第41話 MD長

 バザール開始まで残り一週間を切った。



 俺たちはバザールに向けて、着々と準備をすすめていた。角場店長は責任者として社内調整、目標達成の進捗管理。徳梅さんは発注やエンド全体のスケジュール管理。俺は店頭演出含めたPOP作成ともろもろの計画。ウリちゃんはそのアシスタント兼マスコットキャラクター兼ムードメーカー担当? 各々、役割は違えど目標はただひとつ。


 バザールの成功。


 それに付随する陳列コンクール一位、売り上げ目標達成、これだ。



 今日、その前準備の総仕上げとも言える、ある行事が実施される。



 角場店長は従業員一堂をバックヤードに集めて、こう言った。

「皆さん、今日の夕方にMD長が確認巡回にお越しになられます。くれぐれも粗相のないようにお願いします。裏ではきびきび動く、店内では笑顔ではきはき話す。改めてこちらの徹底をお願いします」


 モリモリフーズの全ブロックを統括する鬼のMD長が来店する。モリモリフーズではバザールなど大きなイベントを実施する前にクリアすべきプロセスが存在している。各店舗は、MD長からエンド計画や売り上げ目標必達プランの承認を得なければならない。MD長が指示した内容の乖離や、売り上げ見込みが甘いと判断された場合は即刻やり直し。何時間かかろうがイベント前までに再提出を求められる。その現場視察の名が『確認巡回』。通称キャラバンと呼ばれる。


 このキャラバン前になると、店長だけでなく、加食以外の担当者もぴりぴりしたムードになるようだ。総菜担当も、生鮮担当も、皆、肌身でMD長の恐ろしさを経験しているらしい。


 搬出口に設置された簡易喫煙スペースで、休憩がてら電子タバコをふかしている角場店長は、俺とウリちゃんに思わず本音を漏らした。


「胃が痛いねー。今回もMD長の計画書通りやってないからね」

「今回もってことは、毎回なんですか?」

「そう、毎回。だって徳梅さんのエンドには誰も口出しできないよ。でも、今回ばかりは悪い材料が揃っているからなあ。何度も再提出させられるかも……」


 社会人において数字というものは何よりも重く、逃げることが出来ない楔のような二文字。学生の俺にもプレッシャーが伝わってくる。俺に出来ることは店長も大変ですねと同情を寄せることと、何が何でもエンド計画を達成させることだ。


「売り上げ計画作るのに深夜までかかったよ」

 店長は苦笑し、自分の吐いた紫煙に包まれる。

「店長、大丈夫ですって、セイル先輩がなんとかしますから」ウリちゃん、渾身のガッツポーズ。「ねっ? 棚森先輩」

 とまあ、こんな感じでウリちゃんはムードメーカー担当をそつなくこなしている。肝心のPOPは仕上げの段階になっており、業者への発注依頼も含めて順調にすすんでいる。それに、秘策とも呼べる計画もなんとかなりそうだ。



 そうこうしている間に時刻は午後六時を指し、鬼のMD長がとうとうやってきた。



 黒く焼けた彫りの深い顔と恰幅のよい背格好。その容姿を拝んだのは初めてだったが、すぐに皆が恐れている理由がわかった。まず外見が恐ろしく、迫力は言うまでもない。それは見た目だけじゃなく、態度にも表れている。


 MD長はすれ違うお客さんへ「いらっしゃいませ」と笑顔で接するのに対して、従業員に対しては、きちんと仕事をしているか鋭い眼光を飛ばす。その緩急の激しさたるや染みついた職責が成せる業なのだろうか。


 商品補充をしていた俺のもとに、ウリちゃんがばたばたと近づいてきた。


「棚森先輩、あのMD長、わたしをめっちゃ睨んでました」

「どうして? ミスも無いし、ちゃんと仕事してたんでしょ」

「そうなんですが、あまりの怖さに品出ししていたドレッシングを落として割りそうになりました……」

「割らないでよかったね……」こんな時にクレームなんて出したらえらいことだ。

「わたしは嵐が過ぎ去るまで近づかないようにしてますので……」


 ウリちゃんはすっかり意気消沈。


 MD長は店内の様子を一巡した後、バックヤードへと移動していった。角場店長と打ち合わせをするためだ。俺もバザールのエンド計画が無事承認されるのか気が気でなく、商品の積み込みに合わせて後を追った。バックヤードでは、既にMD長が資料を片手に、角場店長と徳梅さんの二人を集めて何やら話し込んでいた。


「店の売り場は流石だな。角場かくばのところが一番いいわ。よく考えられている」

 徳梅さんのおかげですと、店長は彼女を褒める。

「いつもありがとう。やっぱり徳梅さんのエンドが一番だね」

 MD長は穏やかな口調でそう話しかけた。

 ありがとうございますと徳梅さんも笑顔で返す。


「でもね」ここからMD長の声色が変わった。MD長は店長から手渡された資料を睨む。



「モノがないのに梅ラーメンのフェース(スペース)広げるって、そりゃ無理だろ。西洋食品のカップラーメンが死んじゃうじゃねえか」



「それは、回転率を上げて品出し補充を徹底させれば、大丈夫です」店長が恐る恐る答える。


「何言ってんだよ、見込みが甘過ぎだろ。モノが大量にある西洋食品を狭いスペースに追いやって、売り逃すなんておかしいだろ。大体、メインって意味知ってるのか? 売れる商品だからメインになれるんだろ。ここで売り上げ稼いで、リコメンドで変化を付けて、次に繋げるんだろ。特注品をメインにして、売れなかったら終わりじゃねえか。それに、俺が指示した海苔わかめラーメンをリコメンドにも入れてねえじゃねえか。俺の指示を無視してんのか」


「はい、おっしゃる通りです……」


 素人目からしても旗色は悪い。成り行きを祈る気持ちで眺める。


「梅ラーメンは必ず売れるわ。ちゃんと理由があるの。確かに西洋食品のカップラーメンはメジャーだし、山積みされれば誰でも手に取るわ。でも、それは何もウチだけじゃくてもいい。メジャーとマンネリは表裏一体なのよ。マイナーかもしれないけど梅ラーメンは味も具材もしっかりしている。『ちょい贅沢』をキーワードに西洋食品との対比を出すことで大きなインパクトを与えられるわ。しかも西洋食品より単価も利益も上だから、それで一気に売りさばいて、空いたスペースに西洋食品を広げれば、売り上げ達成にも繋がるはずよ」

 ここで徳梅さんが力強く応戦する。



「おい、角場!」



「はい!」



「このエンド計画は、お前の指示か?」


「いえ、私……」

 徳梅さんを遮り、店長が声を張り上げる。



「はい、私の指示です! 梅ラーメンは絶対に売れます。徳梅さんに梅ラーメンを中心に、エンド計画を作成するようにお願いしました」



 店長……。ちょっとは余計ですが尊敬しました。さすが責任者です。



「はあ?」MD長のドスをきかせた声が響く。「どんな根拠があって、梅ラーメンが売れるって言ってんだよ。大体、売れないから定番にも入ってないし特注品なんだろ! 数字と実績が物語ってるんだよ。それに、販促物も何もないだろ。利益が高いからってたまたま採用されたみたいな商品だ。ちょんぼするような会社の梅ラーメンはただの引き立て役なんだよ!」



「引き立て役……っ!」



 MD長の一言に徳梅さんの声が怒りに震える。


 やばい。このままだと言った言わないの水掛け論になり、収拾がつかなくなることは火を見るより明らか。しかも悔しいのだが正論から言えばMD長の方が完全に上だ。


 やるしかない。俺は加勢をすべく、急いで事務室に向かい、ロッカーから十枚綴りのパワーポイントを取り出して、三人の前に駆け込んだ。



 開口一番、俺は叫ぶ。



「MD長! 梅ラーメンは必ず売れますっ!」


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