第22話 嘘

「徳梅さん、おつかれさまです」


 可憐な背中に声をかけると、彼女はゆっくりと振り返る。先ほどまでの険しい面持ちはどこへやら。何事もなかったように、にこりと笑顔を向けてくる。彼女との関係性は最初の頃に比べて随分変わった。初めて角場店長から紹介された時なんか、目つきも鋭くちょっと怖かったもんな。今も別の意味で緊張してるけど。


「どうしたの?」


 呆けた顔で見惚れる俺に、訝しんだ目を向ける。

「いやいや、なんでもないです」

 ふーんと、徳梅さんは心を覗き込むように目を細めた。


 その目。なんでも見透かしちゃうようなその目。常にセイル鑑定人によって良品、悪品か品定めされている感覚。自分は貴方からみてどちらに該当するのか不安になっちゃいますよ。


「色々勉強になりました。バザールの仕組みとか、売り出し品が決まっていく過程とか。正直、スーパーをそんな視点で考えたことなかったです。その……ここで働いて良かったなって。ただのバイトなんですが、仕事って楽しいなって思うようになりました」

「そう。よかったね。仕事に社員もバイトもないよ」

「それに、仕事が楽しいって思えた理由は、徳梅さんみたいな方と一緒に働いてるからです」


「そう? ウリちゃんみたいにヨイショしても、何にも出ないわよ」


「い、いえ、本心ですよ。なんていうか、俺、プロの仕事って好きなんです。テレビやyoutubuで職人の滑らかな手さばきを見るだけで、なんか気持ちくなるって言うか……」

「別に私は職人ってわけじゃないからね」

「い、いや、何も職人って伝統工芸やっている人たちだけじゃないですし、徳梅さんみたいな仕事のエキスパートも職人みたいなもんですよ。小売りや流通だけじゃなくて食品全般に詳しいし、商品の知識や評価も的確だし」

「なんか、そこまで言われると痒くなっちゃうわね」徳梅さんは物言いこそクールだが、少し恥ずかしそうに視線を逸らした。そんな彼女をもっと照れさせたくて畳み掛ける。

「梅ラーメンみたいな誰も知らない商品まで詳しいし、どうやって情報を仕入れて……」


「そうだね、梅ラーメンなんて知らないよね……」


 俺の発言を塗り消すように、ぽつりと漏らす。その言葉は小さく、誰に向けたものでもなかった。ここでふと思いつく。食品全般を熟知した、その知識は一朝一夕に得られたものじゃないはずだ。徳梅さんは――。


「――いつからここで働いているんですか?」


「そうね……」小首を傾げて空を見上げる。「六年ぐらいかな」

 思ったより長かった。

「もしかして、この店一番の古株ですか?」

 彼女は少し考えて、「言われてみたらそうかもね。店長より長いし。棚森くんに古株って言われるぐらい働いちゃってるかしら」


 正直、徳梅さんならどんな仕事でも出来ると思っている。責任感は強いし、リーダーシップもあるし、頭もいいし、なおかつ超がつくほど美人で、可愛いし。別にここじゃなくても大手コンサルや商社とか、無学な自分とは違って職なんて選びたい放題なのでは。だからこそ、なぜスーパーにここまで情熱を傾けているのかが分からなかった。彼女は……。



「さっきから、じっと私のこと見たり、色々聞いてるけど、どうして?」



 どうやら心の声が視線に表れてしまったようだ。あまりにじろじろと彼女を観察するもんだから、一歩引かれてしまった。


「あっ! また」徳梅さんは思い出したかのように胸元を隠す。


「い、いえ、見てませんから」そこまで意識しなくても……大丈夫です。


「じゃあ、なんでよ」

 会話の運びがヘタなのだが、彼女は彼女で毎回反則な気がする。俺の反応を確かめる、その口調とその目。しかも唇も少し半開きになっていて妙にいやらしいし。

「だ、だめですか?」

「別にだめじゃないけど、棚森くんって、よく私のこと見てるじゃない。なんか、さっきみたいにイヤらしい目して。私がエンド作ってる時も、定番チェックしてる時も」

 どきっ。イヤらしい目は誤解だが、案の定ばれていた。


「私の自意識過剰ってわけじゃないよね。結構、気付いてるんだけど」


「いや、なんていうか、その、徳梅さんがカッコいいんですよ」

「カッコいい? なんか、さっきから褒められてるのか、揶揄われてるのか、よくわからないわね」

 その一言に、さらにあたふたしてしまう。

「い、いえ、決して徳梅さんを揶揄うつもりはないです。その……、仕事に真剣に取り組んでる姿がカッコいいというか、様になっているというか。販促物の出来を確かめる時も、資料片手に在庫チェックする時も。俺、さっきも言ったんですが、プロの仕事を見るのが好きなんですっ」

 なんという間の抜けた自己フォロー。語彙力のなさが恨めしい。そんなんだから今まで彼女も出来なかったわけだと、そこだけは妙に納得してしまう。



「ふーん。そんなこと思ってるんだ」彼女は楽しそうに目を細める。「私のことよく見てるね」



「だって、そりゃあ……」

「そりゃあ?」

「あの……」俺は……。「興味があるんです」

「興味?」

「はい」もういいや、勢いだ。



「俺は徳梅さんに興味があるんです」



 さああっと二人の間に秋の風が通り抜ける。彼女の艶やかな黒髪を揺らし、俺の鼓動も早くなる。

 思わず言ってしまった。さすがにストレートすぎだろ。もう少し上手な言い回しはなかったのかよ。……結論、ない。全ての引き出しを開けてもトーク力の在庫はなかった。なんてこった。しかも仕事中に。こんな搬出口で。なんの脈絡もなく。唐突に。これってつまりKY――じゃないのか?


 予想通りの沈黙が流れる。もうだめだ。多分、ラインは知らぬ間にブロックされるかも。


 俺の絶望をよそに徳梅さんは「ぷぷっ」と口元を緩ませる。すぐに堪え切れず「あはは」とお腹を抱えて笑い出した。自分でも自覚している最悪で間抜けなシチュエーション。徳梅さんは目に涙を浮かべて、くの字になりながらなおも笑い続ける。どう足掻いてもカッコ悪いのだが、そんな小ばかにされまくるとこっちもムキになった。

 あなたが毎回毎回、心を覗き込むようにオウム返しするからですよ。


「何がおかしいんですか」

 俺の一言に彼女はぴたりと笑うのを止めた。

 目に浮かべた涙を人差し指でこすりながら、「ごめん、ごめん」と謝る。

 彼女は「ふうっ」と落ち着きを取り戻して、真っ直ぐな瞳を向けてきた。



「棚森くんって、面白いね」



「そ、そうですか」

「面白いよ。だって面と向かって、普通そんなこと言わないじゃない。ストレートに興味あるって言われたのは初めてかな」

「じゃあ、これからもストレートに訊きますよ。俺は徳梅さんに興味がありますから」

 ムキになって言い返した。自分でも顔が真っ赤になっているのがわかる。

 彼女はまたも「ぷぷっ」と笑いを堪える。

「そんなことも堂々と言われたのも初めてよ。やっぱり棚森くんって面白いね。しかもここ搬出口だよ」

 世間的に見れば、どう考えても彼女の方が格上だ。鈍感な俺でも分かるぐらいに、手のひらで遊ばれている感がびしびしと鞭となり伝わってくる。

「でも、俺は徳梅さんに訊きたいことがあるんです。だから訊いてもいいですか? てゆうか遠慮せず訊きますよ」

「いいよ。でもね、なんでもかんでも答えると思ったら大間違いだけどね」


 彼氏はいるんですか? 

 好きなタイプはなんですか? 

 休日は何してるんですか? 

 彼女の個人情報を色々と教えて欲しいのだが、多分笑ってはぐらかされて終わりだろうし、今、俺が一番訊きたいことがある。



「なんで、バザールのメインは西洋食品のカップラーメンじゃなくて、グローリー食品の梅ラーメンなんですか?」



 さっきまでの緩んだ顔がぴたりと止まった。


「何でだと思う?」


「梅ラーメンの方が売れるから? 旨いからですか?」

 徳梅さんはなんとも言えない曖昧な笑みを浮かべて無言を貫く。

「意地悪しないで教えてください」

 徳梅さんは目を閉じて暫し考え込んだ。そして、ゆっくりと艶っぽく光る唇をひらく。



「ないしょ」



「えっ」ずっこけそうになった。

「さっき、何でも訊けば答えると思ったら大間違いって言ったでしょ」

「ええ~」

「ええ~じゃないの。じゃあ、商品補充よろしくね」

 徳梅さんは笑いながら、搬出扉を開けてバックヤードに向かっていく。

 慌てて俺も追いかけて、その後ろ姿に投げかけた。



「もしかして、あの梅ラーメンに何か思い入れがあるんですか?」



 徳梅さんの足が一瞬ぴたりと止まる。



「別にないわよ」



 徳梅さんは振り返りもせず、透き通った声でそう言った。そして、再び歩き出し、店内に吸い込まれていく。



 直感的に分かったこと。



 それは――。



 徳梅さんは、嘘をついた。




 物語は折り返しの第四章へ――

 バザールを通じて二人の関係は進展し、それぞれが抱えてきた想いが動き出す。


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