変わったのは君だよ――派生短編――

「小さくまとまってるね」


 そんな容赦ない切り捨て。


「大人って、いうほど大したことないわね」


 まさか、この俺がこんなことを。


「拍子抜けしちゃった」


 しかも、相手は――。


 時は遡り――あの子と出会ったのは店長としてこの店に赴任した時のことだった。

 俺こと、堂千 満どうせん みつるは三十五歳の若さでモリモリフーズの店長に抜擢された。同期の誰よりも早く出世を果たすことになったモチベーションの源泉は、やはりこれが一番大きい。


 初めての子供が産まれたのだ。


 その手は小さく、頭なんてまるでミカンのようで、手のひらにきれいに納まるぐらいに。こんな俺にも守らなければならない存在が出来た。一昔前なら考えもしなかった。

 高校生の頃はお世辞にも真面目とは程遠かった。


「おい、堂千! ヨンコ―(飯野第四高校)にカチコミいくぞ!」

「まあ、待てよ。ちょっと行ってくるわ」


 今じゃ考えられないが、こんな馬鹿みたいな狂騒に明け暮れていた。当時の俺はSKUという暴走族に所属していた。


『死すら恐れぬ、狂い咲き、うるせえ上等!』

 

 笑ってしまうようなネーミングの頭文字をとってSKU。そこの特攻隊長を務めていたのが、かくいう俺だ。ここに所属した理由なんて、よくあることが切っ掛け。いかつい顔して仲間を引き連れていた二つ上の先輩がカッコよく見えた。ただそれだけ。思春期の気の迷いと同じだ。


 入隊してすぐに腕っぷしの強さを買われて、あれよあれよいう間に特攻隊長にまでのし上がった。だが、俺は人と争うことが好きじゃなかった。降りかかる火の粉は払うが、理由もない暴力は反対だった。そのため、やることと言えば他の隊といざこざがあった時のみ、無益な争いを止めるように交渉するだけ。まあ、恫喝に近かったけどな。


 人よりカッコつけたい、そんな下らない理由だけで、むやみやたらに人より上に立とうとするが、そんなものに果たして何の価値があるのか。

 そんな俺の考えに同調する奴もいれば、そうじゃない奴もいた。


 自然とこの隊に所属するのが馬鹿馬鹿しくなり、一年後に足を洗った。


 そんな俺を待っていたのが、周囲からの冷たい視線だ。風貌、腕力、看板、それしか取り柄のない今の己に何があるのか。ただの無学な小さな人間。それが答えだ。

 同級生が大学や就職へと進路を決めるなか、ひとり取り残された俺は、何の準備もあてもなく卒業を迎えた。やることもなく、働きもせず、昔の仲間とだらだらするだけ。当然、親からも見放され、このままではマズイと必然的に就職を選ぶことになった。


 だが——。社会はそんなに優しくない。

 

「君は我が社に何が貢献できますか?」


 当たり前のことだが、タダ飯喰らいには職はない。利益集団である企業は腕っぷしなど何の評価にもならない。

 何十社も落ち続け、拾ってくれたのがモリモリフーズ。今の社長が同じ高校出身であったというのが理由。威勢が良く、体力だけはありそうだから加食担当に向いてるとのことだ。

 毎日、毎日、怒られる日々が続き、すっかり自信を無くすとともに、ようやく自分はスタートラインに立ったと実感を得るようになった。人と争うのではなく、自分と争う、それこそが本当の価値だ。


 だが、それも本当の正解ではないと思えた。

 

 今の嫁とは同じ職場で出会い、そのまま関係を深めて結婚をすることになった。まあ、早い話が『出来た』わけだ。向こうが俺に惚れたんだけどな。


 生まれて初めて拝む我が子にイチコロになったわけだ。


 こうして、息子のためにがむしゃらに働き続けて、出世競争に明け暮れ、同期の誰よりも早く店長へと昇格した。目指す目標も見えてきた。お次は全ブロックを統括するMD長だ。そして、その次は――。

 まずは、この店を地域一番店にしなくては。

 この俺が、全店№1に押し上げてみせる。


 だが――


 この意気込みが仇となった。

 売上目標の達成を厳しく部下に追及しすぎた結果、お店を辞める者が続出してしまった。


「もう、ついていけません」


 加食主任の最後のセリフがこれだった。

 情けないやつだ。仕事を何だと思ってるんだ。自宅に帰るなり、嫁にそう吐き捨てる。

 そんな俺に呆れた様子で「はいはい」といなす嫁。

 なんだよ。俺が悪いのかよ。ビールでも飲んでその日は就寝した。

 

 翌日から、エンドと呼ばれる商品棚の先端にある通路上に突き出た売り出しコーナーの陳列を兼務することになった。

 こんなの入社した当時から何度もやってきたし、楽勝だ。さっさっさと慣れた手付きで特売品のカレーを並べる。我ながら良い出来だ。今まで加食主任に任せていたが、たまにはこうして汗を流すのも悪くない。俺は、何でも出来るからな。


 と――思っていたのだが。


「ずいぶんしょぼい売り場ね」


 誰だと周囲を見回すと、声の主は予想以上に近くにいた。それも、俺の胸より少し低いぐらいの高さに。


 *


「これ、おじさんが並べたの?」


 それは一人の女の子だった。小学四、五年だろうか。子供のわりに、大人を睨むような小さな黒目が特徴的だった。


「ああ。今日はカレーがお買い得だよ」

「ふーん」と口を尖らせると、「小さくまとまったなって感じ」


 そう言い残すと、走ってどこかへ去っていった。

 小さくまとまっている、だと。この俺が――。


 その子は決まって、一番目立つメインエンドの陳列が切り替わる頃に現れた。そして、毎回文句を言ってくる。


「全然大したことない」

「なんだか、がっかり」

「インパクトない。こんなんじゃ売れない」

「大人って、いうほど大したことないよね」


 これでも結構頑張って陳列しているつもりだが、女の子のご満足頂けるエンドではないらしい。汗水垂らして陳列しても、毎回ダメだしされると流石に落ち込む。

 追い打ちとばかり、決まって最後に吐くセリフが。


「前の方がよかった」


 これがトドメ。

 俺は何もわかっていなかった。退職させてしまった加食主任の仕事内容を上っ面の数字だけしか見ていなかったのだ。トロいところがあったにせよ、常にお客様の目線に合わせて、クロスMDを駆使した売り場を構成。飽きのこない店頭演出という、顧客満足度を向上させていたのだ。


 仕事を何だと思ってるんだ。


 それは、そっくりそのまま己に浴びせられるのが相応しい。

 いつからか俺は自分と争うことを忘れて、出世という人と争うことしか考えなくなっていた。部下の信頼を勝ち取るという最も重要な部分すら疎かにしていた。


 その夜。

 閉店間際の店内を巡回していると、その子がまだ店内に残っていた。

 そういえば、あの子はいつも一人だ。あのぐらいの年齢ならば、近くに親がいても良さそうだが。店内を見渡しても、彼女の両親らしき人影は見えない。

 はぐれたのか。


「おねえちゃん、お母さんはもう帰っちゃったのかな?」

「……」


 彼女は無言だ。仏頂面で目を逸らす。


「もうすぐ閉店だし、お母さんも心配するから早くお帰り」

「……別に心配してないよ」


 冷たく返された。もしかして、この子は……。


「家に誰もいないのかい?」


 どうやら、父親は遅くまで働いており、母親に至っては誰かと遊んでいて留守にしているそうだ。

 この子が決まって一人でお店にきていた理由。


 それは――両親の不仲による鍵っ子だったのだ。


 閉店を迎えて、全ての従業員が退店したあと、父親が家に帰ってくるまでお店の事務室で預かることにした。

 ジュースでもご馳走するかと搬出口に設置された自動販売機に向かい、オレンジジュースを買って戻ると、女の子の姿が見えない。


 どこだ。いなくなったらえらいことだ。


 落ち着け。まずは店内を確かめるぞ。

 バックヤードから勢いよく店内に飛び込み、走り回る。誰もいない店内でも、小さな子供は見つけにくい。くまなく探さねば――といったことはなく、すぐに小さな姿を発見できた。

 女の子はメインエンドの前にいた。


「売り出しが好きなのかい?」

「……別に」

「おじさんの売り場は大したことない?」

「うん、全然ダメ」


 わかっていたけど、大人顔負けの切り捨て。この子、容赦ねーわ。


「大人のくせに、全然大したことないね」


 言葉の端々から「大人」への攻撃的な態度が見て取れる。恐らく、この子は両親の不仲を見て育っているから、大人に対して良い印象はないんだろう。

 俺は思い切って提案してみた。


「お父さんやお母さんに、仲良くしてって言ってみたらどうだい」

「……なんで」

「だって、仲良くして欲しいんだよね」

「……」

「じゃあ、言わなくちゃ。何も始まらないぞ」

「……別に言っても変わらないよ」

 この一言に少しおかしくなってしまう。

「なによ、笑って」

「いやいや、ごめんごめん。だって、おねえちゃんはおじさんにはガンガン言うじゃない。こう見えても、おじさんは皆から恐れられてるんだよ。ははは」

「別におじさんなんか怖くないよ」

「じゃあ、お父さんもお母さんも怖くないだろ」

「……お父さんは怖くないよ。仕事が遅いだけだもん」


 なんで、お母さんは嫌いになっちゃうんだろう。そう、ぽつりと漏らす。


 すると、どんどんと窓を叩く音が聞こえた。

 音の方向へ顔を向けると、ひとりのスーツ姿の男が心配そうな面持ちで、外から何かを叫んでいる。

「お父さん来たから、もう帰る」

 どうやら、お迎えがきたようだ。


 それから一週間後――。

 生まれ変わった気持ちでまず始めたことは、従業員への「笑顔」での挨拶だ。努めて明るく振舞う。が――効果は無かった。慣れない笑顔といかつい顔が絶望的なぐらい合わなく、むしろ気味悪がられた。

 それならば、せめて従業員の仕事ぶりを温かい目で見守ろうと視線を向ける。が――これも逆効果。かえって余計な緊張だけを生んでしまう。


 そんなつもりないんだけどな……。そんな怖いのか、俺って。

 俺の視線だけで、ドレッシングとか割ってしまう子が現れなきゃいいけど……。

 すっかり項垂れながらエンド作成に取り掛かると、


「今度は派手なやつ作ってよ」


 ずんずんと女の子がこちらに向かってきた。俺を恐れないのは、この子ぐらいなもんだ。この子が大人になっても、きっと俺を怖がらないんだろうな。

 女の子はこちらのすぐ前まで来ると、急に下を向く。

 なんだか、もじもじとしている。らしくない。

 どうしたのと声を掛けるより前に、絞り出すようにその子は口を開いた。


「言ったよ」


 一瞬、何がと混乱するがすぐに理解した。そうか、言えたのか。偉いじゃないか。


「でも、何にも変わらなかったよ」


 女の子は下唇を噛む。 


 なんだ。そんなの――。 


「おねえちゃん、そんなことないぞ。変わるのは、いつだって相手じゃなくて自分。君が強くなったってことだ」


 そうだよ。小さな一歩が、全てを変えるんだぞ。


 君も。俺も。


「そう言えば、おねえちゃんの名前聞いてなかったな。もしよかったら、おじさんに教えてくれないか。それ聞いとくと、なんかあった時に助かるからさ。閉店後もここにいてもいいし」

「……」


 まあ……。スーパーのおじさんなんかに名前は教えないか。

 ぽりぽりと頭を掻くと、


「……ル」

「ん? 何だって? 小さくてよく――」

「セイル。徳梅 聖流とくばい せいる

「とくばいセール?」はは、これは縁起がいいわ。「おねえちゃん、特売セールって楽しいぞ。お店で一番盛り上がるからな」

「なにそれ。私、からかわれるの好きじゃないの」

「い、いや、ごめんごめん。そんなつもりないから、怒らないでよ」

「別に怒ってない。ただ、もう下の名前で呼ばせないから」

「ご、ごめんよ」

「だめ。許してあげない」


 言葉とは裏腹に、その子はぎこちなくはにかんで見せた。


 おいおい。その可愛い笑顔。

 大人になったら、ファンクラブなんか出来ちゃうんじゃねえのか。


 ま、そん時は俺が第一号だな。



 了

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