血鬼とか悪魔とか宇宙人ってのは嘘…でしょ流石に……?いやほんとにどういうこと?」


 吸血鬼とかなんとか言われてもそう簡単に信用出来るはずがない。第一、吸血鬼も悪魔も宇宙人も空想上の生き物のはずだ。高校生にもなってそんなものを自称する人間なんていないだろう。いて欲しくない。


「あの、だから、ちょっと大変かもだけど、本当に付き合う?」


「あー…うん!もちろんだよ。好きになったのも、告白したのものはこっちだし」


 実はちょっと痛々しい子だったのかもしれないと柊真は思う。しかし、それもギャップだ。あんなにも完璧な人間がこんな一面を持っているなんていうギャップが可愛い。それに、一度告白をしてしまったからにはもう引けない。人前だったし。


「良かった!これからもよろしくね!えっと、大井くん…?」


 咲良の青色の瞳が輝く。柊真はそれを見つめる。


「あ、柊真って呼んで欲しいな。大井ってちょっと言いづらいでしょ?」


「う、うん!柊真……くん……!じゃあ私も咲良って呼んで欲しいな!」


 恋愛経験ほぼゼロの柊真は、初日にしてカップルらしいことが出来て満足していた。


「あ、あのね、ちなみに人格ごとに種族も変わるからね!」


「へぇ、そうなんだ」


 柊真は咲良の非現実的な要素をあまり本気にせず、最低限の相槌をうつ。


「だから、人格によっては特別な力が使えたりするの。それでも大丈夫―――とかどうとか関係なくアンタとは付き合いたくないわ!」


 突然咲良がふらっとしたかと思えば、瞬間的に彼女の口調と瞳の色が変わる。口調はともかく、瞳の色が突然変わるという普通ならありえない現象が起き、柊真は驚愕する。


「あたしは長良咲良の吸血鬼人格。申し訳ないけど、あたしはアンタと付き合うのはイヤ。絶対にね」


 赤色の瞳をした少女は、青い瞳の時とは裏腹に柊真と付き合うことを拒絶した。


「アンタ、吸血鬼と付き合う覚悟はあるの?吸血鬼よ?血を吸って生きていく生物なのよ?」


「いや、血を吸うって言ったって血には嘔吐作用があるから飲めないと思うよ?」


 柊真は科学的な要素を用いて真面目に返す。少女は鋭い眼差しで柊真を睨む。


「はぁぁ?あたしホントに吸血鬼なんですけど?そんなに疑うなら吸ってあげるけどいいかしら!?」


「ああいいよ!……ってダメだ!やっぱりダメ!痛いのはイヤだ!」


 少年は雰囲気に流され血を吸われることを一度承諾してしまう。その後の否定も遅く、少女は口を大きく開き、


カプっ


 と柊真の首筋に発達した犬歯を突き立てる。

 柊真は反射的に「イタッ」と呟く。しかし、実際は違った。痛くないのだ。あるのは痛みではなく温もりと血を吸われる感覚。それに、どちらかと言えば痛みとは反対に爽快感のような……よく分からない感覚がある。


「ぷはっ……意外と美味しい……?かも?しれないけど修学旅行の準備ぐらいでしか会話したことない人と付き合うなんてイヤよ!あたしは認めないわ!」


「……ホントに吸った……信じられん……」


 面をくらった柊真は歯を突き立てられた首筋を触る。止血しなくては…と思ったが、既に血は止まっており、なんなら治り始めていた。


「え、もうこんな治ってる…?どういうことだ……?なんだこれ……」


「あら、ビックリしてるみたいね。吸血鬼の歯からは様々な成分が放出されるって知ってる?痛みを無くす麻酔成分と、殺菌成分、吸い終わりには止血成分が出てくるのよ!」


「随分と便利な機能だな。というか勝手に吸うなよ!」


「はぁ?アンタ一回『いいよ』って言ったじゃない!?というかアタシをイライラさせるのが悪いんでしょ!?」


 柊真は吸血鬼の理不尽な対応に少し腹を立てる。そこで、ホワイトボードマーカーを取りだし、吸血鬼の弱点と言われる十字架を白板に描いてみる。


「なによそれ?」


「あれ、あんまり効いてない?吸血鬼の弱点の十字架なんだけど」


「それ、たぶんキリスト教徒の吸血鬼にしか効かないわよ?アタシ、日本生まれだし」


「え、じゃあニンニクが嫌いって言うのは?」


「鼻がいいから強い匂いが嫌いなだけよ」


「鏡に映らないって言うのは?」


「物理的にありえないでしょ」


「日光で消滅するって言うのは?」


「それが本当だったら生まれて一ヶ月で消滅するわよ」


「コウモリとかに変身できる?」


「おばあちゃんもお父さんもやってるところ見た事ないわ。アタシも出来ないし」


「入ったことの無い家に入れないって言うのは?」


「勝手に入ったら住居侵入罪でアウトでしょ!」


「銀の武器に弱かったり心臓に杭を打ったら死ぬって言うのは?」


「多分それ吸血鬼とか関係なく死ぬわよ」


 ……柊真と吸血鬼はくだらない問答を繰り返す。しかし、目の前の少女は(本人は拒絶しているが)一応彼女。パートナーに弱点があるのだったらそれを保護してやるのが彼氏の役目だと考える柊真にとって、この会話は重要なものなのだ。


「じゃあさ、不老不死っていうのは?」


「……どうなんでしょうね。アタシのおばあちゃんは今も三十歳くらいの見た目だから老いにくいって言うのは多分ホント。だけど不死身では無いと思うわ。アタシに関しては人間の血も入ってるし」


 吸血鬼は外を見ながら答える。そのあと柊真の方を向き、首を傾けながら話す。


「アンタ、契約ってわかる?」


「……約束事、とか?」


「言葉の意味を聞いたわけじゃないけど――まあ、あながち間違いじゃないかも。吸血鬼には、結婚という制度ができる前から人間と一生を添い遂げることを約束する『契約』っていうシステムがあるの。これは吸血鬼にとってチョー重要なこと。これを結んじゃったら互いに大変なことになるわ」


 吸血鬼は赤い目を鋭くする。柊真はその様子に少しおののく。


「……なんだよ大変なことって」


「吸血鬼が死ぬまで、契約者の人間は死ねなくなるの。しかも、取消しはできない」


 二人の間に五秒ほどの静寂が訪れる。まずはそれを柊真が破る。


「……じゃあさ、結ばないで付き合えばいいんじゃない?そんくらいならいいっしょ?」


「残念だけどそれは出来ないわ。普通の吸血鬼ならできるんだけど、アタシは特殊だからできない。なんでかはおいおい分かってくる」


 吸血鬼は前髪をかきあげ、また鋭い眼差しで言った。


「だからアタシは付き合いたくない。アンタが本当の運命の人がどうかはまだ分からないもの。それに、アタシとアンタの関係はまだただのクラスメイト。大して関わりのないアンタに怪物モンスターの運命を背負わせるわけには行かないわよ」


 柊真は何も言えずに床の木目を見る。女心など分からない柊真に少女の運命を背負える自信はなかった。


「ほら、予鈴鳴るわよ。早く帰んないと遅刻しちゃう」


 ――吸血鬼の少女は上履きを履き直し、教室からゆっくりと去った。

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