第2話「おねーさまといっしょ」

 それは私の年齢がようやく二桁になった頃の話だ。


「おねーさま、おねーさま」


 そのときから、既にソフィーナは私の後ろにべったりとくっ付いていた。


「ごめんねソフィーナ。勉強が終わったら一緒に遊ぼうね」

「ぷぅ。わかりました……」


 ソフィーナは頬を膨らませつつも素直に聞き入れてくれた。

 待つついでとばかりに対面の椅子に座り、届かない足をぷらぷらと揺らしながら、私が書き記しているノートに視線を移す。

 面白くもなんともないだろうに、ペンが紡ぐ文字を興味深く観察していた。


「おねーさま。なんのために勉強しているの?」

「賢くなれるわ。それと将来、オズワルドの助けにもなる」

「……おねーさま、やっぱりケッコンしちゃうの?」


 婚約者――オズワルドの名前を出すと、ソフィーナは眉を寄せた。

 そして決まり文句のようにこう言い出す。


「あんな男、おねーさまには合いません。自分がいかに恵まれているかも分かっていない、ただのおバカさんです」

「こら。人のことを悪く言うものではないわ」


 額を、ちょん、と突いて窘める。

 まさかソフィーナの指摘がずばり的中していたとは、この時の私は夢にも思わなかった。


「おねーさま、私もべんきょーしたいです」

「ソフィーナにはまだ早いわよ」

「でも、一緒にやったほうがもっとずっとおねーさまといられます。そうだ、おとーさまにお願いしてきます」


 名案を閃いたとばかりに、ソフィーナはぱたぱたと部屋を飛び出した。



 そして翌日。

 ソフィーナは本当に勉強に参加し始めた。

 例え学力に合っていないものでも、学ぶ気があるなら学ばせる。

 苦労や挫折も経験となっていつか活きてくる。お父様はそういう考え方の持ち主だ。

 年齢が年齢だけに着いてこられるはずがない――そんな周囲の予想を、彼女は見事にはね除けた。


「すごいわ、ソフィーナ」


 頭を撫でると、私の可愛い妹は嬉しそうにじゃれついてきた。


「えへへ……これでおねーさまと一緒にいられます」



 それからもソフィーナは、私が新しいものを学ぶたびにそれを欲しがった。

 彼女は婚約者が決まっているでもなく、最低限の学さえ積めばよかった。

 にも関わらず、私と同じ――とても厳しい道を選んだ。


 勉強だけではなく戦闘訓練まで受けると言い出した時はさすがにやりすぎだとお父様に詰め寄ったものだ。


「お父様! ソフィーナに戦闘訓練なんて早すぎます!」

「研鑽を積むのは良いことだ」


 お父様は頑として発言を撤回しようとしない。

 だから私は、ソフィーナを説得した。


「ソフィーナ。戦闘訓練なんてやめておきなさい。あなたが受ける必要なんてないのよ」

「私の身を案じて下さってありがとう、お姉様。でも私はやりたいんです」


 私の言うことなら何でも聞き分けてくれるのに、この時ばかりは頑として譲ろうとしなかった。


「どうしてそこまでするの?」

「私はお姉様と同じがいい。ただそれだけなんです」


 ソフィーナは私と同じように望んで血反吐を吐き、私と同じものを学んでいった。

 友人からは「あなたの地位を狙っているのよ。気を付けなさい」なんて言われるし、ありもしない不仲の噂が流れたこともあった。

 けれど、そうじゃない。


「お姉様、見てください!」

「あら。また私と同じ髪型にしたの?」

「はい! 私はお姉様が、大好きですから!」


 ソフィーナは正真正銘、単なる「お姉ちゃん子」だ。



 ▼


「お姉様と一番に会えるって聞いたから来たのに、何だァ今の三文芝居は?」


 オズワルドを激しく揺すりながら、ソフィーナ。


 『単なるお姉ちゃん子』とは言ったものの、一つだけ普通ではない点がある。

 それは……見ての通り、ソフィーナは私のことになると見境なく暴走することだ。


 まだ女学園に通っていた頃、私を嫌ってくる令嬢がいた。

 彼女は複数人で徒党を組み、嫌味を言ってきたり、事あるごとに突っかかってきた。

 女の園ではよくある話だし、私は何を言われようと気にしていなかったけれど、妹は違った。


 ――ハナシ付けてきますね♪


 笑いながらブチ切れるという器用な真似をしながら、ソフィーナはくだんの令嬢の元へ赴いた。

 そして翌日になると、陰湿ないじめはピタリと止んだ。


 他にも『私に敵意を向けたところを妹に見つかり、粛正される』という相手は枚挙に暇がない。

 私のことが絡まなければ、本当に見たままの可愛い子なんだけど……。


「黙ってねーでなんとか言えよこのボケナスがぁ! さっきまでベラベラと得意げに喋っていた勢いはどうした! あぁん!?」

「ソフィーナ。言葉遣い」

「……あらやだ私ったら。申し訳ありません」


 私が窘めると、ソフィーナは恥ずかしそうにはにかんだ。

 大の男を締め上げてさえいなければ、その表情だけで幾人も虜にしてしまえそうだ。


「お姉様。一応確認なんですけども、このゴ……オズワルド様が言ったことは本当ですか?」


 慌てて言い直すソフィーナ。

 今、なんて言おうとしたんだろうか。

 聞き直すのが怖いので、私はそのままさらりと流した。


「ええ。本当――」

「――嘘でーす! 全部嘘です!」


 オズワルドはバネ仕掛けの人形のように両手を挙げ、全力で降参の意を示した。


「レイラほど魅力的な女性と婚約破棄だなんて、本気でする訳がないじゃないですか! あれはその……ほんの冗談でーす!」

「『精霊の友よ。の者を焦熱しょうねつ綿津見わたつみへといざなえ』」

「あぢあああああぁぁあぁああ!?」


 唐突に熱源が発生し、オズワルドを中心に景色が歪んだ。

 もんどり打って床を転げ回るオズワルド。

 ソフィーナは熱や炎の魔法に適性を持つ。

 強力な反面扱いが難しいとされるが、彼女は難なくそれを使用する。

 ひとえに、彼女の努力の賜物だ。


「冗談であったとしてもタチが悪すぎるでしょ。自然発火するまで踊り狂いなさい」

「ソフィーナ、やりすぎよ」

「お姉様を傷付けたんですから、死ぬ以外に償う方法はありません」


 とんでもないことを真顔で言うソフィーナ。

 お姉ちゃん子であることに悪い気はしないけれど、この度を超えたところだけは悩みの種だ。


「私なら平気だから」

「本当ですか?」

「ええ。おかげで目が覚めたし、あなたがお仕置きしてくれたからすっきりしたわ。ありがとうね」


 これは本当だ。

 長年の苦労は水の泡になったけれど、悶え苦しむオズワルドを見て気分は晴れた。

 問題発言をいくつもしていたし、手続きを踏めば婚約破棄も可能だろう。


「お姉様……」


 ソフィーナはうっとりと目を細めてから、私の胸に飛び込んできた。


「そういえば言い忘れていたわね。お帰りなさい」

「はい。ただいま戻りました」


 よしよしと頭を撫でると、ソフィーナは私の胸に頭を押し付ける。


「そうだ、忘れていました」


 オズワルドに掛けていた熱の魔法を解除する。


「それで許してあげるわ。慈悲深いお姉様に感謝しなさい」

「お……ぁ……」

「お姉様、今日は一緒にお風呂に入りましょう? あとあと……一緒のベッドで寝てもいいですか?」


 先程オズワルドに凄んだ声と同一人物とは到底思えないほど甘えた声を出すソフィーナ。

 もはや彼女の視界にオズワルドは入っていない。


「……」


 それを悟ったのか、オズワルドは無様に倒れた状態で、私を……私だけを睨みつけてきた。


「そうね。今日はお父様もお母様もいないし、久しぶりに姉妹水入らずで過ごしましょう」

「やったぁ♪」




 ……まだ騒動は続きそう。

 そんな予感を覚えつつ、私たちは部屋を出た。

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